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お飾りの妻が愛する夫のために全力を尽くした結果  作者: すずしろ たえ


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ジュディ視点5

 店はこの辺りで一番賑やかな通りにあり、大勢の買い物客で賑わっていた。

 近頃流行りの新しい白粉(おしろい)を買い求めようと、若い女性客がごった返しているのを見て、ザカリーはフフンと鼻を鳴らしながら店舗奥にある事務室へと急いだ。


「今日も売り上げ好調で何より、何より」


 店内の賑わいに気をよくしたらしいザカリーが、浮かれたように言った。


「白粉だけで去年の倍以上の売り上げを叩き出していてな。今は猫の手も借りたいくらいの忙しさだから、あんたが店を手伝うと言ってくれてよかったよ」


「多くの女性が美に感心を寄せていますし、それに今売り出し中の新商品は鉛の毒が含まれていない物だそうですね。新聞で読みました」


 昔から出回っている白粉には鉛が使用されていて、その毒素が体を蝕むことがわかったのはつい数年前のこと。

 けれどそれに変わる商品が存在しなかったため、世の女性は恐怖しながらもそれを使うしかなかったのである。

 それが近頃、体に無害な成分の白粉が開発され、大きな商会がこぞってそれを販売し始めたものだから、大勢の女性が店に大挙して訪れるのも道理だろう。


「安全で健康被害の起こらない商品と聞けば、誰だって手に入れたくなりますわ。特にキャンプス商会の物はパウダーケースが繊細でかわいらしいと評判ですし」


「白粉くらいで顔の造作が変わるわけじゃなし、男からしてみたら金の無駄遣いにしか思えないが、売り上げが増えてくれるのは万々歳だ。おい、みんな。手を止めてくれ」


 事務所の入り口で大声を出したザカリーに、従業員が一斉に振り向いた。

 後ろにいる私に注目が集まる。


「レナードの嫁のジュディだ」


「初めまして、ジュディと申します」


 頭を下げて挨拶をすると、彼らは一様に驚いたような顔をした。


「お前ら、ジュディに仕事を教えてやってくれ。まずは雑務からでいい。じゃあ俺は集金に行って来るから、しっかりやれよ」


 ザカリーは集金鞄を手にすると、慌ただしく事務所を出て行った。


「改めまして、どうぞよろしくお願い致します」


「あー……はい、こちらこそ」


 一同の中で一番年嵩の男性が、困ったような顔をして返答をした。

 後に聞いたところによると、彼はエイベルといってこの店の番頭らしい。年の頃は四十代後半か五十代前半といったところだろうか。背は高いけれど痩せぎすで、度の強い眼鏡をかけている。やや後退した前髪が、首を傾げるたびにフワフワと揺れた。

 仕事を教えろと言われても、何を指示したらいいか思案しているのだろう。何しろ私は書類上だけとはいえレナードの妻であり、会頭のザカリーにとっては義理の娘。経営者一族に連なる私に、どんな仕事を与えればいいか、考えあぐねているようだ。


「あの、雑務から教えていただけますか? 片付けでも掃除でもなんでもやらせていただきますので」


「いや、しかしそれは……」


「私はキャンプス家に嫁ぎましたが、商店で働いた経験はありません。ですから、ただの一従業員として扱ってください」


「ですが……あなたは元々貴族のご令嬢と伺っておりますし……」


「そのことでしたらお気になさらず。貴族とはいえ、実質名ばかりですのよ」


 平民からの嫌がらせに屈したほどの、弱小貴族でしかないのだし、今頃身分差を気にしてもらっても困る。

 私に残された時間は一年しかないのだから。


「実家にいた頃は、領民と共に家畜を世話したり野良仕事をしたり、毎日クタクタになるまで働いたものです」


 一同の顔に驚きの色が浮かんだ。

 それも当然だろう。普通は貴族の令嬢が、そんなことをするわけがないのだから。


「領地は貧しいうえに過疎化が進んで人手不足……住民が力を合わせなければ、生きていけませんでした。それは平民だけでなく、領主であった我が家も同じこと」


 私は特に牛を追うのが得意だったんですの、とウインクをしながら軽口を叩くと、小さな笑いが沸き起こった。

 部屋の中に漂っていた緊張感が途端に緩くなるのを感じて、すかさず「ですから」と続ける。


「きっと皆さんのお役に立てるはずです。どうか新人従業員と同じく、どんな仕事でも与えてくださいませんか? 一刻も早く、仕事を覚えたいのです」


 そう言って頭を下げるとエイベルは少し困ったように微笑みながら「では……」と言って、事務所の掃除から始めるようにと言った。




 その日は事務所中の清掃や倉庫の片付けで、一日が終わった。

 レナードが出社したのは退勤時間近くになったころ。


「やぁジュディ、調子はどうだい? 商家の仕事は初めてだろう?」


「皆さんに教えていただきながら、なんとかやっていますわ」


「それはよかった。じゃあ俺はこのあと用事があるから、もう出るよ」


「用事、ですか?」


「あぁ。さっき街でアカデミー時代の友人に会ってね。結婚祝いに飲もうって誘われたんだ。君も時間になったら切り上げて、帰宅するといい。今日は父さんも帰りが遅いって言ってたし、母さんが寂しがることだろうからね」


