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神たる者の人間神話  作者: 高松ノ竹
3/3

第二章

   第二章 眷属という名の愛玩者


       1


 此処は未開拓分野都市(フロンティアシティー)にある小さな小さな闇の部分。

 未開拓分野都市(フロンティアシティー)γ(がんま)区。

 造りかけで捨て置かれた建造物が無数に存在し、そこには世捨て人、浮浪者なんかが住み着いていたりする。誰も寄り付かず誰も住んでいない、いるのは裏稼業なんて言われる仕事を成合(なりあい)にしている人間程度だろう。

 ゴーストタウンそのもの。

ここで、ふと考えてみるべき事柄があったりする。

 好んで路地裏だとか地下通路だとか、そういう湿っぽい所で商売なり密売なりをしている人間達は、自分の身の危険についてはどう思っていうるのか、と。今の世の中、同業者同士の殺し合いなど(にち)(じょう)()(はん)()レベルではないか。

 それだけではなくとも、あんな嫌な湿気と生臭さと汚さが入り混じった場所なんかに永遠留まり続けるよりかは、真っ当にアルバイトでもして稼いだ方がまだ良い生活をできると考えられる。

 おまけに、同乗者がテレビなどで警察に捕まっているのを見ながら、いつかは捕まるかもしれないという恐怖を背負って生きていかなければならないのである。        

 以上から、結局こういう場所に好んでいたがる人間の心理は分かり兼ねると、ぼーっとした疑問を浮かべていた(しん)(せい)(せい)()(仮)だったのだが、そう言いながら足を踏み入れている自分に対して微妙に惨めになりながら、静かに溜息を吐くのである。

もしかしたらそういう業者自身も薬物やらを使用しているのかと考えたのだが、最近はどうもそうでもないらしく見えた。

 なら何故か。

 答えは簡単だ。

 職業に生き甲斐(がい)を感じているのである。

 納得がいった。

 そう。

生き甲斐なんて人それぞれ。古今東西、様々な人格を持った人間が存在するのだから、そういう思考の持ち主もきっと存在するのだろう。

では自分はどうか。

それを見つける為にも、此処へ足を踏み入れる事は多少なりか意味があるように思えるのもまた事実。

(にしても腹減ったな……)

 空腹でぐるぐると小さな音が身体内部で鳴っていた。

(という訳で、怪しげな薬売人から何か食べ物でも頂くか?)           

 内心、そんな風に笑いながら流石にあれを食べたいとは思えない神聖なのである。

 だがまるで、神聖の心境を悟ったかに見える身なりだけは商売人らしき、気持ちの悪い黒いイボを額に精製した男が近寄ってきた。

「どうやらお腹が空いているようですな~、どうです? これ一粒食べるだけで、心も腹も満たされますぜ」

「本当か?」

 試すように、だが低い小さな声で言った。

「ええ、私はこんな汚ねえ場所に住んでいますが、心の信念だけは曲げずに生きてきましたから。どうです、あんさん、大分狼狽しているみたいなんでえ、今回だけはただで差し上げますぜ」

 成る程な。

 神聖は単純に感心した。

 顔だけ見ると確かに朗らかに見えるし、何より、身も心もついでに腹もすっからかんな人間にとっては、まるで願いし物を与えてくれるサンタクロースにでも見えるのだろう。

 実際、自分自身そう見えなくもなかったので、ふと考えてしまう神聖だった。

 だが。

 当然の如く。

「いや、今はやめておこう。生憎、まだ心は満たされているんでな」

 束の間、本の少しの間だけ、密売人であろう男は驚いた目つきをしたが、直ぐに黄ばんだ汚い歯を見せて笑った。

「どうやら、あんたは無理そうだ。他を当たろうかね」

 そう言って、全く落ち込んだ感じはなく去って行くのである。むしろ思いのほか面白い人間に会って楽しかったという顔で。

 まあ正直言って。

見るからに不味そうだったし、第一、絶対的に美味しくはないのだろうから。後もう一つ挙げるとすれば、今は量と質、どちらも求めているので、それらの商人に頂く訳にもいかない。

大体この辺の大まかな諸事情は考えが(まと)まった訳だし、そろそろ脱出しようと(きびす)を返してまた歩き出す神聖。

(此処は所謂(いわゆる)、この未開拓分野都市(フロンティアシティー)の闇の部分なのか? あなたならどう考えるだろうか? ワトシン君……)

 誰も居ないのにも関わらず、真剣見ある顔を見せながら目の前に人物が存在しているかのように呟く神聖。どこかにいる誰かに伝ようとしていた。

(通信手段的な何かを見つけたら教えてくれよ)

 その時、まるで呼応したみたく風が吹き、神聖の髪が大きく揺れた。合図であり答えであり意見でもあるそれを受け取った神聖は拳を握った。

(そうか……さてと、早く行かないと腹の方の調子が悪くなる――)

 首を回して(つむ)っていた目を開けたのと同時に、何か身体にぶつかった重みが伝わってきた。自分よりかは非常に軽い生物的な何かが。

「きゃっ」

 そこには尻餅を付き、恐怖のあまり顔を大きくひしゃげさせて涙を浮かべる、今朝自分を突き放した少女の姿があった。差し迫ったというより何かに怯えている様子である。とにかく尋常ではない。

「ん、ん?」

 神聖はぶつかられて少し驚きはしたものの、それよりも重要な明らかにおかしい疑問が脳内に浮かんだ。この世界の平穏な暮らしをしている人間なれば誰もが思う事柄。違和感を抱かなければならない。

 何故、こんな歪んだ場所に? 女子高生が?

