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ジュディ視点4

 翌日の朝食時、私が店を手伝いたいことをレナードが話すと、ザカリーは手を叩かんばかりに喜んだ。


「家業を手伝いたいとは、見上げたものだ。なあ、お前もそう思わんか?」


 話を振られた義母のヘレンは、ナプキンで口元を拭うと


「そうですね、あなたのおっしゃるとおりです。我が家に嫁に入ったのなら、貴族の令嬢であったことは忘れて、これからは一平民としてこの家に存分に尽くすがよろしいかと」


 そう答えるも、「ですが」とさらに続けた。


「嫁として一番重要なことは、跡取りを産むこと。一人だけでは心許ないから、念のために男の子を二人。そうでなければ、一人前の嫁として扱われないものと、心してちょうだい」


 それは絶対に無理だろう。

 夫であり、彼女の息子であるレナードは、私とは『白い結婚』を貫くと宣言しているのだから。


 ザカリーの斜め横に座るレナードを、チラリと見遣ると、彼は鋭い目で私を睨み付けてきた。余計なことは言うなという、意思表示だろう。


「かしこまりました」


 ヘレンの言葉にそう返答すると、レナードはあからさまに安堵した表情を浮かべた。

 密約を持ちかけた者が、しかも仮にも商人ともあろう者が、わかりやすく感情を表に出すのはいかがなものだろうかと思ったけれど、すぐにその考えを頭の中から閉め出した。


 レナードのことなどどうでもいい。

 それよりも、一日も早く商人としての基本を覚えることに専念したい。

 私に与えられた時間は、無限ではないのだから。




 朝食後、ザカリーは私をすぐにキャンプス商店へと連れて行った。

 ここから先、レナードとは別行動。彼はヘレンから買い物に付き合ってほしいと乞われ、午後から出社することにしたのだ。


 出がけにヘレンは、レナードにしなだれかかるようにして、腕を絡ませ出て行った。

 扉が閉まる瞬間、私に向かって勝ち誇ったような目を向けてきた。あれは、肉親の表情ではない。『女』の顔だ。

 嫁である私に勝ったのだと、無言の宣言をしたのだろう。

 次いでクッと上がった口角に、不快感が沸き上がる。

 実の息子の妻に、対抗意識を燃やしているなんて。


――馬鹿な人。


 言いようもない気持ち悪さを押し殺して無表情を貫いていると、隣に立っていたザカリーが大仰なため息をついた。


「あいつはいつまで経っても子離れができん。全く困ったやつだ」


「子離れ、ですか」


 というよりは、わかりやすい嫉妬にしか見えないのだけれど……そんなこともわからずに、よく大商人として成り上がれたものだと、ある意味感心してしまう。


「俺たちは結婚してもすぐには子ができなくてな。半ば諦めていたところに、ようやく授かったのがレナードだ。たった一人のかわいい我が子だからと、いつまで経っても甘やかし放題で困る」


「ですがそれも親の情。息子に対する無上の愛かと。とても素敵ですわね」


 私がそう答えるとザカリーは一瞬驚いた顔をした。


「あんたはほかの女とは違うようだな」


「……と申しますと?」


「レナードが今まで家に連れてきた恋人たちだ。妻がレナードを猫っかわいがりして、あいつもまた親の前で甘ったれた姿を晒すと、みんな不愉快そうな目をしたもんだ。しかし、あんたはそうじゃない」


 一瞬、私がレナードを慕っていないことがバレたのかと思い、ドキリとした。けれどそうではないようだ。

 過去の恋人たちは皆、レナードを心から愛していたのだろう。ヘレンのあからさまな挑発に苛立つくらいなのだから。

 だけど私は違う。そもそも嫉妬などしていないから、怒る理由もない。

 でもそれを素直に話すわけにはいかないので、少し考えてから


「子を思う母の愛情とは、深くて尊きもの。男女の愛とは形が違いましょう」


 と言うに留めた。


「あの二人を見て、嫉妬しないと」


「えぇ、もちろん。意味がありませんから」


 私の答えに満足したのか、ザカリーはニヤリと笑った。


「見上げたもんだ。俺だって未だにあの二人の姿を見て、イラつくこともあるっていうのに」


 さすがは俺が見込んだ女だと言ってザカリーは、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて私を見つめた。

 若干の『色』と『欲』を孕んだ瞳に虫唾が走ったが、表面上はニコニコと穏やかに聞く(てい)を装う。


「過去の恋人の中には、あからさまに嫌悪する女もいてな。名はなんて言ったか……アカデミーで知り合ったとかいう学者気取りの女だったんだが、ああいうのはだめだ。女たるもの、一歩下がって常に男を立てなくちゃならん」


 あんたのような殊勝な心がけが一番だ、と言ってガハハと笑う。

 学者気取りの恋人とは、レナードが『白い結婚』を申し出た原因になった女性のことだろう。彼女とはアカデミー時代からの付き合いだと言っていたから、間違いはなさそうだ。


 それにしても、なんたる男尊女卑。

 一昔前はこの国でもそういった考えが蔓延(はびこ)っていたし、それが常識と捉えられていた時代もある。

 時の流れについていけず、未だにその考えを保守して物を言う人間も存在する。特にザカリーやヘレンの世代には多いだろう。


 けれど今は時代が違うのだ。

 平民女性は男性と同じように社会に出て働き、脚光を浴びる者も少なくない。レナードの恋人もその一人。現在は他国に留学中だけれど、帰国後はアカデミーで教壇に立つことが約束されているらしい。

 貴族の中にだって、家庭教師(ガヴァネス)や文筆業などの職に就いて家から独立している令嬢だって、まだ数は少ないがたしかに存在する。


 新時代にあって、恥ずかしげもなく差別的な考えを口にするとは。

 時節に敏感たるべき商人ともあろう者が。


――この男が会頭を務める期間が長ければ長いほど、キャンプス商会はどんどんと落ちぶれていきそうね。


 そんな取り留めのないことを考えながら、彼の後ろに付き従って商店へと赴いたのであった。

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