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お飾りの妻が愛する夫のために全力を尽くした結果  作者: すずしろ たえ


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ジュディ視点7

 決意を新たにした私は、その後も必死になって働き続けた。

 相変わらず掃除や片付けなど、下働きのようなことが中心。けれど幸いなことに計算が得意だったため、次第に書類仕事も任されるようになった。


「若奥さんは計算が速くて正確だから、安心してお任せできますね」


 アビーはそう言って手放しで褒めてくれた。

 そして彼女以上に私の成長を喜んだ人物がいる。番頭のエイベルだ。


「初等教育しか受けたことがないと伺っていのに、まさかここまで出来る方だったとは……いやはや、本当にお見それしました」


 確かに私の最終学歴は、初等学校卒業だ。

 けれどそれは、進学するだけのお金がなかったせい。

 我が領にも平民が通う学校はあるけれど、貴族の場合は二つ先の町にある学校へ行く必要がある。そこも受けられるのは初等教育のみで、中等教育以上は山を越えた向こう側の学校まで行く必要があり、下宿をしなければ到底通うことはできない。

 ただでさえ貧乏暮らしのうえ、私の下にいる二人の妹のことを考えると、気軽に進学したいとは言えなかった。

 そんな私を不憫に思ったのか、学校を卒業してからは父が勉強を教えてくれたのだ。だから学歴以上のことは、ある程度できると自負している。

 父の熱意と私のこれまでの頑張りを認められたような気がして、少しだけ嬉しくなった。


 エイベルは次第に、アビーに任せていた仕事の半分を私に割り振るようになり、おかげでますます忙しくなったのだが、このことが他の従業員たちの態度を変化させたのだ。

 彼らは最初、私のことを『貴族のお嬢さん』扱いして明らかに距離を置いていた。それがアビーばかりかエイベルまでもが私と気安い態度で接するようになったものだから、警戒心が解けたのだろう。


「お貴族さまって聞いて、どう接したらいいかわからなかったんですけど、若奥さまはなんていうか、こう……気さくというか、偉ぶったところがないというか……庶民的な方だから、親近感を持てますね」


 そんなふうに話す従業員もいた。

 私は貴族だけれど、必要最低限の礼儀やマナーを学んだ程度で、他家との社交は一切行ってこなかった。むしろ領民たちと接する機会の方が多かったくらいなのだ。彼が私のことを庶民的と感じたのは、そのためだろう。


「最初はどうしたらいいかわからなくて、冷たい態度を取ってしまってすみませんでした」


「お気になさらないで。今こうして皆さんと仲良くお仕事ができて、私は本当に嬉しいんですから」


「若奥さん……」


「これからも、仲良くしてくださいましね」


「……っ! もちろんです!!」


 興奮気味に答えた彼らに、私も笑みを返す。たったそれだけのことでも、彼らにとっては親近感が持てたらしい。それもそのはず。キャンプス家の男たちは、従業員に対して辛辣な態度ばかりを取っているのだから。