 足はがくがくに震えており、尻餅を付いてから起き上がれていないみたいだ。八〇を超えたお婆さんやお爺さんじゃああるまいし、直ぐ立ち上がれる筈の少女はどうしてこんなにも固まっているのか。

 つまり答えは一つだ。

 足が竦んでいるという事だ。

 

      2

 

  今夜の風紀委員会議は長引いてしまった。何でも、最近、生徒の服装の乱れが多いというのと、学校生活の素行が悪いとかで色々と話し合いになり遅くなってしまったのだ。

 という理由(わけ)で、時刻は八時半。

 三条早苗は疲れに疲れてぐったりとしながら帰路を歩いていた。

(もうこんな時間か……)

 クラブをやっている人間ですら七時半には帰宅しているといのに、これはもう高校生が帰る時間とは言えない。

 担任教師の須藤が言っていた吸血鬼(ヴァンパイヤ)の事が脳内を過ぎり、思わず身震いをして足早になってしまう。

 自宅までの距離は時間にして三〇分程。

 その決して短くない時間が今日はとても歯がゆく感じてしまう。

 まあいつも通りなのだが、途中から狭い道に入り人気が無くなる。日頃は何とも感じないのだが、ついつい誰かに付けられている感覚に襲われてしまう。それは人間の感情的な問題だと誰かが言っていた気がするのだが。

 自分の影が誰か別人の影に見えるのもその為だ。

 おかしい。

 いつもの狭い道に入る以前の比較的大きな道路にも誰も見当たらない。考えすぎと思ってしまうかもしれないが、今日の心境としては仕方のない事だ。

 赤い満月は不安を駆り立て、動悸を早くさせる。

(考えすぎ! 考えすぎ!!)

 無意識の内に先程よりも更に足早に、もう殆ど走っていると言っていい速さになってしまう。

 息が走り終わった後さながらに荒くなる。

 誰かの(しゅん)(びん)な足音が聞こえてきている気がする。

 もう後ろを振り返れない。

 刹那……だった。

 目の前に、不気味に淡い白い光を放つ蛍光灯(けいこうとう)に照らされた……(ねずみ)(いろ)なマントで全身を覆った無数の人影が迫っていたのは。

(なん、で)

 ぴたりと足が急停車した。

 全身が震え始めた。

 だが、自分が十字路にいる事に気づいた時には、つまり退路を完全に塞がれた訳ではないと知った瞬間には身体は反射的に動いており、右に曲がってはがむしゃらに前も見ずに走っていた。

 目尻は熱くなり、恐怖で助けの声も出ない。

 後ろから無数の足音がして来る。

(助けてよ……誰でもいいから助けてよ)

 右に曲がり左に曲がりまた右に曲がり左に曲がり、直線をかけ抜け時間がどれだけ経っているのかも理解しえない。どれくらい走っているのか自分でも分からなくなり、とにかく誰かまともな人間が大勢いる場所に辿り着きたかった。蛍光灯の奇怪な薄れた光ではなく、もっと明るい見れば安心するコンビニの光だとかを見つけたかった。

(誰でもいいから……誰か、誰かお願い)

 何分、いや何十分、何時間経っただろうか。

 ふと何気なく俯いていた顔を上げた。

 そこでまた絶句する。

 絶望にのしかかられ押し潰される、そういう状況だと単純に理解できた。

 そこは何もない誰もいない最悪の場所だった。

 眼前に広がるのは無数の廃墟やら使われなくなった工場だけ。人なんている筈もなく、いたとしてもそれは善良な一般市民とは掛け離れた存在だろう。  

 張り巡らされた黄色なテープが全てを悟らせた。この場所が絶対な立ち入り禁止区域であり、未開拓分野都市(フロンティアシティー)が統括されていない場所。

 つまり何が起こっても誰も気づかないという結果を表していた。

 誘導されていたのだと、この誰もいない助けも呼べない死んでも見つけられない警察だろうが救急車だろうが無駄な命を増やさない為にも誰も来ない此処に誘導されていたのだと、焼き切れた脳内で冷静に理解できた。

 死……その一文字が代わりに脳に焼き付けられた。

 それでも嫌だった。

 三条早苗は死にたくなかった。まだ十六歳だ。まだやれる。まだ人生の四分の一も生きていないのだ。まだ死にたくない。

 後ろからの足音はさっきよりも速く強かった。畳み掛けるつもりなのだろう。

 だがそれでも早苗は走った。

 目には大粒の涙を溜めて、自分の運命を呪いながら、肺がつまり息ができず呼吸の乱れにより脇腹がはち切れんばかりに痛む。

 脇腹を抑え、唾を飲み込み息を呑み込んで整え重いを足を走らせる。

 

(誰か……神様……助けてよ)

 

 しかし、祈ったのと同時に何かにぶつかった。

 もう駄目だ。

 追いつかれる。

 尻餅を付いたのを確認した時、そう諦めた。 

 一体誰に追われているのだろうか。

 今、無様に呑気に死に際の想像をしながら、ゆっくりと見上げた。

 止まらなくなった涙で視界が歪んでいた。それでも目の前の人物が誰かははっきりと確認する事ができた。

「あ……」

 全ての始まりの人物がいた。

 今日の不幸の始まりの人物が。

 

       3

 

 神聖聖夜は疑問を顕にした顔のまま立ち止まっている。いきなりぶつかってきたのが今朝の少女だっただけに。

(まさか……な)

 早苗は泣いていた。恐怖にうちひしがれて。追われ、確実な死がもうそこまで押し寄せてきているのを身体で実感もできている。自分はもうじき死ぬのだと。

 だが。

 それでも。

 生きる事を諦めない。まだ諦めたくない。

 早苗は血走った形相で神聖のカッターシャツを引っつかむと、怒鳴るような声で言葉を発した。(死んでたまるか)

「お願い! 助けて! 追われてるの!!」

 今日出会ったばかりの見ず知らずの人物。それを巻き込むのもどうでもいいとでも言わんばかりに、無様に(すが)り付き助かろうとする。 

 ただ死にたくないから。

 神聖は刹那的に動揺を見せたが、冷静に考え無言で全てを理解した顔で早苗を見つめていた。

「お願い! 私はこんな、こんな所で、こんな年齢で……死にたくないの!!」     

 生きる為なら何だってする。

 他人だって巻き込むのだ。

「あなたが何を言っているのか理解できないな」

 無感情な発言に奥歯を食いしばった。

「追われてるの!」

「だから?」

 頭の中が真っ白になった。

 そうだ。どうせこの青年は此処に住んでいる住民なのだ。だからあんなにも意味が分からない発言をしていたのだ。正直言って狂っていた。

 でも、でも。……やっぱり死にたくない。

「助けて! お願い!! 何だってするから、何でもするから。……こんな形で、こんな短い人生で私は……」

 厚かましいと思った。

 今朝は鋭く突き返しておきながら。                        

 されどどうでもいいのだ。

 今は、今はただ生きる事だけを考える。

「死にたくない」

絞り出した最後の言葉を聞いて始めて神聖は満足そうに笑った。納得がいったというように。人間らしい、全力で命を全うしようとするその姿に。

「分かった。今まで色んな人間を見てきたが、無様に寄り縋り他人を私情に巻き込んででも助かろうとするその姿勢、決して他人を巻き込もうとしないおとぎ話のヒロインなんかよりよほどど面白いじゃないか」

