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ジュディ視点1

「愛する人がいる。だから君との夫婦関係は形ばかりのものとしたい」


 数時間前に結婚したばかりの夫からそう告げられて、頭の中が真っ白になった。

 私たちは政略結婚で、しかも交渉は義父であるザカリー・キャンプスが強引に推し進めたもの。

 本当は、こんな男と結婚なんてしたくなかった。婚約者だったウォルターと幸せな家庭を築くはずだったのだ。

 けれどそんな明るい未来は、ザカリーの手によって全て粉々に砕け散ってしまったというのに……。



 実家は国の西部の北東エリアにある、小さな領地を治める貴族。

 とある大貴族の傍流にあたり、中央政府にいる文官の中でもかなり上の地位にあるご本家に代わり、代々この地を治めてきた。

 一応男爵位と領地を持ち、地方議会の議員名簿に名を連ねてはいるものの、その実態は爵位を持たない地主貴族(ジェントリ)と、なんら変わりない。

 そもそも西部は錫や工芸品などの交易が盛んな地だが、特に栄えているのは西海岸にある港町一帯で、その真逆にある我が領は竹細工以外に目立った特産品がないため、領民から徴収できる税金も少ない。

 屋敷には家令とメイドが一人ずつ、あとは最低限の下働きがいる程度。それこそ庶民に多少毛が生えた程度の、名ばかりの貴族といっても過言ではない暮らしぶりだ。


 それでも、だからこそ……なのだろうか。

 領民と私たちの距離感は近く、関係は良好。普通貴族は領民と親しくならないと聞いたけれど、我が家に限ってはそれは当てはまらない。私たちを見かけると皆、気さくに話しかけてくれる。

 そんな日常に慣れきってしまった私は、堅苦しい貴族の世界よりもむしろ、民と共にこの地で雄々しく生きていきたいとさえ考えるようになっていた。

 できれば恋人だったウォルターと共に……。


 彼は我が家に出入りする商家の店員で、何度か会ううちに意気投合し、やがてそれは恋心へと変わっていった。両親も


「都を拠点に暮らす貴族と結婚するよりも、誠実で実力のある者ならば庶民であっても構わないし、そちらの方が幸せになれるかもしれないな」


 などと言って、私たちの結婚を許してくれた。


 家は二人いる妹のどちらかが婿を取ることとなり、私は貴族籍を抜けて平民となることとなった。もちろんそれに否やはない。

 生まれたときから平民も同然の暮らしをしてきたのだ。今さら身分にこだわりなどあるはずもない。


 家族総出で少しずつ結婚のための支度を整えていく。

 新居で使う道具類が一つ、また一つと揃うたびに、愛するウォルターと共に歩める幸せを噛みしめていた。


 その幸せは長くは続かなかったけれど。


 結婚式まであと半年となったある日。

 あの悪魔のような男がやって来たのだ。

 ザカリー・キャンプス。

 キャンプス商会という、西部では名の通った商家を経営するザカリーの目的は、我が家の家名と交友関係だった。彼は貴族の肩書きを持った人間と、自分の息子を縁付かせたいと考えていたらしい。

 しかし豪商とはいえ、ただの庶民に娘を嫁に出す貴族がいるはずもなく。さらにはザカリーに対する世間の悪評も相まって、思うように息子の縁談を纏めることができなかったようだ。


 そこで目を付けたのが我が家というわけで。


 結婚にあたり莫大な融資金を提示してきたけれど、いくら没落寸前の貧乏暮らしでも、そこは腐っても貴族。父は私の意思を尊重して、その申し出をキッパリと断った。

 けれどそれが悪かったようだ。


「こちらが下手に出てるからといって、あまりいい気になるもんじゃありませんよ。お嬢さんは必ず嫁にいただきますからな。私にはそれだけの力があるのでね」


 そう吐き捨てたザカリーはその後、私たちに対してさまざまな圧力をかけてきたのである。


「店をクビになったよ……」


 ガックリと肩を落として、ウォルターがそう呟いた。


「なんですって? 一体どうして!?」


 ウォルターは初等学校を卒業してすぐ店に入り、もう十年近く勤めているベテラン従業員だった。店主からはかわいがられ、同僚たちの信頼も厚い。さらには長年の努力が実を結び、そろそろ番頭職を任されそうだなんて話をしていたばかりだというのに。


