第一章
第一章 惨酷な社会により路頭に迷う馬鹿者
1
未開拓分野都市。
東京に隣接される形で造られた都市。
総面積は、2058平方キロメートル。
科学技術のテクノロジーは今や世界の最先端をいき、内科、外科、総合医療、あらゆる分野の医療設備を備え、工業、マシーン技術、あらゆるモノが世界の上をいき頂点に君臨していたその都市。
総人口は五〇〇万人。今やそこはもはや、一つの国と言っても過言ではない程だった。
更に、その都市に存在する数ある高校の中には、魔術高校や死神高校なんて呼ばれる、ちょっと歪で変わっていて何か普通の人間には扱えない不思議な力を持った者達が通う高校が存在していた。
それは当たり前だと言えば当たり前だった。
なぜなら、今の時代、
『魔族』なんていう種族が公式に認められているのだから。
明確に全ての人々がそれを見た訳ではないが、それでも特にこの都市にいる人々は、半数以上は何らかの形で見た事がある。
それなら、ちょっとぐらいオカルト臭漂う高校ぐらい、存在しても何らおかしくはないのである。
そんな都市の六月半ばの陽光が照りつける朝、一人の少女は騒がしい朝の人混みを、額の汗を拭いながら歩いていた。
少女の名前は三条早苗。
さっぱりとしたショートヘアな茶髪に、整った顔付きの、言わば普通に歩いていれば世の男子高校生なら振り返ってしまう女子高生だ。
朝の人混みに心底うんざりしながらも、何とか肘だとかをぶつけられそうになるのを避けながら、ぐいぐいと進んでいく。
(ほんと、この人混みには参るわね)
時折感じる大型体型の人間から発せられる汗の臭いに、失礼とは分かっていても鼻を摘んでしまう衝動に駆られながら、そういう小さな愚痴を漏らしているのだ。
(はぁ、朝から気が滅入る、ううっ)
頭に鞄をぶつけられた事で完全に気力を失われ、どんよりした声を発してしまう。
これもいつもの状況ではあるのだが、少し違う事態が起こった。
突然、後ろから両の手で肩を掴まれたのだ。
それも中々の腕力で。
ナンパというのは何度かされた経験があった。まあ自分の顔がどうとかはともかく女子高生というのはそういうモノだと自分自信思っていたので、丁重に断っていたのだが、しつこい輩というのもいるのだ。そう、これはそういう奴らのナンパの類だ。
「はぁ、あの悪いですけど――」
明らかな面倒そうな顔をして断る。これで大抵は引き下がってくれるのだが。……違う、何かが違う。
振り返った三条早苗は絶句した。
「なっ、え……」
泣きそうというか目に涙を溜めながら今にも崩れ落ちそうな形相で、此方を見つめる一人の男子高校生、服装からしてもそう見える青年が立っていた。
そんなに相手をして欲しいのか、そんなに欲望が高いのかと思わざるをえない。
どうせ泣きながら、僕と遊んでください、とか言い出すのだろうと考えてまたも溜息を吐きたくなる。
「な、何ですか?」
青年の顔が輝いた。
まるでやっとの思いで相手をしてもらえた子供のように。
「すいません、一つ頼み事があるんですが……僕に戸籍の作り方と住居の取得方法と高校への編入方法を教えてください!」
「はい?」
今なんと言った?