 神聖は早苗の右手を握った。

 立ち上がらせる。

 もう足音は直ぐそこまで迫っていた。

「だが、条件が一つ」

「な、なに?」

 早苗は少しの安堵を噛み締めながら、恐る恐る尋ねた。

「今朝頼んだ事、やってくれるな?」

「そんな事なら」

「よろしい」

 神聖は心の中でガッツポーズを取りながら、早苗の手を引いて走り始めた。

 誰かも知らない、何か重要な理由がある訳でもないが、この追われているという少女を助けるのだ。まあ神聖にしてみれば、戸籍、住居、高校、は最優先事項な訳だから、普通なのかも。

 近づいてくる足音を何とか遠ざけながら、入り組んだ路地を通って、神聖は一つの廃墟の中へと入った。造りかけによって鉄骨がはみ出ており、壁には茶色く変色した何かがこびり付いた、赤錆(あかさび)の鼻を(つんざ)く異臭を放った古い建造物。

 誰もが避けたがる場所。                       

 大きな柱の後ろへと素早く身を隠す二人。

 撒けた……気がすると言ったところか。

「それで……追われる原因は?」

 早まった鼓動を抑えながら質問する神聖。

 早苗は少しの間逡(しゅん)(じゅん)した後、あやふやに答えた。

「それが……分からないの」

 というか、今になって考えてみれば、自分はなに他人を盛大に巻き込んでいるんだ? という罪悪感がこみ上げてきた。

 神聖は悟ったように呆れた様子で早苗を見つめていたが、やがてふっきれた顔をした。

「言っておくがあなたは何も悪くない。巻き込まれたのこっちな訳だし、その生きようとする姿勢は賞賛に値すると僕は公言しておくよ」

 神聖は見ての通り、状況を何も理解せずにただ流れに身を任せてこの少女を助けている。 にも関わらず、さして不満気な顔もしていない。

 早苗はその慰めなのか何なのかよく分からない言動に、返答せず顔を膝に埋めて黙り込んでしまう。

「あなたこそ、何でこんな所に居たの?」

 小さく顔を上げて、低い声でそう質問した。

 神聖は思わず泣きそうになりながら、がくりと頭を下げた。

()(ろう)していたらいつの間にか、な」

「はは、何それ」

 少女は歪んだ顔のままだったが、小さく緩んだ笑みを見せた。神聖の焦りのない表情に少しだけ気が楽になったとも言える。このままの流れで逃げれるかもしれない、淡い期待が少女の胸に芽生えた。

 だが現実はそこまで許容してくれなかった、

 アスファルトが割れる快活なよく響く音がした。真後ろの壁にヒビが入ったのだと理解した時にはそれは加速度的に広がっていき、遂に崩れる瞬間を迎える。

 早苗は逃げなかった。足元が場を埋め尽くすアスファルトで埋められたのだと錯覚さえしていたからかもしれない。

「う……そ」

 神聖は何も言わずに崩れていく壁の粉煙をただじっと見つめていた。非常に苦い何かを見定める顔で。

 早苗が唖然とする光景から我に返り、正確に状況を理解した時には、むしろ無表情に近い白いとも言えない諦めの黒い思考しか残されていなかった。

囲まれた。

 数は二十人程度。

(……死にたくなかったな)

 脳は正常にそう考えていた。もうどうでもいいから、苦しい死に方は嫌だとそう思ってしまう。全身の血を吸い上げられて死ぬというのはどれぐらい一瞬でその間に何れ程の痛みが生じるのかを知りたかった。

 悲惨的な質問を早苗が思い浮かべている時、不意に……一人の小柄な小学生ぐらいの身長の者が二人の前に立った。

マントのフードを取る。

 そこには。

 非常に幼い顔をした金髪碧眼ショートヘアの……まさに幼女が佇んでいた。

(え、え、え?)

 神聖の身体の奥から何かが沸き起こった。もしかすると、という乏しい期待の光らしきモノが(ふく)らんでくる。

(もしかしたら……)

「随分と手間が掛かった……」

 神聖の額を始めて汗が伝った。驚きを隠せずに動揺してしまう。

 当然の反応にその幼女は髪を(なび)かせ空気を吐き出しながら皮肉に笑った。

「悪いけどそんなに時間も掛けられないの。あんたには死んでもらう」

 神聖が抱いていた期待は簡単にたった一言でばりばりに引き裂かれた。少女に見える者の一言で。

 容姿だけで言うと可愛らしい幼女は一歩、神聖に詰め寄った。

 追っていたのは三条早苗。

 あくまで狙いは三条早苗。

 邪魔者は殺すという意味。

 神聖の額には汗が滲んでいた。何かに迷いだが、まだ諦めているとも取れないその逡巡(しゅんじゅん)とした動作で一歩後ずさった。一体何に迷っているのか……。

 早苗はもはや動けなかった。

「何か最後に言う事は?」

 淡々と告げるその顔には一切の迷いが無かった。

 年齢は体型とは全く異なるのだろうと予測がいく。

「あなた達は何者だ?」

 震える口調でそう言った。

 金髪の幼女は小さく首を回すと真っ直ぐに神聖の顔を見つめて、次の言葉を無愛想に一言で紡ぐ。

吸血鬼(ヴァンパイヤ)

 早苗は、認めたくない事実を再確認した。死神という種族である自分を喰らいにきたのだと。須藤が言うように、全身の血を吸い上げて。                   

 ゴクリと唾を呑む音が聞こえた。

 神聖の手足が不自然に震えていた。どうしてなのかは容易に想像がいくが。

「じゃ、じゃあ最後に」

 ポツリと一滴の汗がコンクリートの地面へ落ちた。

 神聖はそれと同時にある、今、現在としては非常にどうでもいい事柄を聞いた。

 本当にどうでもいい。

「あなたの名前を教えてくれ」

 見た目幼女の吸血鬼(ヴァンパイヤ)は目を細め酷く怪訝な顔をした。名前なんて聞いても状況は打開出来ないではいか。放心状態だった早苗ですら首を曲げて目を丸くしてまた首を曲げた。

