「これからよろしく」
ケーキを作り終えると、外はすっかり夕方となっていた。
ロイロスの使い魔がいるという丘の上の公園へ行く途中、ルーゼンは何かを思い出したように手を叩いて「先に行っておいで」と坂を下っていった。
「何をしに行ったんですかね?」
「さぁ…」
二人は茜色の夕日に照らされながら、足を進める。
「夕日、綺麗ですね」
「ええ、なんだかイチゴみたいです」
「イチゴですか?」
ミーレクの独特な比喩に、ロイロスは笑いをこぼした。
「べ、別にイチゴでもいいじゃないですか!」
子供のように拳を握って抗議するミーレクの姿は、小動物的な可愛さがあった。
「そうですね」
ロイロスは優しくそう言うと、坂の上にそびえ立つ木を見た。
「さて、着きましたよ」
丘の上の公園は、夕暮れ時というのもあってか人がまばらだった。
公園の真ん中にどっしりと根を張っている巨木の上で、その青と黄の双眼がキラリと星のように瞬く。
「ロイス…貴様、もう戻って来たか。しかも女連れとは…我を馬鹿にしているのか?」
その可愛らしい声には、棘がビッシリと生えたような鋭さがあった。
「違うよ、スピカ。この人はケーキを作ってくれた人で…」
「…ほぅ?」
ケーキという単語に、暗闇の中で輝く目が、一瞬だけ大きくなる
「言われてみれば、先程から甘い匂いがするな。そこの女が作ったのか?」
「は、はい! 私が作りました!」
ミーレクは、緊張した面持ちでケーキの入った箱を掲げて言う。
「断じて、誰かに手伝わせてなんてないです!」
もちろん、嘘である。
スピカの青と黄の双眼は「そうか…」と小さく呟くと、暗闇の奥へと消えていった。
そして、何かが小さく爆発するような音とともに
「よっと…どれ、我がそのケーキを食ろうてやろう」
木の幹に足をかけて地面を降りて来たのは、オッドアイの少年だった。
それが、スピカが人に化ける時の姿なのだろう。
「か、可愛い…」
漆黒の髪からは同じく真っ黒な猫耳が生えており、目はクリッとして丸い。
首元の可愛らしい赤いリボンが、陶器人形のような白い肌とよく合っている。
「なにか言ったかね?」
青と黄の瞳にギロリと睨まれ、ミーレクは口を噤んだ。
「い、いいえ…なにも」
二人と一匹は木の下に置かれたベンチに座った。
「はい、どうぞ」
目の前に置かれたチーズケーキを見て、スピカはクンクンと匂いを嗅ぐ。
「うむ。普通のチーズケーキだ」
そして、髪の色と同じ黒の手袋でフォークを持つと、ケーキの先端部を少し切り取った。
「いただきます」
二人に見守られる中、律儀にそう言うと、少年スピカはフォークをそっと口へ運ぶ。
「…っ!?」
次の瞬間、チーズケーキの爽やかな甘さと風味が花火のように爆ぜた。
後から、ビスケットのサクサクとした食感が、その甘さを寄せては返す波のように攫っていく。
「……美味しい…」
スピカは、目を丸くしたままそう呟いた。
そして何かに取り憑かれたように、ケーキを少しずつ切り取っては口に運びを繰り返す。
「気に入ってくれたなら何よりです」
「良かったぁ…」
スピカの美味しそうに食べる様子を見た二人は、ホッと安堵の息を漏らした。
「あれ? もしかして、もう食べちゃってた?」
すると、坂の下から声がした。
声の主はバスケットを抱えたルーゼンだった。
「あ、ルーゼンさん。…何ですかそれ?」
「何って、コーヒーだけど?」
バスケットの蓋を開けて取り出したのは、真っ黒に輝く小瓶と、真っ白に揺れる小瓶だ。
「やっぱ、ケーキにはコーヒーでしょ!」
「ナイスタイミングですね、流石はルーゼンさん! でも、私は紅茶派です!」
「それ今言う!?」
スピカとロイロスはお互いを一瞬見合って、笑った。
二人の漫才のようなやりとりに、スピカのロイロスに向ける険悪な感情は、どこかへと消えていたのだった。
お互い魔族同士だからか、スピカとルーゼンはすっかり意気投合していた。
側から見ると、孫とそのお爺さんのようだ。
「可愛いですね、スピカくん」
楽しげに笑うスピカを見て、ミーレクは頰をほころばせる。
「そうですか?」
「そうですよ」
ロイロスは不思議そうにミーレクを見て、コーヒーを一口啜った。
「アイツとは、小さい頃からずっと一緒なんですよ。昔、俺が森で迷子になってモンスターに襲われそうになった時、助けてくれたのがアイツでした」
「へぇ…」
人が傷ついた魔族を助けるのは稀に聞くが、その逆はなかなか聞いたことがない。
ミーレクは興味深そうに相槌を打つ。
「それからなんだかんだあって、今ではお互いがお互いを守れるくらいになったんです」
ロイロスがスピカを見るときの目は、優しさで満ち溢れていた。
まるで、手のかかる弟を見るような、尊敬している兄を見るような目だ。
「…って、すみません。俺の話なんか…」と、ロイロスは恥ずかしげに頭をかく。
「そんなことありません!私、もっとロイロスさんのこと知りたいです」
そう首を振るミーレクに、ロイロスは口をポカンと開けて「え…」と声を垂れ流した。
「あっ、今のは普通に友達としてですよ!?」
ミーレクは、頬を少し染めて手をクロスする。
「…誰かと一緒にケーキを作ったりするの、すごく久しぶりでしたし…その、とても楽しくって…」
「そう、ですね。…俺も凄い楽しかったです」
夕日は既に地平の底へと沈み、街明かりが宝石のようにポツポツと浮かび上がっている。
しばらく、沈黙が二人をぐるりと取り囲む。
「…綺麗ですね、夜景」
「ええ、とても綺麗です」
その時、コーヒーを取ろうとした二人の手が触れ合った。
「「あっ…」」
二人は今は地の底にいる先ほどの夕日のように、顔を赤く染め上げた。
「…俺の名前、良ければロイロスじゃなくてロイスって呼んでください」
先に沈黙を破ったのは、ロイロスだった。
少し遅れて、ミーレクも言う。
「…じゃあ、私はミーレで」
予想外の反応だったのか、ロイロスは驚いた様子だったが、すぐに優しげな笑みを浮かべた。
「はい。ミーレさん」
ミーレクは頰を緩めながら訊ねる。
「これからも、またこんな風に会えますかね?」
「会えますとも。というか、俺もこんな風にまたケーキ食べたいです」
照れ臭さが隠しきれていないロイロスに、ミーレクは口元をほころばせた。
「じゃあ、これからもよろしくお願いします。ロイスさん」
美しいテュロスの街には、こんな噂がある。
丘の上の公園の樹の下で、一緒に食事をした者同士は、不思議な縁で結ばれる。
そう言った噂に疎い二人は、そんなこともつゆ知らず、これからもここでケーキを食べようと約束を立てた。
「…はい!」
ロイロスは嬉しさのあまり、満面の笑みを浮かべる。
そんな二人を見守るように街の上空では、パウダーシュガーを撒いたように、星たちが瞬いていた。