「出逢ってしまった?」
翌日、ミーレクは大通りへと出向いた。
大通りは様々な人や魔族で溢れ返り、ケーキ屋のある裏通りとは違って至極華やいで見えた。
大勢の足で石畳がほとんど見えない。
ひとまず、噴水広場でチラシを配ってみよう。
そう思った途端、ミーレクは真っ黒いカーテンのようなものとぶつかった。
「ひゃっ!?」
そのはずみで、持っていたチラシを少し落としてしまう。
チラシたちはヒラヒラと弧を描きながら、石畳にそっと落ちた。
「す、すみません」と、ぶつかってしまった黒いローブの青年が振り向いてチラシを拾い上げる。
「い、いいえ…こちらこそ、ごめんなさい」
すると、チラシを拾おうとした二本の手が触れ合った。
「あっ…」
「あ…」
と思わず、二人は互いの顔を見る。
一瞬だけ周りの喧騒が遠のいていくような感覚がミーレクを襲った。
「おーい!ロイス!どこだー?」
そこへ、人混みの向こうから若い男の声が飛んできた。
「あ、ごめんなさい!もう行かなきゃ」
ハッと我に返ったローブの青年は、慌ててチラシを拾い上げると、そのまま人混みの中へと消えていった。
「あ、はい…ありがとうございました」
ミーレクはただ呆然とチラシを抱えて、青年の去っていった方を眺めていた。
「チラシ、持ってかれた…」
… まぁ、もともと配るもんだから別に良いよね。
気を取り直して、ミーレクは再び人の濁流をスイスイと進んで噴水広場に到着した。
「やっと着いた…。人多すぎでしょ…」
このままでは、チラシを配るまえにへたばってしまう…と身を案じたミーレクは、紙束を抱えて白い噴水の端に腰掛ける。
勢いよく湧き出る水のお陰で背中がひんやりと気持ちいい。
少し落ち着いてから広場を眺めてみると、春の陽気の中で人々の楽しげな声が響き渡っていた。
魔族との戦争が終結してから20年。
ルーゼン曰く、人々の世界にも魔族が来るようになり、テュロスの街はより一層賑やかさを増したらしい。
「平和って、良いなぁ…」
下級モンスターは現れても、以前よりはだいぶ平和になったに違いない。
戦争時代を生きたわけじゃないが、それはよくわかることだった。
一体どれだけの人が、魔族が、犠牲になったのかなんてわからない。
だが、今残された者たちにはそれをどうすることもできないし、むしろ今を楽しく生きるべきだと、ミーレクは思っていた。
先人たちの残したこの世界を無駄にしないように…と。
「さて、そろそろ始めないと日が暮れちゃう」
ミーレクはチラシの束を胸に抱きかかえて、広場を周り始めた。
○
時刻は正午。太陽は人々のちょうど真上に到達し、その眩しい顔を満天下に知らしめている。
商店街の方から肉を焼くいい匂いが、ほんのりと鼻をくすぐる。
「ありがとうございます!是非いらしてください!」
ミーレクはチラシを受け取る子連れの親子に、とびっきりのスマイルを飛ばした。
配り始めてから約二時間ほど経ったが、持ってきたチラシの半分くらいが減っていた。
これは思ったよりも上々だ。
この調子でどんどん宣伝していこう! と息巻いていたが、親子連れに渡したのを最後にパタリとチラシを受け取ってくれる人が居なくなってしまった。
「なんでだ…」
すっかり意気消沈した様子で、再び噴水に腰を下ろす。
楽しそうに笑う人が目の前を通り過ぎるたびに、自身が喧騒から孤立していくような気がした。
"誰一人知らない人混みの中こそ、本当の孤独である"とは、誰の言葉だっただろうか?
次第に、ミーレクの表情から焦りが滲み出てくる。
このまま誰も受け取ってくれなかったらどうしよう…
あの寂れた通りに呑み込まれて、自分の店もああなってしまうんじゃないか…
砂時計の砂が時間の経過を表しつつ下へ積もっていくように、ミーレクの心には不安が降り積もっていた。
…いや、こんなところで躓いてたらケーキは絶対に売れない。
「負けちゃダメだっ…」
ミーレクは心の中で自分を鼓舞し、再びチラシを抱えて重い腰を持ち上げた。
後半のほとんどは意地とケーキへの熱意を糧にチラシを配った。
その熱気に押されたのか、午前中よりも受け取ってくれる人がやや多かった。
そして、ついにあと一枚。
時刻は午後3時と、配り始めてから優に5時間を超えている。
糧としていた意地も尽きた。
昼ごはんも食べてないから、お腹が空いて死にそうだ。
「あの…これ、受け取ってくださ…い」
息も絶え絶えな様子で最後のチラシを渡したのは、見覚えのある黒いカーテンのようなローブだった。
「あ、貴女は!?」
ローブの青年は、満身創痍なミーレクの肩を支えて驚嘆の声をあげた。