「エレンスト・バージスト・ランス・パレル」

 だがやはりどうでもいいように答えた。そもそも興味がない。こんなぱっとしない、何も知らずに見ず知らずの少女を助けるようなただの善人に……からきし構うつもりはない。

 今から死ぬ男に疑問を持っても意味がない。

 それでもどうだろう。

 これには流石に疑問を持たざるをえないのではないか。

 神聖の汗が突如、引いた。

 顔が喜びに満ち(あふ)れ輝いた。

「パレル……パレル……か。はは、そうか。パレルちゃんか……」

 束の間、神聖の身体はパレルという名の吸血鬼(ヴァンパイヤ)の前に迫っていた。取り囲んでいた二〇名全員が身構えてしまうくらい速く。

 そこで神聖がした動作とは。

 吸血鬼(ヴァンパイヤ)の少女パレルを抱き上げ、ただ単に頬ずりをするだけという。愛犬である可愛いペットを撫でるみたく。

「ははは、パレル、パレルちゃんか! 僕にロリ的な趣味はないけれど、でもあなたは可愛いではないか!」

 その時、パレルという名の吸血鬼(ヴァンパイヤ)の少女は、動揺する訳でも驚く訳でもなくただ呆れ笑いを浮かべながら、不敵な笑みを浮かべながら、甘い誘惑する笑みを見せながらこう言った。

 吸血鬼(ヴァンパイヤ)が美しい。

 そんなのは当たり前。

「そう。なら、私があんたの血を吸って命を終わらせてあげる、光栄に思いなさい」 

 だからせめてもの殺し方としては、血を吸い上げてあげるのがこの男に取ってしても本望なのだ。時間にしてたったの三秒程。その間だけでも。

 ガッ。

 神聖聖夜の肩に吸血鬼(ヴァンパイヤ)のナイフよりも鋭利で(きょう)(じん)な歯が突き刺さった瞬間の音だった。一人の人間の生が終了した時でもあった。

 だが。

 神聖聖夜の(くちびる)は明らかに、やりきった感満載に笑っていた。

 同時に人が倒れる振動音がその場を反響した。

 ただ、それは明らかに男性が倒れる重さの音では無かった。ずっと軽かった。

「ああ、パレルちゃん、言い忘れてた。……それは止めた方がいい」

「がっっは、な、なに、よ、これ」

 倒れていたのは神聖聖夜ではなく、誰がどう見ても吸血鬼(ヴァンパイヤ)の少女だった。劇薬を飲まされたみたいに苦しみ地に伏せた。

 倒れ膝を付くパレルの身体は湯気さえ出てしまいそうな程に火照り、吸血鬼(ヴァンパイヤ)の冷め切った白い顔とは正反対と言っていいぐらいに赤く染まっていた。

「僕の血は飲まない方がいい」

 狡猾(こうかつ)な笑みをにやりと見せつけながらそんな事実を今更に言う神聖。

 パレルの部下であろう二〇名が一斉に神聖に飛びかかる体勢に入った。

 パレルは熱い身体を手で抑えながら、吐き出すように声を発した。最後の抹殺命令を部下達に下す為、神聖聖夜を確実に殺す為。

「こいつを殺しなさい」

 刹那……人間のスピードではない『それ』らが、一斉に神聖に詰め寄った。

 死んでしまう。

 でも考えてみればこの余裕の笑み。むしろやる前から決着は着いていたのではないだろうか。誰もが未だに笑っている神聖聖夜(?)に焦りを見せていた。

何故この男は死に際に笑っていられるのだ?

「仕方ないか……。えーワトシン君、いきなりで悪いんだが……力を貸してもらわなければならないな。あーっと、確か合言葉は――」

 神聖は一度米神に手を当てて考える顔を取ると、人差し指を天に向けて、異質な一言を言い放った。

 誰も知らない何かの言語でもないその言葉。この世界の響きではないその反響。だが神聖聖夜は知っている、その言葉。


[クロノス]「だったな」

 

 瞬きする間もなかった。

 神聖に襲いかかる吸血鬼(ヴァンパイヤ)達の一人の手が神聖の目先五センチに迫った所だった。

 コンクリートで出来た壁も三条早苗も吸血鬼総勢二〇名も、一帯何もかもを巻き込んだ黒い落雷が降り注いだのは。

 耳も防がざるをえない落雷の轟音。

 誰もが目を瞑り、誰もが何が起きたのか分からなかった。

 当事者である神聖聖夜以外は。

 全員が目を開けた時、そこには――。


      4

 

 まるで何も起きていないかのように本当に何一つさっきと変わっていなかった。

 何一つ。

 神聖聖夜の顔付きと、服装以外は。

 その髪は光沢を放つ程に純正な黒であり、その目は黒く輝きを放ち手には黒のグローブが嵌められていた。

 だがそれだけだ。

 他は何一つ、少なくとも一帯は何も変化がなかった。

「はぁ、やっぱ地味だな、これ」

 やれやれと言った感じの神聖に、少しの間呆気に取られていた吸血鬼(ヴァンパイヤ)達が思い出しいたように神聖に向けて、刃物が手に搭載(とうさい)されたみたいに尖った爪を突き出した。

 だが決してそれが神聖の身体に触れる事はなかった。

 正確にはもうそこには神聖の姿は無かった。

 苦しそうに咳き込みながら火照った身体を必死に押さえ込もうとするパレルの前に立っていた。貪欲に手を伸ばす。

「そのお方に触れるな! この不届き者めが!」

「どっちが?」

 主に触れようとする神聖に対して、その邪険さに怒鳴り声を上げながら向かってくる長身の吸血鬼(ヴァンパイヤ)が一人。どちらが悪いどうかは見れば分かる。襲ってきたのも殺そうとしているのも、吸血鬼(ヴァンパイヤ)ではないか。

 凄まじいまさに秒を切る瞬速だった。

 それでもその吸血鬼(ヴァンパイヤ)が刃物の如き爪を神聖に突き刺すよりも前に、その者は、溝内からせり上がってくる身体内に響く鈍い歩を止めてしまう痛みに逆らえずに膝を付き、吐き気に逆らえずに大きく口を開いて異物を出してしまう。                 

 何が起こったのかは分からない。把握できていない。

「がっっはあああああああああっ!?」

 つまりは……神聖聖夜の拳により、人間の打撃などダメージの内に入らない吸血鬼(ヴァンパイヤ)に膝を付かせ戦闘不能に追い込んだという訳だ。

 他の者達もその光景に動揺し、思わず足を竦めてしまう。

 どうして? 