 レナードは言いたいことだけ言うと、さっさと事務所を出て行った。

 その背中を、唖然と見送る。


 あの男は一体、ここに何をしに来たんだろう。

 仮にも経営者の家族なのだから、今日の売り上げや店の状況を従業員に聞くくらいの姿勢が、あってもいいだろうに……。

 ザカリーの手前、一応顔を出しておけばいいとでも思っているのだろうか。

 あまりの態度に呆れていると「若奥さん」と声をかけられた。

 掃除の仕方や手順を説明してくれた、アビーという年配の女性従業員だった。


「驚いたみたいですね。でも坊ちゃんはいつもあんな感じですから、あまりお気になさらず」


「いつも……ですか?」


「デスクワークはお嫌いのようで、いつも営業に回ってるんですよ。丸一日出社されない日もありますけど、今日は若奥さんが気になって、顔を見に来られたんでしょう」


 まぁ……なんて恥じらいの演技をすると、アビーは「新婚さんはいいですね」と言って朗らかに笑った。

 レナードの行動は、決して彼女が考えているものではない。

 あれは恐らく、仲のいい新婚夫婦であることをアピールしたかっただけのこと。結婚したばかりだというのに、夫が妻を顧みないのは外聞が悪いもの。これが原因で白い結婚が発覚するようなことがあれば、レナードはたちまち窮地に陥ってしまう。


 だから彼はやって来た。

 きっと、それだけのこと。

 アビーが考えるような甘いものでは決してない。


 レナードの考えはさておいて、私にも大事な目的がある。それを完遂するまでは、従業員たちに疑問をもたれるような行動は、できるかぎり慎んだ方がいいだろう。

 私の立てた計画が、レナードやザカリーの知るところとなれば、面倒なことになりかねないから。


 だからアビーに対して無言を貫きながらも、新婚らしく恥じらい混じりの微笑みを返すことにした。

 あたかも肯定しているふうを装って。



**********



 キャンプス商会で働き始めて十日。

 私は文字通り身を粉にして働いていた。


 朝は朝食を終えるとザカリーやレナードよりも早く出勤し、清掃を始める。

 商会の顔である店舗と表は特に念入りに。塵一つ、埃一つ見逃さないよう丁寧に作業をしていると、徐々に従業員たちが出勤してくる。


「おはようございます、朝から精が出ますね!」


 毎朝一番に、大きな声で挨拶をしてくれたのはアビーだ。ふくよかな体を揺すりながら、人懐っこい笑顔を向けてくれる。

 朗らかで温和な気性、そしてちょっぴりお節介な性格の彼女は、キャンプス商会の従業員たちにとっては『母』的立場にあると言ってもいいだろう。

 私も何度となく彼女に助けられ、少しずつ仕事を覚えていった。

 ほかの従業員たちは皆、多忙を極めているため、私に仕事を覚えるところまでは手が回らないようだし、ザカリーとレナードはほとんど事務所にいない。だからこの十日間は、アビーとマンツーマンで仕事をしているようなものだ。


「それにしても、本当に忙しいんですね」


「例の新しい白粉が販売されてから、余計に繁盛してますからね。おかげでみんな仕事量が増えて、猫の手も借りたいくらいの忙しさなんですよ」


「従業員の募集はかけないんですか?」


 そんな疑問を口にすると、アビーの顔から人の良さそうな笑顔が一瞬消えた。そして視線を少し彷徨わせたあと、躊躇いがちに口を開いた。


「この商会もいろいろありまして……募集をかけても人が集まらないんですよ。ですから若奥さんがあたしたちと一緒に働いてくださって、本当にありがたい限りです」


 アビーはそれ以上の言葉を口にしなかったし、私も深くは追求しなかった。

 もちろん、従業員の募集が難しい理由は気になる。けれど無理に聞き出さなくとも理由はいずれわかるだろうし、それよりも強引に聞き出してアビーとの関係性を壊すのは避けたいところ。

 私に仕事を教えてくれる人間は彼女以外はおらず、アビーに距離を置かれて一番困るのは私自身なのだ。


「もう少しで掃除が終わりますから、そうしたら次の指示をいただけませんか?」


「では今日は、在庫管理の作業をお教えしますね」


「わかりました。よろしくお願いします」


 こうしてアビーの指導の(もと)、少しずつ仕事を覚えていく。

 実家にいたころは農民さながらに暮らしてきた私に、商家の仕事はとても新鮮の一言に尽きる。

 めまぐるしくも、家庭内のこと以外は充実した日々。

 この新しい環境を、私は喜んで受け入れた。


 けれど、懸念がないわけではない。

 ケイティに出した手紙の返事が来ないことが、私の心を少しずつ覚束ないものにしていたのだ。

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