「理由はわからない。いくら聞いても会頭は何も答えてくれなくて。ただ、どこからか圧力がかかったらしいことは匂わせていたけれど。どうやら俺が店にいると、まずいことになるらしい」


 圧力……と聞いて、あの男の顔が浮かぶ。

 まさかと思う反面、吐き捨てるように言った「それだけの力がある」という言葉が脳裏に木霊する。

 結局ウォルターは解雇を受け入れるしかなく、多額の退職金を受け取って店を後にするしかなかったのだ。


「とにかく次の仕事を探すことにするよ。あの店でもう十年も働いていたんだ。経験を買われて、すぐに新しい職に就けるだろう」


 そう言ったウォルターだったが、その願いは叶わなかった。

 どこへ行っても、名乗っただけで不採用になってしまうのだ。ザカリーが裏で手を回していたのだろう。


 この領にある全ての商家から雇い入れを拒否されたウォルターは、今度こそ頭を抱えてしまった。項垂れる彼を私はただ見ていることしかできなくて……。


 とはいえ、こんなことがいつまでも続くわけがない。そのうち事態は好転するだろう――このときの私たちは、漠然とそんなふうに考えていた。

 こんな不幸がいつまでも続くわけないだろう。この町で働き口が見つからないのなら、別の町に行ったっていい。

 結婚と同時にどこかへ移り住もうか……そんなことまで相談していたのだけれど、事態はそれだけで終わらなかった。

 いや、むしろここからが本番だったのだ。


 異変はすぐに訪れた。


「あら、お母さま。今日は随分お部屋が冷えているのね」


 底冷えする冬の朝。居間の暖炉に灯る火は、いつもの半分にも満たないものだった。チョロチョロと小さく燃える炎は部屋全体を暖めるほどではなく、室内なのにまるで外にいるような寒さ。妹たちは身を寄せ合って震えている。


「それがね……実は、薪を用意してもらえなかったんですって」


「まさか」


 薪はいつも、木こりが届けてくれることになっている。

 領民は借地代を貨幣で払うほか、それぞれの家業に合わせた収穫物を、我が家に収めることになっているのだ。

 だから薪が用意させないなんてことは、今まで一度たりとしてなかったのに。


「約束の日を過ぎても届けに来ないから、家令に木こりの家まで行ってもらったのだけれど、今は渡せる薪がないの一点張りだったらしいのよ」


 そんなはずがなかろう、一体どうしたというのだ……家令がどれだけ理由を問うても、木こりは頑として口を割ろうとしない。

 家令は結局、薪を手にすることなく、帰路に就くしかなかったそうだ。


 仕方がないので町の商店から取り寄せようとしたのだけれど、なぜかどの店も売ってはくれなかった。

 理由を問うても、やはり答えが返ってくることはなく。


 この調子ではいつ新しい薪が手に入るかわからない。だから残った薪は厨房用に取っておくことにして、暖炉の火はできるだけ節約することにしたのだ、と母は語った。


 それにしても急にどうして……と母は困惑気味に首を傾げたが、私の胸には嫌な予感に渦巻いていた。

 もしや、あの男の仕業では?

 けれど証拠もないままに決めつけるのは、早計すぎるというもの。それに皆の不安をいたずらに煽ることも躊躇われたので、結局は黙っていることにした。


 何はともあれ、薪である。

 このままでは家族全員が寒さに凍えてしまうので、私は妹たちを連れて近くの林へ赴いた。枯れ枝などを拾って薪の代わりにすることにしたのだ。


――しばらくは、これで凌ぐしかないわ。


 そう決心した矢先、今度は食料品が手に入らなくなってしまった。

 最初は肉。翌日は野菜。その次の日は果物……我が家に食料を配達してくれていた牧場や農家が、次々と収穫物を納めることを拒否するようになったのである。

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