「ていういか吸血鬼(ヴァンパイヤ)にしては脆くないか?」

 起こった現象の意味が分からず、痛恨の極みという顔で神聖をただ睨みつける長身の吸血鬼(ヴァンパイヤ)

 悔しそうな顔を見ていると愉快な気分になってきてしまう神聖。

「説明しよう! あ、でもやっぱ」

 うきうきと説明を始めようとする。

「一から説明するのは面倒なのでしないけど、平たく言うと……四次元的時間軸を時計周りにΘ=四五度で回して次に一次元と三次元を……ていうか分かるか! そういうのはワトシン君に聞いてくれ。ようは時間の進む速度を一時的に一〇分の一にしたんだ。僕以外の」

 何を言っている? 時間を一〇分の一にした? 

 この吸血鬼(ヴァンパイヤ)にも言葉の意味自体は理解できた。というよりかは、そのままで受け取れば自然と想像はできてしまう。時間の進むスピードを十分の一にした。そのままの意味で受け入れられる。

 だが。

 一体どうやって時間の流れを遅くした? 次元を操れるとでも言い張るつもりなのか? 

 それも自分以外の全てを。無理だ。時間とは……時間とは、きっと神か何かが作り出した次元的な生物が触れる事なにモノなのだ。ありえない。

 疑問に答える暇もなく神聖は言葉を続ける。

「時間のスピードが十分の一の世界で、時間のスピードが一のパンチを溝内に叩き込むと一体どれ程の威力になるか? 一元的に考えてみろ」

 まるで小学生に簡単な計算を聞いているかのような嘲笑いを向けながら最後の回答を明かす。そこには負けという文字がかき消された造形物が見えた気がした。

 つまりは一÷十分の一。

「答えは簡単、一〇だ。……例え吸血鬼(ヴァンパイヤ)と言えど、通常の人間の十倍の打撃を受ければただじゃすまない。そんな事考えなくても分かるよな?」

 時間を一〇分の一にできる人間がこの世にいるとでも言いたいのか? だがこの長身の吸血鬼(ヴァンパイヤ)も文献で読んだ事があった。世界には魔術的な超自然的な力を持つ者がおり、中には時間を操作していた者もいたと。

あるいは……。

 神だとでもいうのか。

「お前は誰だ?」

「まあその疑問については後で答えるとして、パレルちゃんに一つ聞きたい事がある」

 長身の吸血鬼(ヴァンパイヤ)から視線をあっさりパレルへと移した。

 そして見下した目線を放ちながら、神聖は静かに言った。

「パレルちゃん。……この吸血鬼(ヴァンパイヤ)達、明らかに戦闘をまともにした経験がある様には見えないのだけど、違ったか?」

 身体が火で炙られているように熱く溶けそうなパレルは、何かを発する事もできない。喉が焼かれているみたいに枯れて、声帯が動かないのだ。

 だが必至に言葉を紡ぎ出そうとする。口を開け、掠れた叫びを訴えようとする。

 それよりも前に膝を付いていた長身の吸血鬼(ヴァンパイヤ)が、ゆっくりと立ち上がりながら答えを先に言った。

「こうするしかないのだ。こうするしか、我らが、一族が生き残るには、あいつに従うしかなにのだ。全員……全力でその男を殺せ!」

 訳の分からない男の力に怯えていた吸血鬼(ヴァンパイヤ)達は、震えてはいたが素早い速度で神聖に詰め寄った。どの道待っているのは地獄だ。だったらもうこうするしかないと、目を瞑って暴走して。

 呆れていた。 

 神聖は勝てない戦闘を行うその者達を見据えて呆れていた。

 だからこそ何を悟ったのか、静かに天井を見上げてまたパレルに全員に聞こえる声でこう言ったのだ。

「まあそれもどうでもいいか。……それよりパレルちゃん……あなたはそのままだと残り五分で死んでしまう……これは紛れもない事実だ。僕の血が致死性の毒だと考えれば合点がいくだろ?」

襲いかかる吸血鬼(ヴァンパイヤ)達の攻撃を見る事もなく(かわ)し、何が起こったのかも確認できない吸血鬼(ヴァンパイヤ)達の一人をいつのまにか気絶させ、次の言葉を考える。             

パレルは目の前で部下達を殴り飛ばす男の表情を見ていた。真実なのかもしれない、そう感じ取ってもしまった。自分の身体は重く熱く溶けているのかもしれない。確認はできないが、それぐらいに意識も危なかった。

(私は死ぬのか)

 汗が全身から溢れている。一度でも目を閉じればそこで尽きるかもしれない。明確な死をパレルの脳内で彷彿とさせていた。

 青年の声が聞こえた。

「その上で聞くが」

 神聖は言った。

「あなたは一体何を望む?」

 神様的な上から目線の言葉。

 パレルはだからこそ言った。

 突然の余命先刻を受け、死を待つだけなら、最後に一つ、この人間に託してみてもいいかもしれない。もしかしたら、何かが変わるかもしれない。納得はできずとも。

 自然と挑発的に笑いながら言っていた。

「一族の安泰、それから一族が平和に暮らせる未来を築き上げる事よ」

「それだけか」

 残念そうな顔をして問い掛ける神聖。

 だからこそ最後にパレルはある欲望を言おうとしていた。

「それから……それから……私は…………」

 口調はいつのまにか涙に震えていた。

 あふれ出した涙で濡れた顔を神聖に向けながら、最後の最後にこう言った。

(私は何を言おうとしているの?)

 もう死を待つだけとして、己は一体まだ何を望んでいるのか。それは簡単だ。言ってみてもいい気がする。目の前に佇むむかつく顔面に最後の懇願(こんがん)を。


「死にたくない……」


 聞いた。

 確かに聞いた。

 その貪欲な言葉を。

次の瞬間、パレルの身体は持ち上げられていた。

 というか眼前に神聖の顔が迫っていた。

「いいだろう。その言葉が聞きたかった。やはり期待通りだ。これはある程度信頼関係を築いてからするモノなのだけれど、まあいいか」

 次の神聖の行動に、パレル含めるその場の全員が顔を歪めた。

 見ず知らずのそれも吸血鬼(ヴァンパイヤ)に、素早く自分の『それ』を相手の『それ』へ重ね合わせていた。さも当然とばかりに、恋人なんかにするように。

「あん……た!?」

 みるみる自分の体温が下がっているのを感じた。

 だがそれとは別に、何か違う身体の熱さを感じ始めた吸血鬼(ヴァンパイヤ)の少女、パレル。

 重ねいた『それ』を神聖が離した時、彼は満足気に笑って言った。

「きっとあなたは理屈も僕の行動意味も何をしているのかも全くもって理解できないだろうが……そんなのは関係ない。……あなたの願いを僕は叶えよう。でもその代わり、あなたは今日から僕の――」


「眷属だ」


 パレルは赤らんだ頬のまま、神聖の胸板を素早く蹴り空中を舞って床へと着地した。

 憎悪の目を神聖の顔へと向ける。

「許さない……絶対に……許さない!」

 鋭い爪を神聖へと向けて、憎悪と怒りを込めて突き刺そうとする。

 だが神聖が何かをする以前にその爪が神聖の身体へと入る事はなかった。

 止まっていた。

 神聖の顔まで残り一センチという所で、爪をがたがたと震わせながらパレルの爪は止まっていた。

「なん、で!?」

 今のはどうやったって避けられる筈はなかった。

 なのに何故?