別に聞き取れなかった訳ではないが、何を言っているのか分からないのは確かなので……いや違う。何を言っているのかも理解はできるのだが、あまりに突拍子もない事であり、ありえない事でもある為、思わず首を傾げてしまったのだ。
でもやはり聞き間違えと判断するのが単純に妥当な訳で、そうとしか考えられないので、なぜなら此処はスーパーセキュリティな未開拓分野都市なのだから。
取り敢えず、此処は交差点のど真ん中で声も聞こえにくかった為、早苗はその青年の手を引いて、たまたま見つけたベンチまで連れて行く。
「えーっと、すみませんが、もう一度、聞かせてもらえますか?」
その青年は、額の汗を拭うと、申し訳なさそうな顔をして、確かに今度は確実に余すところなくこう言った。
「あのー、戸籍の作り方と住居の取得方法と高校への編入方法を教えていただけないでしょうか?」
早苗は口をあんぐりと開けて絶句した。
この都市に戸籍がない人間なんて存在しない。
ましてやホームレスや浮浪者一人として見つけるのは容易ではないのに、戸籍もない人間が居ればすぐさま放り出されてしまう。
じゃあなんだ?
ただでさえ都市への入場が厳しいのにも関わらず、明らかに高校生なこの青年は戸籍すら持たずに都市内に居るというのか?
海から流れ着いてきたとでも言うのか。
それにしては塩の香りもしないし……一体何なんだ?
というかまずそもそも、何で戸籍の作り方だとか住居の取得方法だとか一〇歳以下の少年がしてくるような質問を今、此処でしてくるのか。
まるで、どこか別の世界から来た異端者のようではないか。
どうする?
警察にでも電話するべきか。
(いや、まずは色々聞く事から始めよう)
「あの、ちょっといまいちあなたが置かれている状況を理解していないんですが。……何かあったんですか?」
「それは、その、話せません」
青年は、視線を落としながら申し訳なさそうに言う。
もしや不法入国者か。
「いえ、此方も状況を把握しないと、対処のしようがないんですが」
「ちょっと、言えません」
青年は全身から汗を流しながら、目をしばつかせている。
早苗は小さな溜息を吐いた
なんだかこの青年の反応に、無性に腹が立ってきた。
そしてもう面倒になってきた。
だから言い放った。
決定的に突き放つ言葉を。
「何も教えずに助けてもらおうだなんて……」
「社会はそんなに甘くありませんよ」
「へ?」
何を言われたのか分からず立ち竦む青年。
早苗は、奇怪で意味不明で悲しい青年をよそに、二度と振り返る事はなく、またも暑苦しい道路の人混みへと入る。
心の内では密かに、今日という日が最悪な厄日になりそうな予感がしていた。朝から濡れた鉄板でプレスされるかのような人混み。まあそれはいつもの事だからいいのだが、意味の分からない見た目高校生に意味不明な頼み事をされる。
何というかこれは本の序の口でもっと凄まじい何かが起こりそうな気がして、というかあの青年に会ってからそんな思いに苛まれている。
(流石に考えすぎよね……ははは)
今日の朝の星座占いが最下位だったのを思い出して身震いをしたのと同時に、またも何者かに肩を掴まれた。
「ひゃっ」
たった今できた謎のトラウマから、思いの他変な声を上げてしまう早苗なのだが、次の声にほっとする。
「よっ、さーなえ!」
「はぁ、びっくりした。おはよう、彩夏」
後ろで留められた黒髪ポにテールが揺れていて、いかにも体育会系な顔をしたさっぱりとしたいでだちの少女。
同級生の彩夏だった。
「にしても暑いな~、これも地球温暖化って奴のせいなのかね~」
まあ見ての通り運動は陸上部のエースという感じで実力者なのだが、勉強が恐らくできないランキングでいくと校内でエースと呼ばれるであろう程の馬鹿野郎なのだ。
それかお笑い芸人を目指しているか。
