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ジュディ視点3

「……お父さま、私、レナードさまとの結婚話を受けたいと思います」


「ジュディ! 何を言い出すんだ!!」


「だってこのままでは、我が領はどうにも立ちゆかなくなるではないですか!」


「しかしお前にはウォルターが」


 その名を出されて、体が一瞬強ばった。

 ウォルターを真実愛している。

 彼の妻になる日をずっと夢見ていた。

 今だって本当は、彼と結婚がしたい。


 けれど……私は貴族で、この地を治める領主の娘だ。

 貴族には民の生活を守る義務がある。


「民を苦しみから解放させるためには、これしか方法がありません」


「だがこんな身売りのようなこと、私は反対だ!」


 真剣な表情で、考え直すよう説得を繰り返す父。母や妹たちもまた、涙を流して思い留まるようにと懇願する。

 そんな家族の姿に、胸が熱くなった。


「ありがとう……ですが、もう決めたことですから」


 一歩も譲らないまま、ウォルターに別れを告げた。

 彼から贈られた婚約指輪を外して、ソッと差し出す。

 ウォルターはショックに顔を青くしながらも、それは決して受け取らなかった。そして家族同様に……いや、それ以上に引き留めて、駆け落ちしようとまで提案してくれたのだ。


「それはだめよ。私が逃げたら領民の生活が」


「だけど俺は、君を失いたくない!!」


「ウォルター……」


「心底、君を愛している。俺の妻は君以外に考えられない。だから、ジュディ……!」


 きつく抱きしめられて、涙が一粒ポロリと零れた。

 私もウォルター以外の男性と結婚するなんて、絶対に考えられない。けれど今、私以外にこの地を救える者はいないのだ。

 あの男が執着している、私以外には……。


「愛しているわ、ウォルター……だけど……」


 ごめんなさい……と呟いた声は、風に流れて儚く消えた。


「ジュディ……」


 酷く傷付いた表情で見下ろされ、胸が張り裂けんばかりに痛かった。

 けれど私が傷付いていいはずがない。

 理由はどうであれ、私が彼を裏切ったことには変わりないのだから。


「私のことはもう忘れて。あなたならきっとすぐに、いい人に巡り会えるわ」


「嫌だ。君を忘れるなんて、俺には絶対に無理だ」


「ウォルター……」


「君の決意は尊重しよう。だけど覚えていて欲しい。俺の心にいるのは君だけ。生涯君だけを愛していると誓うよ」


 彼の想いに答えようと口を開いたけれど、それは言葉にならなかった。

 胸が詰まって、声が出ない。代わりに涙が滂沱して流れた。


 ウォルターの手が、私の頬に触れる。

 そのまま静かに持ち上げられて、次の瞬間唇が降ってきた。

 温かくて、柔らかい。

 その温もりを堪能するように、ソッと目を閉じる。



 初めてのくちづけは、苦い涙の味がした。



**********



 そんな辛い別れまで経験してきたというのに、レナードは私の心をいとも容易く踏みにじった。

 彼には恋人がいたらしい。

 その女性との愛を貫き、いずれは結婚するために、私との婚姻はあくまで仮初めのものにしたいと言ったのだ。


 ……人間は、怒りが突き抜けると逆に笑えるらしいことを、私は生まれて初めて知った。


 私たち一家やウォルター、そして領民の生活を脅かし、私を無理やり娶っておきながら、なんたる言い草。

 そもそもこの結婚は、義父となったザカリーが勝手に仕組んだこと。考えようによってはレナードだって、被害者と言えるかもしれない。


 だけど。


 父親の言いなりになるばかりだったレナードは、果たして本当に被害者なのだろうか。

 恋人を愛しているなら、なぜ抗わなかった?

 彼は自分以外に背負う命を持たない人間だ。肝心の恋人は他国へ留学中で、ザカリーの魔の手が届かない場所にいる。父親の言いつけに背いたからといって、他人が巻き添えになることも、多大な犠牲を払う心配もない。