「当たり前だ。眷属が(あるじ)を攻撃できる訳がないだろう」

 眷属?

 一体それは何だ?

 パレルの脳内で疑問が渦巻き、思考がショートしそうになる。

 それでも必死に腕を動かしその(やいば)を持って貫こうとする。

 駄目だ。

 何度やろうがそれが神聖に傷を付ける事はなかった。

「一体あんた、何者よ?」

「僕が何者か……まあそれはあなた方で言うところの――」

 突き立てられた爪を見据えながら神聖は淡々と答える。


「神……という者だな」


 パレルは静かに歯を食いしばっていた。

 おちょくった口ぶりのこの男に対して。怒りと憎悪と羞恥を含みながら。

 

       5

 

 あれから五分は立っただろうか。

 パレルは高密度な運動量に息を切らし、額を流れる汗を拭いながらそれでも死んではいない眼光を神聖聖夜に向けていた。

 コンクリートな地面には複数名の吸血鬼(ヴァンパイヤ)が腹部を抱えて倒れていたり壁に手を付いていたりする。気絶している者が半分と言える。                     

 神聖は何も言わず()めた表情で相変わらず溜息を漏らしている。

「いつまでやるつもりだ。時間が無駄だと思うんだが」

 無駄だと内心では分かっていたとしても攻撃の手を止めないパレル。そうでなくては彼女の心の(きょう)()とやらが保たれないのかもしれない。

 それからまた二分立っただろうか。

 いつのまにか、パレルの部下である二〇名は全員が地に伏せていた。

 ふと我に帰ったパレルは、その光景に最初は唖然としそして狂った笑みを浮かべ始めた。

「は、はは」

 突然自分の首筋に右手を持ってきた。何をしようとしているのかは誰もが理解できた。全てが失敗に終わった一人の吸血鬼(ヴァンパイヤ)のリーダーは、全てを諦め死のうとしていた。

 全てを投げ出し嫌になり死のうとしていた。

 神聖は何もしなかった。

 黙って様子を伺う。

 自らの首に突きつけたパレルの右腕は震えていた。

 だが無理やりな笑みを神聖に向けて、自殺という名の行動に出ようとしていた。

「成る程。全てを投げ出し死ぬという訳か。したければ僕は止めないけれど、それをする意味を殺る前にちゃんと考えるんだな。あなたの『願い』は何だった?」

 一族が全員無事でいる事。

一族が平和に暮らす未来を築き上げる事。

それから自分が死なない事。

つまり今パレルがしようとしている事柄は、自殺という原因は、自分の願いを何一つ成し遂げられなかったという結果を導き出し、その因果を成立させる。

 それに何の意味がある?

「それをして何か状況が変わるのか?」

 また膝を付いた。

 どうしようもない最悪な理論を叩きつけられて、返す言葉もなく自分の行動の無意味さを実感させられ、プライドも何もかも消え去り脱力した。

 だが神聖はやっと終わったと言いたげな顔をしながら言葉を掛ける。

「まず僕に何か聞きたい事があるんじゃないか?」

 力なくパレルは顔を上げた。希望を全て失った砂漠の真ん中に一人で取り残されたような無気力な顔で。

「さあ話をしよう」

 神なる者は口を開いた。

 

       6

 

「これを言うのは二度目だが、僕はあなた方で言うところの神と呼ばれる存在、いやだった。こう言うのが正しいな」

 適当なコンクリートの瓦礫の上に腰を下ろすと、平然とそんな信じがたい事柄を述べてくる神聖(話によると神)。

「それって、神話なんかに出てくる神って事? ありえないでしょ。あんた中二病なの?」

「中二病っていうのは何か知らないけど、近代の流行り? それと、僕が神というのは紛れもなく事実だ」 

「だからありえないでしょ」   

 吸血鬼(ヴァンパイヤ)は感情が冷めやすいというのを最愛なるワトシン君から聞いた事があったなあ、と思い出していた神聖。確かに、さっきの感情フルパワー爆発はどこへいったのやらという程に落ち着いている吸血鬼(ヴァンパイヤ)の各々(おのおの)。

 落ち着いてくれるならそれで嬉しい限りである神聖なのだが。

(流石に急に冷めすぎじゃないか)

 特にパレルは爆発どころではなかった筈だが、突然道端を歩いていると冷水を掛けられてドッキリ大成功の旗を持った人間が出てくるなり冷たい視線を送る人間みたいじゃないか。

 まずそもそも現実主義すぎる。普通の一般人が、『俺は神だ』なんて言う奴を信じる筈がないというのも真実であり、中二病的な解釈になってしまう。

 だがここで疑問が一つ。

「なら聞くけど、人間という生物が猿人類から進化したみたいに、不老で未だにおそらくその実態すら掴めていない吸血鬼(ヴァンパイヤ)が、新細菌みたいにぽっくり生まれたとでも思ってるのか?」

 吸血鬼(ヴァンパイヤ)が何なのか、人間と構造が同じにも関わらず何故不老なのかとかは、細胞の研究が進められている現代でも分かってはいない。自身達ですら。

 示したい事、それは。

(世の中には奇怪があふれているから、神がいたって不思議じゃないって言いたいの?)