「ねえ彩夏、それ突っ込んで欲しいいの?」
夏でこの人混み、暑いのは当然である。むしろ地球温暖化さんに謝った方がいいくらいに。
「え、いや、何で? 私、何か面白い事言った?」
疑問顔で聞いてくる阿呆の娘。もう反応するのも面倒だという感じの早苗なのであった。
そこで、何かを思い出したように早苗の顔を覗き込んでくる彩夏。
「そういえば早苗、さっき何か落ち込んでいる風だったけど、何かあったの?」
「あーいや、ちょっと変質者に絡まれちゃって、あはは」
憂鬱気味な声を発しながら頭を垂れる。事の経緯を大まかに話してみたりする。
「あーそれは災難だったね~」
そこらへんは馬鹿といえど理解しているのだ。逆にそういう痴漢だとか変態だとかの撃退には向いていたりするのかもしれない。
「ほんと、今日は嫌な予感しかしないよ……はぁ」
「まあ元気だしてさ、一日は長いんだから」
気さくに励ましてくれるのは素直に有難いのだが、この女子高生にはもう少し頭が良くなって欲しいと勝手な願望を抱く早苗なのであった。
そんなこんなで二人は、たわい無い世間事情を話しながら暑い夏の人混みの中を歩いて行くのである。
少し変わった学園へ向けて。
2
三条早苗が通う高校というのはかなり歪である。それは彼女が生まれながらにして少し変わった力を持っている人間だったからなのかもしれない。いやしれないというより、だからこそ、なのだろう。
三条早苗が通う高校、それは、第一等死神高校。
名前の約二文字が明らかに恐怖を感じてしまうのは当然と言える高校なのだが、別段授業が変わっているだとか、普通の高校生と違う生活をしているだという訳ではなにのだ。
それでも普通の人間が集められているという事でもなく、まあ人間らしからぬのは確かだ。
六限目の世界史が終わり、終礼の時、担任教師は不意に恐ろしい事を口にした。
「えー最近、なんだ? あー吸血鬼の目撃情報が増えているらしい。お前らは死神だから、あいつらに狙われやすいという訳で、あんまり一人で路地裏だとか人気の無い所に行かないように。はい、ホームルーム終了。じゃあ、さいなら」
欠伸をしながら、早苗の担任教師でありやる気の無さが有名な須藤先生は去って行った。
(吸血鬼の目撃情報が増えている……か)
早苗は震える口調でそんな独り言を漏らした。
理由は明白だ。
死神……普通の人間が聞けば、人を殺すのかと思うかもしれないが、もはや公式でその解釈は間違っていると正式に認められている。
死神は人を殺すのではなく(中にはそういう人間もいるらしいのだが)殺すモノは人によって様々なのだ。
まあ分かりやすく言えば、例えば、色を殺す死神は、案の定触れたモノの色を消して透明にしてしまえるだとか、重さを殺す死神なら、触れたモノの重さをゼロにしてしまえるという訳なのだ。つまり、死神はそれぞれに、殺せるモノが決まっているという訳だ。
死神達がそうして個人で殺せるモノを、総称して、個式死陣と呼ばれている。
だが、それが扱えるのは本当にごく僅かの人間だけで、殆どの死神はその存在を知る事もなく生涯を終える。
まあそんな訳で、何か不祥事が起こらない様に、全ての死神はこの高校に集められているのだが。
全ての死神が此処に集められているのにあもう一つ理由があるのだ。
(はぁ、何でかな~)
早苗が不安になっている理由でもあるそれは、吸血鬼が出現しているという事だった。
『吸血鬼は死神の力を喰らうから気をつけろよ』
須藤先生がそんな事を生真面目な顔で言ったのはいつの日だったか。とにかく、それを聞いてから、特にあのおちゃらけた担任が真剣な顔で言った事も相まって、吸血鬼という者達への恐怖が高まっているのだ。
まあその後に須藤はおちょくる様に笑って、
『全身の血を抜き取って喰らうんだとさ』
