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おりがみ天音の日常譚  作者: 物部がたり
ゴールデンSTRAYドッグ
3/68

ゴールデンSTRAYドッグ③

 天音のロッカーは個室の一番、奥にある。ロッカーを開けると、制服が綺麗にたたまれ置いていた。

 天音は着ってきた、白いブラウスのボタンを上から順に外していった。


 マネキンが短パンと合わせて着ていたのが、かわいいなと思い衝動的に購入したブラウスだ。それ以来、涼しいので夏場はよく着ている。

 

 脱ぎ終わった、ブラウスをベンチに置き、それと入れ替えるように制服に腕を通しボタンをした。


 店長がサイズを間違えてしまい、それいらいこの一回り大きい制服をきているのだ。制服のサイズが少し大きいせいで、袖が手にかぶさってしまう、世にいう萌え袖というものだ。


 なぜ、萌え袖が男に人気があるのか、天音には理解できなかった。あんなの、ただのぶりっ子ではないか、と悪態をついた。


 だから毎回、二回袖を折って調整している。調理をする訳ではないのでこの征服でも大丈夫だ。最後に店の名前が刺繍された帽子をかぶり、となりに置いている大きな姿見で乱れがないか確認した。


 姿見で全身を映してみると、佐倉とは全く違うスタイルにいつも気を落としてしまう、その度に人は人自分は自分、となんの励ましにもなっていない事を思って気持ちを取り戻しているのだ。


