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14 優しい口実

 明け方、目覚めると焚き火の周りにリリヤドールの姿がなかった。少なくとも森のなかでは俺よりも索敵能力に優れている彼女が、なにか外敵に遭遇して危険な目にあっているという可能性はあまり考えられない。けれどゼロでない以上、気にならないわけではない。俺はライフルを片手に腰を上げた。


「とはいえ、どこへいったのやら」


 キャンプ地までの道中、小川や泉といった類のものは見つけられなかった。こんなとき、エルフたちのように魔力を通じて他者を感知できれば楽なのだろうけれど。ここが深い森ならば闇雲に探しても逆に遭難してしまう恐れがあるが、一周するのに三十分もかからないような小さな森であれば、方方歩き回って探してもすぐに見つかるだろう。


 そんな浅はかな考えのもと、散歩がてら適当に足を動かした。当然リリヤドールを見つけることなどできるわけもなく、いつの間にか俺は森の切れ目にたどり着いていた。

 雨はすでに止んでいて、水分を多く含む空気が霧になって草原のところどころを白く染めていた。静かな朝。だが涼しいのは今だけで、すぐに暑くなるだろう。虫たちもやがて目覚め、歌い始めるはずだ。もう夏の終わりとはいえ、いまだ残暑は厳しい。


「この国の森は小さいのばかりじゃの」


 ふいに声をかけられ、振り向くとエルフの少女がいた。俺のレンだ。いいや、俺が彼女のレン、か。


「平野の森は小さいが、山の森は大きいぞ」

「そうなのか?」

「レデルハイト地方……ニヤラのある大森林に比べれば、どれも小さいものだろうがな」

「やっぱりニヤラの森は凄いのだな」


 リリヤドールは誇らしげに微笑んだ。


 聞けばリリヤドールは、この旅を通じて初めてエルフの森から出たらしい。旅を続けてすでに二ヶ月は経っているそうだが、まだまだ世界は鮮やかに見えている。もっといろんなところを見せてやりたいと思いつつも、それができない現状が悔やまれる。

 何百年も王都を守り続けてきた分厚く巨大な都市壁を目の当たりにしたリリヤドールは、きっと目を丸くして驚くだろう。

 夜も絶えない繁華街の灯りには、目を眩ませてしまうに違いない。

 もしも王宮から城下の夜景を目にすれば、きっと夜空が落ちてきたみたいだと、子供のようにはしゃぎ喜ぶだろう。

 王都で流行りの洋服を身に纏えば一端の町娘に見えるようになるだろうか。

 あるいは、レースのふんだんにあしらわれたドレスを着れば、スカートの裾をふわりと広げるために、いつまでもいつまでくるくると回り続けるかもしれない。


「戻ろうか。そろそろトーヤも起きるだろう」


 そう言って踵を返すと、ふいに上着の裾が引っ張られた。


「ず、ずっと聞かねばならぬと思っておった」


 振り返るとリリヤドールが何やらひどく不安にかられた表情を浮かべていた。


「何を?」


 聞かねばならぬと彼女は言うが、俺に思い当たる節はない。王子だったことは話したし、それ以外に隠し事などない。後はせいぜい趣味が読書とかだとか冬が嫌いだとか、そういうことくらいだ。まさかそのような雑談に強張った表情をするわけもない。そして「聞かねばならぬ」ということは、彼女自身の告白でもないということだ。もしそうならば「告げねばならぬ」と言うだろうから。


「お主は、この間の田舎町で自身が王族であったと告げたな」

「ああ」

「では、お主にはすべきことがあるのではないか? わしのレンとなればそれは果たせなくなるのではないのか?」


 リリヤドールは、侵略された国を取り戻したい思わないのかと問うているのだ。王族として侵略者から臣民を守らねばならぬのではないか、と。だがリリヤドールは勘違いをしている。


「ニヤラでは……エルフたちの価値観がどうかはわからないが、ヒトにとって、特に下々の民草にとって、支配者が誰であるかなどは、些末な問題なのだ。いや、些末でさえない。本当にどうでも良いことなのだ」


 王とは、民草にとって自分たちの住む土地を治める領主の主人。ただそれだけの存在だ。郷土愛という意味での愛国心はあれど、王家に対する忠誠心など民たちにありはしないだろう。であれば、俺ひとりになってしまったヴィゼルグラム王家のために、いったい誰が戦うというのか。それは俺にとっても同じことだった。

 復讐をしろと言うか。そのような無意味なもののために何十年という歳月を準備に費やし、成算の薄い戦いを挑む理由がいったいどこにある? ノルバレン大公を恨んでいないと言えばそれは嘘だ。だが、命を賭けて戦い、幾千幾万の命を犠牲にし、その上に成り立つ勝利によって得るものが自己満足だけというのは、なんとも愚かしいことではないか。なかには、名誉を守ることを愚かだと言う俺を諌める者もいるかもしれない。最愛の家族を奪ったノルバレン大公への復讐も決意できない俺を臆病者と謗る者もいるかもしれない。あるいは人でなしと。


 だが、それでも俺は前へ進むことを選んだ。わかっている。聞こえは良いが、結局俺はイニピア王国の行く末から逃げたのだ。


「……口実なのだ」

「口実?」


 首を傾げるリリヤドール。


「お前は、王族としての役目から逃げる自分を責めていただろう。俺は、そんなお前の罪を赦すことを自分が逃げる口実にしたのだ。もう、俺にこの国で何かを成す意思はない」


 だからお前が気に病むことはないと告げると、リリヤドールは複雑そうな笑みを浮かべた。


「それは、お主が守りたいものをすでに失ってしもうたからじゃろうて。じゃが、わしは言うぞ」


 彼女は俺に向き直る。その笑みは相変わらずの困り顔だけれど、


「ありがとお」


 彼女のその言葉はひどく切実に思えた。


「じゃが、いつか必ずお主の亡くなっていしもうた家族を弔いにここへ戻ってくるのじゃぞ。これは、自由となったわしが、お主にこの国を案内させる口実なのじゃが」


 リリヤドールはなんとも優しい口実を口にしたのだった。

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