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全ては愛するあなたのために

「元気、だったか?」


「えぇ。おかげさまで」


「そうか……」


 こんなことを話したいんじゃない……そう思いながらも、気の利いた言葉が一つも浮かばない。

 それもそのはず。

 レナードとジュディは一年間夫婦として生活していながら、仕事以外の話をしたことがなかったのだ。

 どうしたら……内心焦るレナードだったが、不意に背後からジュディを呼ばう声が聞こえた。


「ジュディ?」


 振り返った先に、見覚えのない男がいた。


――なんだ、こいつは。


 ジュディに対して随分と馴れ馴れしい……小さな苛立ちを覚えたそのとき。


「ウォルター!」


 ドレスの裾を翻しながら、ジュディが男の元へと駆け寄った。

 レナードの横をすり抜けた瞬間フワリと漂う薔薇の香り。今、都で人気の香水だ。

 それを販売しているのはたしか、W&J商店。ライバルともいえる店の商品をジュディが着けていることに、レナードの苛立ちがさらに増した。


 ジュディの選んだ香水に文句を言える資格など、とうに失われているというのに。


 レナードの苛立ちに全く気付かないジュディは、ウォルターと呼ばれた男の胸に飛び込んだ。


「……っ!!」


 刹那、雷に打たれたような衝撃がレナードの全身に走った。


 なぜジュディはそんな男に抱かれているのだ……?

 しかもそんなに嬉しそうな顔をして……まるで、恋する女のようではないか。

 なぜそんな顔をする。お前が愛しているのは俺だろう?


 全くもって、意味がわからない。

 レナードは激しく混乱した。


 呆然と立ち尽くす元夫を振り返ったジュディは


「レナードさま。こちらはウォルター。私の大切な旦那さまですの」


 はにかみながらそう言って、ウォルターと見つめ合った。


「旦……那……? ジュディ、君、結婚したのか?」


「えぇ。再婚になりますから、式は挙げなかったのですけれど……つい半年前に入籍したばかりです」


 聞けば二人はジュディがレナードと結婚する前からの仲で、結婚の約束までしていたらしい。

 一度はザカリーの手により引き裂かれたものの、愛の炎は消えることなく、ジュディの離婚後によりを戻したのだとか。


 まさか……ジュディに裏切られていたなんて……そんな思いがレナードの胸に去来する。

 ジュディは自分以外に心を移さないはずと、無意識に思い込んでいたのだ。

 それが覆された、レナードの絶望たるや。


 しかし悲劇はこれだけではなかった。


「私、今ウォルターと一緒にお店を営んでおりますの」


「店?」


「えぇ。レナードさまからいただいた慰謝料の一部を元手にして。ご存じでしょうか。私たちのお店……W&J商店と申しますのよ」


「なんだって!?」


 商会の邪魔ばかりする憎きライバル店の名を聞いて、レナードは衝撃を隠せない。

 ワナワナと震えるレナードに、ウォルターは余裕の笑みで話しかけた。

 ジュディの肩を、抱きながら。

 その姿を、レナードに見せつけるようにして。


「あなたとの婚姻期間で、ジュディはいろいろなことを学ばせてもらったそうですね。そのときの経験を活かして、今では私を支えてくれているのですよ」


「キャンプス商会の経験があったからこそ、今こうして愛しいウォルターのお役に立てておりますの。あの一年は私にとって地獄以外の何ものでもありませんでしたけど、必死に耐えた甲斐があったというものですわ」