なんて、身の毛のよだつ事実かどうか分からない事を口走っていたのだ。
ぼーっと、そんな物思いに耽っていると、唐突に後ろからまたもや肩を叩かれびくりと震える。
「さーなーえさん、そんなに険しい顔で何を考えているんだい?」
「あーいや、何でもないよ……ただの考え事、あはは」
いつもの如くポニーテールな彩夏なのだ。
「それよりもま~吸血鬼がね~、私は早苗が一人で大丈夫か不安だよ」
確かに不安そうな顔で覗き込んでくるのだが、その顔には早苗のような危機感的な何かは感じない。
「そうか、彩夏は今日も今日とて部活だもんね」
「そうそう。まあ吸血鬼を少しは見てみたくもあるんだけどね。とにかく早苗も気をつけなよ。特に夜道には気を付けるんだぜ、嬢ちゃん」
とても古いギャグ的な何かを言い放ちながら、彩夏はすたすたとグラウンドに設置された陸上部の部室へと駆けていった。
早苗はその後ろ姿に、少し苦笑いしながら手を振っていた。
わらわらと皆々が帰っていく中、早苗は教科書を鞄にしまいながら、自分の学校での生活態度が言いという事で抜擢された、風紀委員の会議が今日ある事を思い出した。
風紀員の仕事はしっかりとやらないといけないとは考えているのだが。
タイミングよく今日だなんて。
やっぱり本日は付いてないのだろうか。
そして呟くのである。
(今日は付いてないな)
――と。
3
(何でこうなった……)
いつの間にか日は沈み、人通りは少なくなっており、夜の公園に設置された巨大な時計は、既に八の数字を超えていた。
そんな中、夜の誰もいない公園を横切る黒髪でやつれた顔をした青年の姿がそこにはあったのである。
思え返せばさんざんな一日だった。
(そう言えば、此処での仮の名前もまだ決めてなかったな……神聖聖夜……こんなんでいいだろ、ははは)
意味の分からない名前を自分に付けながら、今朝、ある少女に頼み事をした時に言われた言葉を思い出す。
『社会はそんなに甘くありませんよ』
神聖(仮)の心に何かがざっと三本以上は突き刺さった瞬間でもあった。
その後も色々な人に聞いて回ったのだが、不審なまさに変人を見る目で素通りするばかりで、まともな応対をしてくれる人間などいる筈もなかった。
時は立ち、今に至る。
結果は見るからに分かるだろう。
(ああ、帰りたいな~)
がくりと頭を下げながら、猫背に歩きながら人気の無い場所を永遠と彷徨っている。何をする訳でもなく永遠と。
つまりは、淡々と街中を徘徊する浮浪者と成り果てているのだ。
ふと月明かりに照らされ、夜空を見上げた。
満月だった。
そこには仄かに赤く染まった、何となく奇怪なこういう場所で見ると身震いしてしまいそうな、そんな赤い月だ出ていた。
皆既月食という訳でも無さそうだ。
ただ大気の影響でそうなっているだけかもしれない。
神聖はふっと笑った。
(はぁ、月にまで笑われているな)
背伸びをし、短い息を吐き出すと、もう一度、空を見上げた。
見れば見るほど不気味なそれ。
神聖は獰猛な笑みを浮かべて、次にニヤリと笑った。
(でも、まあ、これはこれで……何か起こるかもな)
神聖はゆっくりと歩き出した。それで。
いつの間にか自分の周りを歩く人間は一人もいなくなっていた。
4
誰もいない路地裏、じめじめした嫌な湿気が漂っており、強いて言うなれば、明らかにおかしな薬を売りつけてくる、所謂麻薬密売業者がいそうな、死体が転がっていても誰も気にしないような、殺人者が待ち構えてそうな、そんな想像が頭の中を過る場所とでも言うだろうか。
だが今日は違った。
灰色のコートに全身を包んだ二〇名の者達。頭にまで被せされたフードは、その者達の異様さを際立たせており、空気は重い。
内の一人、恐らく男であろう長身の者は、二〇名の中で最も小柄な、小さき者に話しかけた。
「本当に宜しいのですか?」