 私が陥った状況などより、よっぽどマシではないか。


 なのに彼は、抗うことをしなかった。

 我が家と繋がりを持つことで得られるであろう利益を優先し、父親の命じるままに私と結婚したのだ。


 彼がもっと抵抗してくれていたら。

 恋人以外と結婚するのは絶対に嫌だと、断固拒否してくれていたら。


――私はウォルターと別れなくて済んだかもしれないのに……。


 レナードのあまりの態度に、憎しみがフツフツと湧き上がってくる。


 さらに聞けばレナードは裏でまだ、恋人と繋がっているというではないか。

 彼女が帰国したら結婚しようと約束までしているらしい。


 今日結婚したばかりの新妻に対して、なんたる言い草。なんたる裏切り。


 そもそも愛のない結婚だ。

 だけど私は縁あって夫婦になったのだから、レナードやこの家のために精いっぱい尽くそうと決めていた。

 レナードを愛せるかといったら、恐らく無理だと断言できる。でもだからといって、結婚した以上は二心(ふたごころ)を持つなど許されることではない。

 ウォルターへの愛は心の奥底に押し込めて、レナードと共に平穏で安らげる家庭を築けたらいいとさえ考えていたのに。


「彼女しか愛せない」


 そう告げたレナードは、一見申し訳なさそうな顔をしながらも、その目の奥は微かに嗤っている。

 もしかしたら彼もまた、私を憎んでいるのかもしれないと直感した。

 なるほど、私という存在があったからこそ、彼は恋人と結婚できなかったという見方もできる。お前のせいで……と苦々しく思っていても、なんら不思議はない。

 だから。


――この仕打ちは、私への復讐というわけね。


 自分の思い描いていた未来を台無しにした、貴族の女に対する報復行動。

 レナードは私の自尊心をめちゃめちゃに踏みにじったと思い、今頃は腹の中で大嗤いしていることだろう。

 

 お生憎さま。

 私の自尊心は、こんなことでは傷付くほど柔じゃない。

 あなた方が私の人生を踏み付けるつもりなら、こちらだって容赦するものか。


「……わかりました」


 俯いたままそう呟くと、レナードはあからさまにホッとした雰囲気を滲ませた。物わかりのいい女でよかったと、安堵したのだろう。

 そんな彼をよそに、頭の中で今後の人生プランを素早く組み立てていく。


 一年後、私は今度こそ幸せになる。できればウォルターと一緒に。

 もう二度と離れることなく、命尽きるまで共に幸せな人生を過ごすのだ。


 もっとも現時点で、ウォルターが再び私を受け入れてくれるかなんてわからない。「生涯君だけ」と言ってくれたけれど、拒絶される可能性だってある。

 もしもそうなったら、そして自分の食い扶持をしっかり稼ぎながら、一生一人で生きていかなくてはならない。


 結婚により、実家の家系図から抹消された身である私が、再び貴族に戻ることは難しい。

 できないことはないけれど、その場合実家である男爵家は「一度は貴族の籍を抜け、平民になった出戻り女がいる家」と謗られることとなる。

 私のせいで、家名が汚されるのは望むところではない。


 実家には戻れず、さりとて生きる(すべ)を何も持たない私が、現状最短で身に付けられるであろうこと。


 それは――。


 気をよくした彼はその後、離婚後に支払う慰謝料について、早口で捲し立てた。どうやら大金を支払ってくれるらしいが、そんなことくらいで私を懐柔できると考えているあたり、甘ったれた金持ちの坊ちゃんらしい。

 腹の底から笑いがこみ上げてくる。


 けれど、慰謝料ごときで私が納得するものか。


「レナードさま、一つだけお願いが」


「何だ?」


 私が本当に欲しいのは、商人として必要な知識であり人脈だ。それさえ掴めれば、その後の人生でウォルターの役に立つことができるかもしれない。


 もしくは一人で生きることになったとしても、キャンプス商会で働いていたという経験と実績があれば、就職が可能になるのではないだろうか。


 いずれにせよ離婚するまでの一年間で、商人としての心得を習得せねば。

 そう考えて、キャンプス商会の手伝いがしたいと申し出た。


 「家族ですから、もちろん給金など要りません。商家の一員として、ゆくゆくはお役に立つ身になりたいんです」


 レナードは暫し考え込んだものの、結局は「いいだろう」と許可をした。


「何から何まで、本当にすまない」


「お気になさらずに。愛する旦那さまのためですもの」


 そう……全ては未来の夫であるウォルターのために。


「私、頑張りますわ」


 そう答えた私にレナードは一瞬クッと口角を上げたが、すぐに真顔に戻って謝罪の言葉を再度口にして、今度こそ部屋を出て行った。


 あぁ、彼はきっと「愛する旦那さま」を、自分のことだと思い込んだに違いない。

 でもねぇ……気付いていたかしら。

 私がずっとあなたを「レナードさま」と呼んでいたことに。


 夫婦とはいえ、それは仮初めのもの。

 本当の夫でもないあなたのことを「旦那さま」なんて呼ぶはずがないと、なぜわからない。


「本当に、なんて愚かしい男」


 レナードが去って行った扉を一瞥した私は、すぐさまベッドから飛び降りて勢いよく引き出しを開けると、奥に仕舞い込んでいた小箱を取り出した。

 中に入っているのは、ウォルターから贈られた婚約指輪。

 せめてもの恋の形見にと、こっそり持ってきていたのだ。

 指輪にキスをしてから、別の引き出しにしまってあった便せんを取り出した。

 宛先はケイティ・グローヴァー。私の幼馴染みであり、一番の親友だ。

 そして私は彼女に宛てて、とあるお願いをするため、一心不乱にペンを動かしたのだった。

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