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お飾りの妻が愛する夫のために全力を尽くした結果  作者: すずしろ たえ


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ジュディ視点9

 その夜、寝支度を済ませた私は便せんに向かってひたすらペンを走らせていた。

 手紙の相手はもちろんウォルター。

 商家で十年働いていた彼ならば、効率のよい営業方法など知っていると思い、コツを教えてほしいとお願いしたのだ。


 返事は四日後に届いた。

 しかし残念ながらそこに、私の望む答えは書かれていなかった。


 商売にはさまざまなアプローチ法があるけれど、実際に対面してみなければその客に対する有効な手段はわからない、というのが理由だ。

 またウォルター自身もリッジウェイ伯爵夫人とは面識が全くないため、的確なアドバイスをすることができず、申し訳ないと謝罪の言葉が綴られていた。


 それを踏まえたうえで助言をするならば『顧客をじっくりと観察する』『持ち物や言葉の端々に浮かび上がる嗜好や趣味を探る』『そして顧客が今、何を望んでいるかを短い時間で的確に掴み、それに見合った商品を紹介する』この三つを忘れないように、と手紙は締められていた。


 長年キャンプス商会を牽引してきたザカリーや、大口の営業をいくつも取ってきているレナードでさえ商品を売るのが難しい顧客に対して、基本すら知らない私が商品を売ることができるのだろうか……不安は尽きない。

 けれど悩んでいても仕方ない。

 こうしている間にも、リッジウェイ伯爵邸に行く日は刻一刻と近付いているのだ。

 ウォルターからの手紙を何度も繰り返し読んでは基本を頭に叩き込むと共に、リッジウェイ伯爵とその夫人についての情報を集め、キャンプス商会の商品目録や在庫を確認する。

 事務所にいる間だけでは覚えきれないため、エイベルに断って目録を持ち帰り、夜の間にそれを頭に叩き込むことにした。


「あら、そんな物を持ってどうしたの?」


 目録を抱えて歩く私を見たヘレンが、そう問うた。


「お義父さまのお供で、リッジウェイ伯爵家へ行くことになりましたので、その前に商会の品をひととおり覚えておこうと思いまして」


 ヘレンはつまらなそうに鼻を鳴らすと「言わせてもらいますけどね」と、釘を刺すように話を始めた。


「あなたは本当に、嫁失格だわ」


「……申し訳ございません」


「あなたが商会で働くこと、あの人やレナードが許したから私も許可してあげたけど、前も言ったとおり、本来“嫁”というのは家のこともきちんとやって、ようやく一人前と認められるもの。それがあなたは仕事ばかりで、家のことは一切やらないじゃない」


 あなたが何もしないから大変よ、とヒステリックに捲し立てるヘレンだが、彼女が嫁いだ直後からこの家では複数の家政婦を雇い、家事の一切を任せているのだ。彼女がやることといえば、花を飾ることくらいだということを、私は知っている。

 手荒れ一つせず、美しく磨き上げられたヘレンの手を見ながら、無言で頭を下げた。

 彼女に反論するのは容易いけれど、今はこんな人に構っている時間はない。ここは無難に切り上げたほうがいいと考えて謝罪をしたものの、ヘレンは私をなかなか解放してはくれなかった。


「私も昔は商会の仕事をしていたけど、そのときだって家のことをおろそかにしたことは一度もないんですからね」


 それはアビーからも前に聞いたことがあった。

 ヘレンを溺愛しているザカリーは、彼女に商会の仕事をさせることはないのだけれど、繁忙期でどうしても人手の足りないときだけ、手伝わせたことがあったらしい。

 掃除や倉庫の整理など、地味な仕事を嫌った彼女は売り子として店に出た。けれど、立ちっぱなしの仕事が相当堪えたらしく、従業員の前では我が儘放題、客の前でも不機嫌な態度を取るので、アビーやエイベルはその尻拭いに大わらわとなったそうだ。