「顔は悪くないんだけどなー……あいつはどう思っているんだろう――」


 とある男の顔が頭に浮かんだ。悩んでいても始まらない。ロッカーを閉めて天音は個室を出た。



 今から、忙しい時間に入る。外に並んでいた、お客様を先頭から席に案内する簡単な仕事だが、唯一簡単ではないのが、たまにクレームを言ってくるお客様がいることだ。


 テーブル席が十、カウンター席が十五ある。どこに座っても、店長自慢の庭が見えるようになっていて、外から入る明かりで光と影のコントラストがいい味を出していた。

 開店そうそうすべての席が老若男女で埋まった。


「いらしゃいませ」


 天音はぞろぞろと入ってくる、お客様を出迎えていった。


「とんかつ定食が三、上握りが一つですね」


 天音はメニューを読み上げて、お客様の注文を確認した。

 確認した注文を店長に知らせるため、一旦厨房へ戻り、注文を取った紙を店長の見えるように、張り付けた。

 出来た料理から、注文した人の元へもっていく。本当に簡単な仕事だと思った。


 その時、ガッシャン! と厨房から皿が割れる音が響いた。椅子に座っていた、お客様の誰もが厨房に続くのれんを見つめていた。


「申し訳ございません」


 天音は一歩下がって手に持ったお盆を抱えて、深く頭を下げた。トラブルがあった時はとにかく、頭を下げなければならない、これも仕事の内だ。


 背中から、のれんに吸い込まれるように入って、状況を整理しようと厨房内を見渡したら。


 佐倉が割れた食器を拾っている。

 失敗は誰にもあるが、佐倉がこんな失敗をするなんて考えられなかった。

 佐倉の失敗を見ること自体初めてのことだった。そういえば今日の佐倉は少し様子がおかしかった。


「大丈夫!」


 天音は佐倉に駆け寄って佐倉の手を摑んだ。


「ごめんなさい……手が滑って……」


「危ないから、(ほうき)でした方がいいよ」


 天音は箒と塵取りを持ってきて掃いた。


「折神さん、ごめんね……」


「いいの、いいの、それより怪我してない?」


「うん、大丈夫」


 天音は食器の破片を集め、まとめたガラス片を塵取りに入れた。元気がなかった佐倉はますます、元気を失った。


「店長……ごめんなさい……弁償させてもらいます……」


 佐倉は店長に向かって深く頭を下げて謝った。十秒は下げていただろうか、一向に顔を上げようとしない佐倉に店長はいった。


「いいって、失敗は誰にでもある。次から気を付けてくれたら、だから顔を上げてくれ」


 店長は子供に言い聞かせるように、優しくいった。

 そう、いっている間も料理を作る手を止めていなかった、他に気を取られていても手を休めない、こういうのをプロというのだろうと天音は思った。


「これを運んでくれ」


 店長は出来上がったばかりの料理を天音に渡した。


 受取ったばかりの、とんかつ定食を天音はお客様が待つテーブルに運んだ。すべて、料理を置き終わると「先ほどはすみませんでした」と、もう一度軽く頭を下げた。


「気にしてないからいいよ」


 優しそうな初老の男の人がいった。


「それより、怪我はなかった?」


 初老の男の向かいに座る女の人が、眉根を寄せていった。その二人からは落ち着いた雰囲気が、かもし出されていた。

 夫婦だろうか、天音はどうでもいいことを考えた。


「はい、大丈夫です、怪我はありませんでした」


「良かった」


 初老の女の人は、目を細めて微笑んだ。目尻に浮いた小じわを気にする、素振りも見せず笑った。なんて綺麗な、おばあさんなんだと、天音は思った。

 天音もこのおばあさんのように歳を取りたいものだ、と本気で思った。


「ありがとうございました、ごゆっくりくつろいでください」


 今度はお礼の気持ちで頭を下げて、のれんに引っ込んだ。



 なんとか忙しい時間が過ぎて、一息つけることになった。


「お疲れさん! 今日も繁盛(はんじょう)したな。まあ、休んでくれや」


 そういって余った、親子丼をどんぶりに盛って天音と佐倉に手渡した。

 忙し過ぎて忘れていたがもう二時過ぎになっている。張りつめていた気がほぐれ、急激にお腹を締め付ける感覚を感じた。


 いつもバイトがある日は、二時ぐらに店長がまかないを出してくれるのだ。

 大抵はあまりものだが、機嫌がいいときは食べたい物を特別に作ってもらえた。


 まかないも付いて、自給もいい、これ以上良いバイトはないだろう。


 厨房に一か所だけあるテーブルに、佐倉と向かい合って店長から受け取ったどんぶりを並べて座った。いつもなら、気付けば完食しているほど美味しいまかないだが、今日は違った。


 空気が重すぎて、味が分からないからだ。沈黙がこの場の空気を侵食して、目に見えて分かるほど照明の明かりが暗く感じられる。

 佐倉はどんぶりに箸を付けずに、首を垂れて動かない。


「……あの――今日元気ないね……何かあった?」


 上目遣い気味に佐倉の顔をうかがい、天音はいった。天音はうつむく佐倉の顔を見た。天音は佐倉の朝露に濡れた草のような光を放つ、まつ毛に見惚れていた。


 ピクっと肩が震わせて、一瞬何かを考えるような迷いがあったが、佐倉は動いた。うつむいていた顔がギョっと上がり、艶のある唇が少し開いて、いった。


「実は……」


 聞かれるのを待っていたのか、佐倉は糸が切れたように語りだした。


「実は……飼っていた犬がいなくなっちゃたの……」


 天音は箸を止めて、佐倉の話に耳を傾けた。


「家でゴールデンレトリーバーを飼ってるんだけど、その子が三日前にいなくなって……家の周辺にもいなくて……。――今まで、いなくなるなんてことはなかったのに……」


 そう語る佐倉の顔は今にも泣きだしそうに歪んでいた。その顔から、どれだけ犬を愛していたかが伝わってくる。動物好きの天音にも痛いほどに、愛犬を案じる佐倉の気持ちが分かった。


 そして、今朝のラジオ放送と今の話がジグソーパズルのピースのように綺麗につながる感覚が天音の頭を駆けた。


「――もしかして、今朝放送されてた行方不明の犬って――佐倉さんの犬だったの?」


 泣きそうな顔を正面から見返すのに気が引けて、天音は目を少し逸らし気味にいった。


「うん、その犬が私の飼ってた犬なの……今日ここに来る前に役所に行って放送をお願いしてきたの」


 その時、天音の頭に今朝母が口にした《この暑さで三日も見つかっていないんじゃあ……》という言葉がよぎった。


「こんなに暑いうえ子供を産んだばかりで、体力もないのに……」


 今までこらえていた涙が、佐倉の瞳から流れ落ちた。目が赤かったのは犬を思い、泣いていたからだったのだ。


 何といってあげればいいのだろう、悲しむ佐倉に無責任な言葉はかけられない。

 顔を落として泣く、佐倉を見守りながら天音は自分に何ができるか考えた。

 

 重い沈黙が、テーブルの周辺を何層にもコーティングして、涙の匂いが梅雨の湿っぽい空気に思える。天音が佐倉に言えるのはこの、答えしか思いつかなかった。


「佐倉さん、良ければ私にも犬は探すの手伝わせてくれないかな!」


 考えた末に導き出された答えが、無意識に天音の口からこぼれ出ていた。

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