黒いブーツの紐を今ちょうど結んでいる最中だったその小さき者は、紐を縛りながら長身の男の質問に答える。
「もう後戻りはできないわ……どちらにしても、私達にはこうするしか道がないのだから、やるしかない」
長身の男がフードの奥で歯噛みするのが分かった。
自分の弱さを恥じて。
「すみません、私達がもっと、奴らに対抗できる程強ければ……あなた様にこんな苦痛を強いる必要も無いのに」
小さき者は呆れた溜息を吐いた。
何考えているんだか、という感じに。
生物は、生まれた瞬間から勝てる相手とどうやっても勝てない相手というのが決まっているのだ。
「どちらにしても、奴らには勝てないわ。それはあんたにも分かるでしょうが。……だから従うしかないのよ。……それに私はあんたら全員を任されているの。守れなくてどうするのよ」
長身の男は深々と頭を下げた。
「ですが……あなた様はまだお若い。……なのに、こんな苦労を」
ブーツを結び終えた小さき者は、何かを思い出したように小さく笑って、男の顔を覗き込んだ。
「村ではもう直ぐ新しい子供も生まれようとしいるの……だったら、その子供が自由に暮らせる空間を作るのが、一族を守るのが、私の使命。それでいいでしょ」
深々と下げた頭の上に小さな右手を載せながら、優しくそう言った。
「本当にすみません」
長身の男は奥歯を噛んで、顔を苦痛に歪めた。
「それにしても……やっぱり、今からやる事は心苦しいわね」
ゆっくりと立ち上がった小さき者は、独り言のように自分を戒めるようにそう呟きながら、二〇名全員に向き直った。
(でも、やるしかない)
小さな両手を広げ、全員に顔が見えるよにした。
一つの決意を持った目をしていた。
「我々はこれより、一族の今の為、一族の未来の為、これから生まれてくる我らが子孫の為、
一つの任務を果たす。それは我らにとって心苦しい行いとなるだろう……。だが、怯むな恐るな、容赦をするな」
静かに息を吸い込んで、最後の言葉と共に全てを吐き出した。
「全力で標的の少女を捉えよ!」
歓声なんてモノはなかった。
だが。
一人の者は静かな決意と共に拳を握り締めた。
一人の者は自分達の運命を呪いながらも歯を食いしばってそれを飲み込んだ。
一人の者は忠誠を表し深々と頭を下げていた。
一人の者は真っ直ぐにその様子を見つめていた。
そしてその小さき者は。
今から行う惨酷な行為をする覚悟を固めていた。
見上げた夜空には奇々怪々な赤き満月が昇っていた。
今夜、この時。
何かが動き出していた。
物語が回りだす。
5
此処は何処か。
そこに場所という原理は当てはまらない。
白と黒だけで構成された世界。
殺風景なその場所に、黒髪の彼は目をあらぬ方向へと向けながら、狼狽した顔で目の前の人物を横目に見つめていた。
眩しいとしか言えない黄金の甲冑が全身を覆い、髪は本当に光っているのではないかと感じさせる黄金色、背中に謎な黄金の大剣が装備された、顔まで黄金色に輝いて見える、全てが黄金な美しい女性だった。
声を低くして、慰め言葉を掛ける。
「まあまあ、そんなに怒らなくても、彼の様子は此処からでも観察できる訳だしさー、だからその荒ぶった心を取り敢えず落ち着けて――」
突然胸ぐらを掴まれた。
それから眩しい顔が詰め寄ってくる。
「これが落ち着いてられるか! 何故止めなかったのだ!」
言い寄られて返す言葉も無くなる彼なのだが、取り敢えずは何か言っておかないと、背中に装備された狩猟系ゲームさながらの大剣で串刺しにされかねない。
「いや、彼も多少なりかは信念を持って彼方側に行こうとしていた訳で、止めるのもどうかと思った訳でだね、だから、その、今回の件は許して」
黒髪の彼の真横を巨大な大剣が横切った。
背中から全身から嫌な汗が噴き出しているのが分かる。
まずい!
