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結婚生活

 翌日からジュディは商会で働き始めた。


 従業員たちの前でジュディは、レナードの嫁とはいっても自分は商売に関して()()の素人であるから、新人の一従業員として厳しく仕事を教えて欲しいと頭を下げ、一同を驚愕させた。

 つい昨日まで貴族のお嬢さまだった女性が、まさか平民である自分たちに頭を下げるとは……()には信じがたい光景に、誰もが二の句を告げなかったほどだ。


 しかし彼らの驚きは、これだけでは終わらない。

 ジュディは簡単な事務処理だけでなく、下働きがやるような汚れ仕事までなんでも引き受けたのだ。

 従業員らが恐縮してやめるように言っても


「ですがこちらの商会は、玄関やトイレ掃除は新人の仕事と聞きましたから」


 と言って、取り合わない。

 毎日朝一番に出勤しては、表を掃いて社内をくまなく掃除する。

 それらが全て終わるとすぐに書類整理やお使いなど、休む間もなく動き続けるのだ。


 あまりの働きぶりに、従業員の一人がジュディに尋ねたことがあった。


「なぜ奥さまはそこまで懸命に働くのですか?」


 その問いにジュディはポッと頬を赤らめながら


「大切な旦那さまのためですわ。旦那さまのために私も商いについてたくさん学んで、将来お役に立ちたいと思って……」


 そう言って再びコマネズミのように、忙しなく動き始めたのである。

 貴族令嬢とは思えない働きぶりに、従業員だけでなくレナードの父であるザカリーまでもが驚いた。


「書類や帳簿も完璧じゃないか。ジュディは高等教育は受けていないと聞いていたがな」


 貴族であれば誰でも受けられる高等教育。貴族だけではなく、平民だって頭脳と財力があれば通うことが可能だ。現にレナードは平民でありながら、アカデミーに進学していた。

 しかしジュディの家は、娘たちを学校に通わせるだけの余裕がなく、三人の姉妹の最終学歴は揃って初等学校止まり。卒業後は男爵に勉強を教わったり、図書館で自主学習をするに留まっていたのである。


「しかし、そうとは思えないほど頭の回転がいい。計算は素早くて正確。一度言ったことは絶対に忘れないうえに、人の動きを的確に読める」


 おかげで誰かが困っているときは、サポートやフォローに入ってくれる。

 しかもレナードの嫁だからといって決して偉ぶらず、控えめに仕事を手伝うのだ。ジュディを慕う従業員が日に日に増えていくのも、当然の話である。


「何も言わずとも、望んだことをやってくれるときた。貴族のお嬢さんは何もできないと思っていたが、嬉しい誤算だな」


 ザカリーは破顔しながら、息子の前でジュディを褒めちぎった。

 父だけではない。従業員も概ね同じ意見である。

 レナード自身も仕事中、何度もジュディに助けられた。


 従順で、勤勉で、何事も自ら進んで学ぶジュディ。

 姑であるレナードの母ヘレンとの関係も良好だ。


 いつしかザカリーは、外商や集金などに行く際ジュディを伴い始めた。

 ザカリーは通常、外商を従業員に任せることはしない。彼とレナードの二人でそれを行っていたのだ。

 なのにジュディを連れて行ったことに、レナードは驚いた。


 さらにはジュディはいつの間にか、外交官の夫を持つ伯爵夫人と共同でアクセサリーの開発、製作を行い、それが爆発的に売れたのだ。

 その後はほかの商品も飛ぶように売れ、キャンプス商会の売り上げは過去最高潮に達したのである。


 聞けばジュディは意外なことに彼女は社交性もあり、貴族の奥方や令嬢にかわいがられているらしい。伯爵夫人とアクセサリーを作ったことも、貴婦人たちにもて囃される要因になったようだ。