 ザカリーは機嫌が悪くなると、従業員を怒鳴り散らす悪癖を持っていた。

 叱咤の理由はさまざまで、そのときの気分で言うことがコロコロ変わる。従業員に対して八つ当たりして、憂さを晴らしているのは明白だった。

 そして二言目には


「嫌なら辞めろ! だがここを辞めたところで、お前のような役立たずを雇ってくれる店はないがな!」


 と恫喝する。

 しかもそれは、ただの脅しではない。実際に商会を辞めた後、次の就職先が見つからずに路頭に迷った元従業員もいるのだとか。

 ウォルターから勤め先を奪ったこの男のことだ。あのときと同様に、裏で手を回すのはお手のものだろう。

 そのことを重々承知している従業員たちはザカリーの言葉を恐れて、誰も商会を辞めようとはしない。

 否、辞めることができないのだ。


 それから「役立たずに払う給料はない」と言って、昇給は一切なし。

 親の代から長年働いてきた番頭のエイベルが少しマシなくらいで、あとはみんな似たり寄ったりの薄給だと知り、私は愕然とした。


「うちは子どもが独立して亭主と二人暮らしだし、亭主の稼ぎがあるからなんとかなってるんですけどね、ほかの従業員は大変ですよ」


 そう教えてくれたのは、アビーだった。


「安月給で家族を養っていかなきゃならないんですから。だからどの家も共働きで、ここだけの話、中には奥さんに愛想を尽かされて離婚した人もいるくらいなんですよ」


 そんな目に遭っていながらも、従業員たちはキャンプス商会を辞めることができない。

 ザカリーの敷く恐怖政治に怯えながら、皆自分の心を押し殺して仕事をしているのだと、アビーは語った。


「アビーさんは一度ここを辞めたんですよね? それでよく戻って来る気になりましたね」


「子どもが出来たのを機に、一度は辞めたんですけどね。本当は戻って来たくなかったんですよ。でもエイベルに、どうしてもって頭を下げられて、仕方なく」


 アビーとエイベルは幼馴染み同士で、一家は家族ぐるみの付き合いがあるらしい。

 エイベルは昔から商会を辞めたがっているのだが、彼の父が家を購入する際にザカリーから借金をしたらしく、その返済がまだ続いているため辞めるに辞められないのだそうだ。

 ほかの従業員に比べたら少しはマシとはいっても、例えば別の商会でエイベルと同じ年数勤め上げている従業員と比べると、その給金は雲泥の差があるのだという。しかも役職がついている分、ザカリーからの風当たりも相当強いのだとか。


 心底疲れ果てた表情を浮かべながら頭を下げるエイベルを見たアビーは、彼を放っておくことができなかった。彼女の夫もまた彼の様子にいたく同情してしまい、商会に再就職してエイベルをサポートすることにしたらしい。


「あたしはこんな年ですし、人生経験もわりと豊富ですからね。会頭がどんな態度を取ったところで、サラッと流すくらいのことはできるんですけど、中にはそれができなくて心を病んでしまう子もいましてねぇ……」


 そこまでの状態になってしまうと、さすがのザカリーも簡単に手放すらしい。

 手放されたところで精神状態がすぐに落ち着くはずもなく、社会復帰に時間がかかる元従業員は多い。

 そんな彼らを見て、今いる従業員の多くが明日は我が身と怯えているのだ。


「それで従業員の募集をかけても、人が集まらないんですか?」


 一度そういった噂が流れてしまえば、商会のイメージは悪くなる。

 そのため人が集まらないという話も、充分あり得るだろう。


「ざっくばらんに言うと、そういうことですね」


 大っぴらにそんなことを言ってザカリーに目を付けられれば、それこそ一巻の終わり。だから誰もが口を噤むのだそうだ。


 けれど人の口に戸は立てられない。

 元従業員の家族らから内情が少しずつ漏れ出して、裏では「キャンプス商会では働かない方がいい」と言う噂が蔓延しているらしい。

 そのため今いる従業員の多くが、この街から遠く離れた土地の出身者で、キャンプス商会の実情をよく知らずに就職した者なのだとか。


「レナードさまは、お義父さまを諫めたりなどしないのですか? いくら会頭とはいえ、恐怖政治的な体制を敷き続けていたら、経営の土台が崩れかねないでしょうに」


「坊ちゃんはそういったことに無関心ですからね」


 アビーは困ったように笑いながらそう言ったが、目の奥に憂いの色が濃く滲んでいるのを、私は見逃さなかった。

 この気さくでお人好しの婦人は、レナードの態度に思うところがあるらしい。


「坊ちゃんも悪い方ではないんでしょうけど……何かと面倒ごとを押しつけてくる癖があるので、あまり評判はよくないんですよ」


 一度、隣国でしか作られていない貴重な絹を、翌日納品すると安請け合いしたことがあったらしい。

 けれど店には在庫がない。隣国までは汽車で片道一週間はかかる。どう考えたって翌日までに、絹を用意することはできないのだ。

 さすがのエイベルも、これには苦言を呈したのだけれど、レナードは


『俺の仕事は注文を取ってくること。そこから先はお前たちの領分だろう? 無駄口を叩いている閑があったら、さっさと手配しろよ』


 そんなことを平然と言ってのけたそうだ。


 どうやったって商品を用意することはできない。

 仕方なくエイベルが先方に出向いて、何度も頭を下げて十日後に納品することで調整したらしいが、それを知ったレナードは「うちの従業員の不手際で……」なんてことを電話口で恥ずかしげもなく話しているのを聞いて皆、怒り心頭だったそうだ。


 しかもレナードはこの件をザカリーに話したらしい。

 自分は全く悪くない、無能な従業員のせいで店は信用をなくすところだった……と。

 レナードの話を聞いたザカリーは烈火のごとく怒り狂い、全従業員を長時間に渡って激しく叱責したのだとか。


「取ってくる仕事は大口が多いから、商会のためにはなってるんでしょうねどね……でも坊ちゃんが将来この店を背負って立って大丈夫なのかって、不安に思っている者も多いですよ」


「そう……でも営業に回るなら、もっと店の在庫状況などを把握しておいてもよさそうなものなのに」


 在庫なんて、事務所にある帳簿を確認すればすぐにわかること。それもしないで営業に出るなんて、にわかには信じがたい。

 従業員たちの不安ももっともだ。

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