単純にそう思った。
怒るのは分かっていたから何とか我慢できたけれど、これは本当に殺しかねない感情の昂ぶりと見受けられる。
何とか収めなければ、本当に自分の命が危ない。
「だからさー、まあいざとなればまたゲートを開いて連れ戻しに行けばいい訳だから、そういう訳で……串刺しだけは勘弁してください」
今度は身を乗り出して身体全体を近づけてくる黄金なお嬢さん。
「なら今すぐ出せ! 私が連れ戻してくる」
なんという行動力だ。
違う意味で黒髪の彼は感心してしまう。
「それは、その、今は無理なんだよね……ごめん」
「ならいつなら行けるんだ?」
身体全体が大きく震える。
どうする?
ここで本当の事を言えば絶対ただじゃすまないし、嘘を付いて後々バレれば確実に串刺しどころではなくミンチにされる。
なら……黒髪の彼は意を決した。
「い、一億年後……です」
眼前に輝く大剣が迫った。
彼は無様に尻餅を付きながら尚身体を仰け反らせる。鼻先まで大剣が伸びてくる。額に一線を描く形で汗が流れる。
「冗談を言っていい空気でない事ぐらい、分からないのか?」
Sっけ溢れるお嬢様な顔が迫ってくる。
(巫山戯やがって、あの野郎……このままじゃあ、私の命がジ・エンドしてしまうじゃないか! とにかくこの状況を何とかしなければ、私に未来は無い)
一度を空気を吸って吐いてから、静かに目を見開いた。
「いいや、冗談ではなく本当だよ。一度開いた彼方側へのゲートは、もう一度開くのに1億年必要なんだ。これは紛れもない事実だよ」
怯んだ。
ほんの少しだが、黄金なこの乙女の心が揺らいだ。
「な、なら、他に方法は? 何かないのか!!」
「無いよ。これはきっぱり言える。無い!」
ふざけるなと言わんばかりに、その乙女は大剣を振り上げた。
今だ。
(こいつを言えば、この娘は止まる……筈だ)
二人の目が交差する。
黒髪の彼は静かに事実を告げた。
それでこの反応ならもう言うべきは一つしかないだろう。
黄金の女性も少々焦っているご様子だ。
言うべき言葉。
それは。
「君が私を殺せば、彼は君を嫌悪するだろうな~。もう、永遠に口も聞いてもらえないだろうさ。それこそ一億年と言わず、何十億年も何百億年も。君の顔を見るたび、憎悪の目が向けられるだろうさ」
黒髪の彼は不敵に笑いながら、黄金な少女の目を見据える。
震えていた。
大剣を持つ少女の手が見て分ける程、大きく震えていた。
「か、構わない……今、この時の鬱憤を晴らせるのならば」
黄金な少女の躊躇いがちな声を無視して、彼は話を続ける。
「そうしてまた以前の関係に戻る訳か……今度そうなればもう関係を持ち直す事はできないだろうな~、絶対に」
その顔にもはや焦りの表情はなかった。
あるのは余裕の笑み。
「くっううううう」
「さあ、どうする?」
ガチャリという金属がぶつかる音がした。
「ぐすっ」
「あ、あれ?」
少女の鼻を啜る音を聞いて、よく分からず黒髪の彼はおどおどしてしまう。
「うっ、うあああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!! 私は、私はどうすればいいんだ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
泣いてしまった。
さっきまでの威勢はどこへすっとんだんだ?
普通に脆かった。
黒髪の彼は頭を掻きながら、慰めの言葉を考える。
「だ、大丈夫だよ。私が今、ゲートを開く別の方法を考えているから、だからそんなに泣かなくても……」
永遠と泣き止まない単なる少女の姿が、そこにはあった。
黒髪の彼は静かに黒いだけの天井を見上げた。
どこぞの誰かに向けて言い放つ。
(本当、君は女を落とすのが上手いんだから)
泣き続ける少女を見ながら、微笑みながらそう言うのである。
(早めに見つけなきゃな、全く)