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残酷な真実

「では婚姻していた当時、君がたびたび口にしていた『旦那』とは、俺ではなく」


「もちろん、ウォルターのことです」


 書類上の夫はレナードに違いなかったが、心を通わせることを拒否した男を、夫と認めたくなどなかった。

 だからジュディは「愛しい旦那さま」と口にするたびに、心の中でウォルターの姿を思い描いていたのだ。


「お前……もしかして浮気していたのか?」


「ご冗談を。私のどこにそんな時間があったというのです」


 毎日朝から晩まで働きづめだったジュディには、自由になる時間などなかった。


「しかも家に帰ればお義母さまが常に後ろを付いて回るでしょう? 離れに避難するまで、気の休まる時間はありませんでしたから」


「気が休まらないなんて、そんな……君と母は仲がよかったはずじゃないか」


 ミランダと違って、ジュディはヘレンと馬が合っていた。

 それが証拠に、母に関する文句をジュディから聞いたことなど一度もない。

 気が休まらないだなんて、そんなことは……。


 首を傾げるレナードに対し、ジュディは小さく笑った……否、嗤ったのだ。

 クッと鼻を鳴らすと、嘲るような目をレナードに向けた。


「仲良しですって? ほんの些細な失敗さえも『これだから高等教育を受けていない人は』なんてこき下ろし、話題がなくなると決まって毎回『レナードのお嫁さんには、今は異国に留学した女性の方がよかったわ』なんてことをネチネチ言う人と、仲良くできると思いますか?」


「母が……? まさか……」


 レナードの前では常に笑顔を浮かべる母。昔からおっとりとした性格で、いつまでも少女のようだとさえ思っていたのに……。


 しかし彼には心当たりがあった。


 ミランダも言っていたではないか。『お義母さんまで私に嫌みを言う』と。

 あのときは信じられな気持ちでいっぱいだったが、ジュディまでそんなことを言うなんて、もしかして母は本当に……?


 今まで信じていたものが、音を立てて崩れていくような感覚を覚える。

 自分は今まで何を見てきたのだろう。レナードはもう何も信じられない気持ちでいっぱいだった。


「常に見張られていた私に残された手段は、手紙のやり取りのみ」


 友人に仲介を頼み、密かに文を交わすジュディとウォルター。

 顔を合わせることなどできない。触れ合って、抱きしめ合うこともできない。

 しかし互いの想いを文字に託して、密かに愛を深め合ったのだった。


「なのに、よりにもよって『浮気していたのか』ですって? そんな状態に私を追い込んだ張本人が、浮気だなんて言葉、軽々しく口にしないでください。」


「お前はそれを恨みに思って……俺たち家族の前では従順な振りを装って、職人や取引先を盗んだというわけか。この恥知らずめがっ!!」


「お義父さまじゃあるまいし。私は汚い手など一切使っていません。ただ、皆さまの不満を解消したに過ぎませんことよ」


 初めは単純に商売の()()()だけを学ぼうと思っていたジュディだったが、仕事をするうちに商会のさまざまな問題点が目に付くようになってきた。


 それを改善すべく動いてきたことが、今日の結果に繋がったというわけだ。


「私は職人が気持ちよく仕事ができる環境を整えただけ。噂を聞きつけた職人たちが自らやって来たのであって、攫ったり引き抜いたしたわけではありません」


 レナードさまが私よりも早くも職人たちの不満に気付ければ、こんなことにはなっていなかったでしょうね……ジュディはそう言って笑ったが、同時にそれは絶対に無理だということもよく理解していた。

 なぜならレナードはジュディとの婚姻期間中、一度も工房に顔を出したことがないからだ。

 婚姻期間中だけではない。レナードは今までほとんど工房へ赴いたことはない。

 重要なのは商品の数が揃っていることと、売り上げだけ。それは全て、帳簿を見ればわかる。わざわざ作業工程など確認せずともよかったのだ。


「さまざまな商品を作り出す職人も、私たちと同じ一人の人間ですわ。皆それぞれに心があるのです。そんなことも忘れていたあなたに、職人たちの行動を止めることなんて、最初から無理だったんです」


「そんな……俺は一体、どうしたら……」


「今までの行いを悔い改めることです。自分のことしか考えない人間に、他人(ひと)はついてきません。そこを直しさえすれば、あるいは……」


「そうすれば、全てがまた上手く回るというのか?」


「断言はできません。けれど、自分の努力次第ではいくらでも好転する可能性は出てくるでしょう。レナードさまの今後のご活躍を、影ながら応援しておりますわ」


 勝者の笑みでエールを送るジュディに、レナードはもう何も言うことができなかった。

 ガックリと肩を落として、無言でその場を立ち去ったのである。


「随分とお優しい物言いだったね。あんな男でも元夫だけあって、少しは情が湧いたのかい?」


 ウォルターの問いを、ジュディは即座に否定した。


「まさか! いくら人の道を説いたところで、あの男は絶対に変わらない。それがわかっていたからこそ、最後の(はなむけ)として真相告げたまでよ」


「ふぅん……」


「何よ。もしかして、妬けた?」


「当然だろう? 愛しい妻がほかの男に親切にしているんだ。妬かない夫はいないさ。それに君はあの男に会ったら、復讐するのだとばかり思っていたのに、そんな素振りもなく、むしろ優しさまで見せるものだから」


「お馬鹿さん。私にはあなたしかいないというのに。それにね、私はキャンプス一家に対して直接手を下すつもりはないわ」


「あれほど酷いことをされ続けたというのに?」


 ジュディと再開後、この一年の話を聞いたウォルターは憤り、キャンプス商会に復讐しようとまで言ってくれたのである。

 それを押しとどめたのは、ほかでもないジュディだった。


「ようやく自由になったというのに、いつまでもあの一家に心囚われたままでいることのほうが不幸だと思わなくて?」


 復讐を果たそうとするたび、キャンプス一家を思い出すことになるだろう。

 それはつまり、心の片隅にあの一家をずっと住まわせておくことに、変わりないわけで。


 ウォルターとの新しい日々に、彼らの存在は不要。

 欠片すら思い出したくない。

 キャンプス家を憎んでいるからこそ、ジュディは敢えて彼らのことを頭の中から締めだした。


「それにね、何もしなくてもできる復讐はいくらでもあるものよ」


 W&J商店の名がさらに大きくなれば、ザカリーとレナードは悔しがることだろう。

 いろいろな事態が重なったおかげで、キャンプス商会は以前ほどの勢いはなくなっていた。

 それとは対照的に、W&J商店はどんどん大きく発展しているのだ。

 リッジウェイ伯爵夫人とはその後も交流があり、今ではジュディたちの後ろ盾となってくれている。

 社交界で絶大なる権力を持つ夫人の力添えがあるのだ。

 いくらザカリーでも、今のジュディを陥れることは不可能だろう。


 あの頃、力が欲しいと切望した。

 どんな困難をもはね除けるだけの強大な力を、ジュディは自分の手で掴み取ったのである。


「私の足を引っ張って貶めたいと考えても望みは叶わず、自分の商会とは正反対に業績を上げていく私たちを見て、彼らはさぞや悔しがることでしょうね」


 レナードやザカリーは今後、W&J商店の名を耳にするたび、敗北感と焦燥感、そして後悔に苛まれることになるだろう。

 それも全て、自分たちがしてきたことの結果。自業自得だ。

 自分が直接手を下す必要などない。

 彼らがジュディを忘れない限り、この苦しみは無限に続くだろう。


「これが私の復讐よ」

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