 理屈は分かる。だが信じ難い事実なのは変わらない。

「信じるかどうかは考えものとして、それは分かったわ。じゃあ、あれは? あんたが使っていた妙な力。あれは何?」

「そうだな。まあ単純に言うと、神が神から力を借りた、といった感じか。聞いた事ぐらいあるだろ。ギリシャ神話の二番目の統治者たるクロノスという名を」          

 確かに神話としては比較的というか誰でも名前は知っているぐらいには有名なのだが。

 それに加えてクロノス神は時空神だという風にこの前買った本に書いていたと思う。我ながら暇人だと思うパレルなのだった。

 ならさっきのあの不可思議な力も納得できたりするのかどうか。

時空神だけに時間を操った?

「力を借りたっていうのは、そのままの意味でいいのかしら? ちょっと理解しかねるのだけど」

「ああ、まあそうだな」

 クロノス。その神は――

(息子であるゼウスに統治権を奪われると予言された為に、息子達全員を自分で呑み込んでしまったなんていう逸話があるくらいだけど、まああれは正直言って解釈が間違っているんだが)

 心の中で過去のノスタルジーに耽っていた神聖は、パレルの声で我に返った。

「で、あんたは何神なの?」

 当然の疑問ではある。神聖聖夜(自称神)がどんな力を持っているのか、知っておきたくはあるのだ。でもこれは考えてみれば簡単な事だ。クロノス神の力を使っていた、つまりは。

「僕か。……僕はいわゆる借用神だ」

「借用神?」

 借用とは何かを借りるという意味。そのままで考えると。

「神々から力を借りる事ができると言えば意味は理解できるだろ」

 パレルは納得したとも疑問が残るともどちらとも取れないあやふやな顔を見せた後、そこまで興味がない感じで流すと、最後の質問をした。

 正直に言って一番知りたかった事でもある。そして、もし自分の見解が正しければ、最も最悪な事実となってしまう。

(神々は眷属を持っていた……とか本で見た気がする……ない、よね)

 唾を飲み込んだ。

「そ、それで……私が眷属っていうのは何かしら?」

「眷属は眷属だろ。パレルちゃんは僕の眷属だ」

 朗らかな笑みを浮かべながら、いやどっちかというと気持ちの悪い笑みを浮かべながら一歩近寄ってくる神聖にジト目な視線を向けながら、もう一度聞く。

「いやよく分からないのだけど」

「だから、言ったら王様の左大臣だとか右大臣だとか、はたまた社長の秘書みたいなモノだ。所謂(いわゆる)従者って奴だな」

「なっ」

 予想はしていた。

 神聖(神)が言う意味はまあ理解できる。それならば、パレルがいくら神聖(神らしい)を尖った爪で突き刺そうとしてもできなかったのにも納得がいく。何せ従者なのだから。

 つまりは、もし神聖(死ね)が言ってる事が本当ならば、神の眷属という事なのだが。

「どうして、どうしてそうなったの?」

 見るからに嫌そうな顔をされて聞くからに悲惨な音程に微妙に傷つく神聖(神)なのだが、まあ種を蒔いたのは自分である訳だし、少しは後ろめたい感情もある為、頬を掻きながら答えにくそうにする。

 だがよく考えてみれば、そのルートに入ったのはパレル本人である訳だし自分は悪くないと責任逃れ的な思考をし始める。

 自分で始めた事。つまりはパレルが神聖の血を飲んだ事が眷属のきっかけになると。そういう意味だ。

「あなたが契約を勝手に始めたんだ。僕の血は飲まない方がいい。あなたが僕の血を飲んだ後に確かに僕はそう言った。したがって僕は悪くない」                 

 ん?

 何かおかしいような。

「飲んだ後に言っても意味ないでしょうが! それにあんたの血を飲んだからどうなるってのよ!」

 怒りを顕にして、ほんわかムードになる場だが、パレルと神聖は敵同士なのだ。パレルの部下である周りの吸血鬼(ヴァンパイヤ)達がマントの奥で不信な顔をしたのが見るからに分かった。

「神々の眷属作りは二パターンあるんだ。一つは『忠誠の(セーフバインド)』っていうむさ苦しい束縛品を付ける方法と、眷属となる人物が(あるじ)の血を飲み誓の(ちかい)『接吻』をして眷属となる方法。まあ何方もメリットもデメリットもあるのだけど」

 接吻という言葉が妙に嘘っぽい。得に接吻という言葉を強調するあたりが非常に怪しい。

 何だそのロマンチックな眷属作りは。

 おとぎ話か。

「詳しく教えなさい!」

 心底興味なさそうに床に落ちていた石ころを蹴っていた神聖だったのだが、その気迫に押されて答えざるをえなくなる。

「『忠誠の(セーフバインド)』のメリットは、眷属が絶対的に裏切り行為ができなくなっているところだ。そしてデメリットは名前に鎖という文字が付くだけに動きにくい。まあ忠誠心が熱い人達はこれを選ぶんじゃないか」

「血の方は?」

「血の方は、言ったら僕らがした眷属契約のメリットは眷属が絶対的に主を攻撃できないというところ」

 パレルもそれは瞬時に理解できた。自分が何度神聖の身体を攻撃しようとしても直前で自動的に身体が停止してしまっていたのだ。心が拒んでいたのではなく身体自信が神聖への攻撃を拒絶していたのだ。

 主だけに。

「そしてデメリットは、裏切ろうと思えば裏切れる所だ」

 蹴り飛ばした石ころの音が静まり返った場所に快活に音を立てた。それで全て。神聖は自分にとってマイナスになるとしか思えない裏切れる事実をパレルに教えた。

 はなから裏切るような奴は要らないのかもしれない。

「ふ~ん、そう。まあいいわ。大体分かった。それで、一つ聞きたいのだけど……あんたの顔を見て思ったのだけど……やっぱり接吻する必要ってなかったんじゃないかしら?」

 迫る迫る、迫りくる。

 汗が全身から吹き出してくる神聖聖夜。

「それはだなーまあ通過儀礼的なやつで、ね……うっ。……ああそうだよ。そうですそうです主の血を飲むだけでその者は眷属となります残り五分で死ぬといったのも嘘ですただの初期動作ですあなたの身体が火照ったのも僕の血が馴染むのに時間が掛かった為です!」

 逆ギレして全てをさらけ出した。

 よく考えれば黙っている必要性がない。

 なぜなら……。

 自分が受けた(はずかし)めに対して怒りがまたもこみ上げてきて、必死に攻撃を加えようとするパレルだがその全てが空振りに終わる。眷属と主との(つな)がりなのだから。

「ワトシン君に眷属を作ってくるよう言われたんだよ。で、あなたを見つけた。僕はあなたを選んだ。それに……代わりとしてあなたの願いを叶えると言っているんだ。元神が言うんだ、間違いない」