 私が何も知らないと思って、よくもまぁここまで誇張して話せるものだと、ある意味感心してしまう。


「大体あなた、まだ妊娠していないわよね?」


「はい」


 レナードとの間に夜の営みがないのだから、子どもができないのは当然なのだが、その事実を知らないヘレンは、一気に私を責め立てた。


「女はね、跡取りとなる男を産んで初めて、一人前の嫁として認められると言ったでしょう? その務めも果たさずに、仕事仕事と飛び回って。一体何を考えているの!?」


「申し訳ございません」


「レナードだって早く自分の子を抱きたいでしょうに、全部あなたの我が儘で台無しじゃない。女として恥ずかしくないの?」


「……」


「仕事なんてする暇があったら、一日も早く跡取りを作りなさい。今はレナードだって大人しくしてるけど、跡取りができなかったら、ほかの女性に目を向けるでしょうよ。あの子は物心就いたときから、恋人がいなかった時期はないんだから」


 誇らしげに言うヘレンはその後もレナードの()()()をさまざまに語って聞かせた。恐らく私に嫉妬と絶望を与えたいのだろう。

 随分と喋り慣れた口振り。もしかしたらこの人は、レナードのかつての恋人たちにもまた、彼の過去を吹聴していたのかもしれない。そうして愛する息子を奪った女性に対して、溜飲を下げていたのだろう。

 この人のやりそうなことだ……と内心で考えながら適当に相槌を打ちつつ、くどくどしい話を聞き流すに徹した。


「ともかくレナードはあのとおり、見目よくて社交的、しかも商会の跡取りで財産持ち。黙っていたって寄ってくる女は大勢いるの。現に今までだって大勢の美女があの子に近寄ってきたし、結婚直前まで付き合っていた恋人は、学もあって本当に魅力的だったわ。田舎出身で貧乏貴族のあなたとは違ってね。惨めったらしく捨てられたくなかったら、さっさと跡取りを孕みなさい」


 ヘレンはそう吐き捨てると、満足そうな表情で立ち去った。

 遠ざかっていく背中を見つめながら小さく息を吐く。全くもって無駄な時間を費やしてしまった。早く離れに行こう……と踵を返すと、いつの間にいたのだろうか、そこにレナードが立っていた。

 彼は私と目が合うと、バツの悪そうな顔をしながら「やあ」と小さな声を出した。


「……こんばんは。今日も遅かったんですね」


「アカデミー時代の友人たちと会合があってね」


「そうですか。では私はこれで」


 レナードの横を通り過ぎようとしたとき、グイッと肩を掴まれた。


「さっきの母さんの話だが……絶対に真に受けるんじゃないぞ」


 パッと聞いただけでは、まるで私の心を気遣っているようにも思えるけれど、実際はまるで違うことはすぐに察しが付いた。

 レナードは、私がヘレンから『跡取りを産め』と言われたことを真に受けて、自分に迫ってくるなと言いたいのだ。


――そんなこと、するわけがないのに。


 愛情なんて欠片もなく、すでに離婚することが決まっている男との間に、誰が子を欲しがるというのだろう。


「心配なさらないで……私は、大丈夫です」


 ヘレンの言うとおりにはしない……言外にそう匂わせながら答える。

 真意を探るような目で私を見つめたレナードは、ややあってから肩に置いた手をゆっくりと離した。


「お話はもうよろしいですか? 私、そろそろお部屋に戻りたいのですけれど。この目録に目を通しておきたいのです」


「もしかして、リッジウェイ伯爵夫人の件か?」


 ザカリーから話を聞いているのだろう。レナードは目録を一瞥して、そう問うた。


「はい。今度お義父さまと一緒に、伯爵邸を訪問することになりまして」


「そのようだな」


 レナードはそういうと、侮蔑に歪んだ笑みを浮かべた。


「夫人は気難しいうえ、どんな商品であろうと見向きもしない難物だ。お前は最近、従業員の間でたいそう評判らしいが、はてさて夫人も陥落させることはできるかな?」


 クツリと笑うレナード。

 お前にできるわけがない……そう決めつけているのが、手に取るように分かる。


「売れるかどうかはわかりません」


 それが正直な気持ちだった。

 商いに関してズブの素人である私に、どれだけできるかなんてわからない。

 けれど負けたくはない。

 機嫌の良し悪しで従業員を虐げるザカリーにも、困っている人間に手を差し伸べるどころか見下した態度を取るレナードにも。

 こんな二人に、絶対に屈したくはなかった。


「私は私なりのやり方で、せいいっぱい頑張るつもりです」


 私の決意を聞いたレナードは、これまでで一番の歪んだ笑みを浮かべた。


「お手並み拝見しようじゃないか」

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