 外商先では女同士で話が盛り上がったところで、すかさず商品を勧めるらしい。


「結婚前はずっと屋敷に籠もっていたと聞いていたから、正直社交は全く期待していなかったんだがな。腐っても貴族といったところか」


 気難しく頑固一徹のザカリーが、ジュディを手放しで褒めるのだ。

 これにはレナードも仰天した。

 実の息子である自分は、未だ父から完全に認められていないというのに、あっという間に高評価を獲得したジュディに内心嫉妬が湧き上がる。


 しかしザカリーがジュディを重用するおかげで、レナード自身も営業の仕事にさらに専念できるようになり、ジュディほどではないが売り上げも伸ばしていた。


「最近はお前も頑張るようになったな。これも全て、ジュディが嫁に来たからだとは思わんか? お前たちの結婚を決めた俺の読みは当たっていたな」


 声を上げて笑うザカリーに、レナードは苦笑するしかない。

 だが、たしかにジュディが嫁いでくれたおかげで業績は絶好調。商会は他の追随を許さないほどの繁栄をみせている。

 

――本当にいい嫁をもらったものだ。


 懸命に働くジュディの横顔を見ながら、レナードはつくづく実感していた。

 できれば約束の一年が過ぎても、従業員として残って欲しい……そんなことを考えるくらい、ジュディの実力は素晴らしかった。


 いつも上機嫌の父。

 温かい我が家を一人守る母。

 もっともヘレンは、ジュディが跡取りを儲けることなく仕事三昧であることを少々懸念していたが、しかしそれ以外のことについては一切口出しせずに、息子夫婦を温かく見守ってくれている。

 それに跡取りに関しては、ミランダがすべき役割。

 だから「一年間だけ目を瞑ってほしい。子どもはその後」と言って、孫の誕生を望むヘレンを慰めたのである。


 お飾りの妻でありながら、自分を愛して役に立とうと奮闘するジュディを中心に、キャンプス家はこれまでにないほど温かく、幸せな雰囲気に包まれていた。


 そのことにレナードは、心の底から満足したのだった。



**********



 彼らが結婚して半年が過ぎ、十ヶ月が過ぎ。

 今や商会にとって、ジュディは絶対になくてならない存在となっていた。


 そして約束の一年があと数日に迫ったある日、ミランダがついに帰国の途に就いたのだ。

 待ち焦がれた愛しい人。

 レナードは彼女を思いきり抱きしめて、帰国を喜んだ。

 しかしそれは、ジュディがレナードの家を去るということに他ならない。


「君さえよければ、離婚が成立した後も商会で働かないか?」


 離婚間近のある夜、レナードはジュディにそう提案した。


「君はもう、うちにとって必要不可欠な従業員だよ」


 熱弁を振るうレナードに、ジュディは小さく微笑んだ。

 蝋燭に照らされたその顔に、暗い影が写る。

 それがとても物悲しそうな表情に見えた。


「……あなたは、愛しい奥さまと寄り添っている姿を、私に見ていろとおっしゃるの?」


「あっ……」


 レナードは遠くない将来、ミランダと結婚するだろう。

 彼女がキャンプス家の新しい女主人となり、商会に君臨するのだ。


 ジュディが商会に残るということは、結婚生活の妨げとなった女と元夫が仲睦まじくする姿を、見続けなければならないということ……。


「浅慮だったな」


 ジュディは何も言わなかった。

 ただただ、悲しげに微笑んだだけ。


「じゃあ、約束どおりこれを」


 目の前に出したのは、一通の小切手。

 額面にはゼロがいくつも並んでいる。


「まぁ、こんなに……」


 金額を見たジュディは目を瞠いて絶句した。


「ただ、これを渡すのに一つ条件がある。俺との結婚生活については、他言無用にしてほしい」


 結婚をしたというのに、他の女性に操を立てて手すら握らなかったことが世間に知られたら、レナードの評判は地に落ちるだろう。

 そうならないために、ジュディの口を塞ぐ必要があるのだ。


「つまりこれは、口止め料も含めて……ということでしょうか」


「さすがは察しがいい。それで条件は飲んでもらえるだろうか」


「こんなことをせずとも、私は誰にも喋りませんわ」

 

 そう言って受け取りを渋るジュディを強引に説き伏せて、小切手を握らせる。

 遠慮したのには感心したが、受け取ってもらわなければレナード自身が安心できない。

 最終的には困ったような笑みを浮かべて、ジュディは小切手を受け取った。


 これでもう、心配事はなくなった……レナードは安堵の息を吐いた。



 そして約束どおり、ジュディは一年間過ごしたキャンプス家から去って行った。


 多額の慰謝料を携えて。

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