 本当にありがとうございます……ふんわり笑ったジュディに、レナードはなぜか戦慄した。


「地獄……だって……? でも君はあの一年、生き生きと楽しげに働いていたじゃないか」


「それは当然です。辛い目に遭ったときはあなたと離婚した後のことを夢想して、やる気を奮い立たせていたのですもの」


「俺と離婚した後のこと……?」


「えぇ。初夜のとき……あなたに屈辱的なことを言われて、私は決意したんです。一年後、晴れて独り身になった暁には、今度こそウォルターと結婚しようって」


 あの瞬間、ジュディの心は決まった。

 目の前で殊勝な態度を取りながらも、嘲笑したような瞳で自分を見下す男を夫などと思いたくもない。

 やはり自分の夫は愛するウォルターしかいないと、ハッキリ悟ったのである。


 そして、浮かれた様子のレナードが寝室を去った直後、彼女はすぐさまベッドから飛び降りると、長いながい手紙を(したた)めた。

 つい今し方レナードに言われたことをそのまま書き記し、『あなたさえよかったら、一年待っていてくれないか』と(こいねが)ったのだ。


 元は婚約をしていた二人。しかしそれは、レナードとの結婚のせいで、諦めざるを得なかった。

 しかし、再び結婚できるチャンスが巡ってきたのだ。

 ウォルターが受け入れてくれるかはわからない。それでもジュディは、万一の可能性に賭けた。


 その後、ジュディに宛てて友人から手紙が届く。

 中に入っていたのはウォルターからの返事だった。

 人妻になったジュディに、男名前で……しかも元婚約者から手紙が届けば、キャンプス一家に何を言われるかわからない。

 だから二人は、ジュディの友人に橋渡しをお願いして、手紙のやり取りをすることにしたのだ。


 手紙には突然のことに対する戸惑いと、逡巡する様子が認められていたが、『一年後、君が無事離婚した暁には、今度こそ結婚しよう』と、力強い文字で綴られていた。


「私とジュディは、嫌いあって別れたわけではありませんでしたからね。あなたの父君の妨害がなければ、半年後には結婚していたのですから」


「父が妨害をしただと?」


「レナードさまは何もご存じなかったのですか? あなたのお父さまが汚い手を使って、私たち家族を追い込んだということを」


 ジュディの生家に婚約の打診をしたザカリーだったが、長女であるジュディはウォルターと婚約中。二人の妹はレナードと年が離れているという理由から、嫁に出せる娘はいないと断られていたのである。

 しかしザカリーは諦めなかった。


「あの人が裏で手を回したせいで、ウォルターは長年勤めていた商家をクビになりました。それだけではありません。この話を受けなければ都中の商家に手を回して、我が領を窮地に陥れると宣言したのです」


 追い詰められたジュディは家族のために、レナードの妻になることを了承した。

 それはすなわち、愛するウォルターとの別れを意味している。


 ウォルターはもちろん納得しなかった。しかし当時職を失ったばかりの彼に、ジュディ一家を助けられるだけの力はなく……。


 こうして愛し合う二人は引き裂かれて、ジュディは涙を堪えてレナードに嫁いだである。


「それでも結婚したからにはウォルターのことはスッパリと忘れて、あなたやキャンプス家のために精一杯尽くそうと思っていました。過程はどうであれ、縁あって一緒になった夫婦ですもの。不誠実なまねはできません。ですが、それを踏みにじったのは」


「……俺だ」


 ジュディはウォルターへの想いを断ち切って嫁いで来たというのに、肝心の夫は初夜の場でほかの女への愛を語った。

 そして自分とは形ばかりの夫婦になって、一年後には離婚すると断言されたのだ。

 そのときのジュディの心境たるや。


「レナードさまががその気なら私だって……そう考えましたの」


 どうせ、ただ捨てるだけの無意味な一年になるのだ。ならば大商会と呼ばれるこの家で、商売のいろはを学ぼうではないか。

 そして離婚した暁には、ウォルターと共に商売を始めるのだ。

 幸いにも莫大な慰謝料を用意してくれると言っていることだし、資金は事欠かないだろう。

 そしてキャンプス商会に負けないような……理不尽な権力などに屈することのない大きな商家を、ウォルターと共に築くのだ。


 決意を固めたジュディ。

 そして口先だけの謝罪を繰り返すレナードに対して、彼女はハッキリとこう告げたのだ。


『全ては愛する旦那さまのため』


 ――と。

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