「元神って……今は違うの?」

 きょとんとした顔で首を曲げるパレル。

 どうやら早急に諦めてくれたみたいだ。

「神は地上へ降り立つと同時にどうやら人間になるみたいだ。でも、身体は人間になるけど、別に神としての力が失われる訳ではない。ただ、不死身という要素は抜け落ちるけど」

 神は不死身。これは有名である。確かに神殺しなんていう恐ろしい人間達もいるにはいるのだが、基本的には不死身という見解で間違ってはいない。

 神聖はそこで言葉を区切ると、ぶんぶんと手を振り回した。

「というかこんなどうでもいい話、もういいだろ。質問は終わり。とにかく、僕は眷属となったあなたの願いを叶える。何をすればいいかは後で教えてもらえればいい」

 パレルは思った。

 もしもだ、もしもこの男が本物の、本当にファンタジーみたいだが、神というのなら、なんとかしてくれるかもしれない。今、一族が抱えている問題を。

 考え深げな顔をしているパレルを横目で見据えながら、神聖はこう言った。

「今は和解してくれるな?」

「ええ……いいわ。分かった。あんたに掛けてみるのも得策かもしれない。それに、どうやったって、私達じゃあんたに(かな)いそうにもないし」

 神聖が使用していた借用せし力、言ったらクロノス神の力らしいのだが、それにしても、それはこの場の吸血鬼(ヴァンパイヤ)全員を制圧するだけの力を持っていた。

 どっちにしろこうするしか道はない。信じるしかないのだ。

「よし! 願いの具体的な内容は後で聞くとして、一旦この話は終わりだ。それよりさっきから完全に蚊帳(かや)(そと)になっているそこの女子高生!」

 びくっ。肩が大きく唸り、完全に内容に付いていけていない三条早苗がロボットじみた動きで顔を神聖に向けた。

「な、なんですか?」

「僕が言ったあの三点、明日にでもしっかり遂行してもらうぞ」

(あ、忘れてた)

 さっきまで死に掛けていたという事が相まって全て思考から吹っ飛んでいた。

 戸籍作り、住居取得、高校入学。

 確かこの三点。

 神聖が人間としての生活を始める為に必要な事柄。

(何だか面倒そうだな)

 三条早苗はとにかくそう思った。

 とにもかくにもそう思った。


 7


 白と黒の世界で……顔を真っ赤に染めて頬を膨らまし、横にいる人物の胸ぐらを掴んで揺さぶる全身黄(おう)(ごん)(かっ)(ちゅう)(おんな)が一人。

 非常に先程から動揺しているみたい。

「どういう事なんだ~、何であいつはあんな意味の分からない奴を眷属にしてるんだ~、まず何で私というモノがありながら女の眷属何て~、男でいいだろ男で!」

 涙目に訴えかける潤んだ瞳に、うんざりして溜息を吐く神聖(拝借神)にワトシンと呼ばれしクロノス神は今できる最大限のジト目視線を甲冑少女に送りながら、一様ながら掛ける言葉を捜す。

「まあまあ、というかいっその事、もう彼に執着するのを止めたらどうなんだい?」

 甲冑少女の顔が凄まじく曇った。

 それから憎悪の目つきとかして、次には顔を赤くして恥じらいだした。よく変わりますねホント、このお嬢様は。

「わ、私の貞操を奪ったのだぞ!」

「いやー別にキスぐらい誰でも人間ですら色々な人とするでしょうが。処女を奪われた訳でもあるまいに」

 やれやれと両手を振りながら回答を求めるクロノス。

「ち、違う! 私にとっては貞操を奪われるのは処女を奪われるのと同等なんだ!」

 顔を真っ赤にして湯気をもくもくと立ち上げながら、必死に弁論というよりかは、無理やり認めさせようとしている。まさしく頑固とした態度だ。

 だがしかし、見兼ねたクロノスはにやりととろとろに溶けたハチミツたる笑いを浮かべながら、決定的に傷つけるであろう一言を言い放つ。きっと一番言われたくないであろう一言を。

「言っておくけど、君と違って彼の『ど・う・て・い』はとっくの昔、それこそ六九億年くらい前に消えているのだけど、その辺理解しているのかな? (にやにや)」

 グサあああっっと何かしら太い硬い何かが甲冑少女の胸中に突き刺さった。

 胸を抑え縮こまり、恨めしそうな憎き天敵を見つめるようなというか明らかに悲しそうな目つきを向けてくる。

 それでも彼女は妙なやせ我慢をしてしまうのだ。

「そ、そんな事は何一つ関係ない!」

「あーそうかい。なら、彼が君に見向きもしなくなる日は近いだろうな。それこそ此処に戻って来た時には、人を忘れやすい彼はこう言うかもね。『え、あなたは誰だい、はてな』ってね」 

 最後の『はてな』を平仮名で言うところが非常にいやらしい。しかもそれを聞きなが甲冑少女はぷるぷると震えだしたではないか。

 全身から湯気が立ち込める。

(はは、流石に虐めすぎたかな……)

 軽くついた嘘が一つあるのだが、真実を言う前に甲冑少女はまたもや泣き出した。毎度毎度大泣きで。

「うわ~ん、浮気者~殺してやる~ぐすっ、絶対に殺してやる~八つ裂きにして串刺しにして炭にしてやる~うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん」

 クロノスは率直にこいつまじで泣き虫だな~と思いながらも何だか見てるこっちが惨めになってくるのでネタばらしをする。

「あー嘘だよ、嘘。彼が童貞を捨てたかどうかは知らない。彼はそういうのに興味がなさそうだったからもしかしたら捨ててないかもよ。だからそんなに気落ちしなくてもいいんじゃあ――」

「なら私が奪いに行く」

 え?

 今なんと?

「はい? それはどういう」

 全く無意味な決意を持った目をしているように見えるのだが気のせいだろうか? という複雑な疑問が沸いてくるクロノスなのだが。

「神なんて辞めてやる。私も人間になる。今すぐ彼方側に行くゲートを開いてやる! あいつの童貞が残っている内に!!」

 当然の如くこの甲冑少女も何らかの神なのだろうが……それはさておき、この世の全てが面倒そうな腐った顔をした後。

取り敢えず死んでこい。

 そして病院へ行け。

 悲しい目つきでそんな想像をしながら、慈愛を向けるクロノスであった。


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