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疑殆帯同  作者: 穏田
第一章
8/50

2-3

「開演時間まであと何分?」

 彼女は腕時計を見て「あと15分くらい」と答える。

「開演には間に合わないけど大丈夫よね。駒緒の出番しばらくないし」

「開幕してすぐに『おぎゃあ』って言わなきゃいけないんだけど」

「生まれるシーン? 声だけでしょう?」

「うん」

「なんとかなるわよ」

 下のアイラインを引くため上を向くように言われる。その通りにすると口が半開きになって、美優はそれを指摘して笑った。

 濃い目のアイシャドウに過剰に赤く染められる頬。眉毛を書き、少し顔を離して対称になっているか確認される。

 真剣に見つめられているのが自分のギャグを全面に押し出した姿と相俟あいまって気恥ずかしかった。

「まっすぐ向いて」

 舞台のほうが騒がしい。最終的な確認に入ったのだろう。クラスメイトが何人か、そばを慌ただしく走り去っていった。

 あごを掴んで好き勝手な方向を向かせていた美優は、満足したのか最後に口紅を何種類か出してくる。オレンジやピンク、赤のそれらの中から、彼女はより赤いものを選んだ。

「濃すぎない?」

 俺が付けたらお化けみたいにならない? と不安を口にするが「濃いくらいでいいのよ。白雪姫は真っ白な肌に血のように赤い唇がえるイイ女よ」と言って駒緒を黙らせる。

 アイシャドウやチークがどぎついことには何とも思わなかったが、口紅となるとなぜか怖気おじけづく。何度メイクされてもこれだけは慣れない。

 リップブラシが近づく。

「駒緒! 何やってんの!?」

 一旦メイクを中断させたのは杏奈だった。

 ほっとして振り向くと、怒り心頭の様子で丸めた台本で手のひらを叩いた。杏奈が駒緒を急かして呼ぶときの仕草だ。

 俺は犬か。

「出番?」

 美優が駒緒の頭越しに訊く。途端に杏奈は申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんね、美優。ちょっと急いで」

「うん、あと口紅だけ。こっちこそごめん」

 おいおいおい、俺に接するときと態度違いすぎません?

 そう言ったところで睨まれるだけなので駒緒は口をつぐむ。よろしくねと、杏奈は戻ってしまう。本当にせっつくためだけに来たようだ。

「愛されてるねぇ」

 美優はニヤニヤしていた。

「どこがだよ」

 リップブラシのむにゅとした不思議な感覚が唇の形をなぞっていく。

「嫉妬しちゃって。杏奈かわいい」

「怒ってたぞ」

「怒ってないわよ。不器用なの」

「全然かわいくねーよ」

「素直じゃないところは似てるのね」

 何を返しても無駄だった。美優には勝てない。

 最後に指先で馴染ませてメイクは完了した。

「いってらっしゃい、白雪姫」

 美優はひらひら手を振る。

 セリフや立ち回りを思い出しながらチラリと鏡を見て、駒緒は美優に礼を言った。

 まあ――見苦しくはない。




 継母から逃れるために7つの山を越える。

 逃がしてくれた猟師はどうしただろうか。山中を必死に進んだ。

 お父様――優しい父を思い、涙を流す。

 お母様、新しいお義母様は私を気に入らなかったようです。ヒールはとっくに折れ、ドレスは木々の枝に千切られて目も当てられない。

 王宮で暮らしてきた白雪姫はこんなに長く険しい道を歩いたことはなく、遂に歩くことも体を起こすこともできなくなる。

 瞳を閉じると、そのまま夢の世界にいざなわれていった。

「お嬢さん、お嬢さん」

 耳朶じだを叩くのは少し甲高い声。

 体を揺らされ、目を開くと目の前には大きな鼻があった。びっくりして飛び起きると頭と頭がぶつかる。

 2人して痛い痛いと跳ね回った。

「お嬢さん、お嬢さん」

 また違う声が白雪姫を呼ぶ。

 ハッとなって顔を上げると、そこには7人の小人たちがいた。

 14個の色とりどりの目が白雪姫を見つめる。

「あなたたちはだぁれ? 私を助けてくれたの?」

「そうさ」

 小人たちは胸を張る。

 その動作はぴったり揃っていて、観客席から密かな笑いが上がった。

「あなたたちは私の命の恩人ね! ありがとう!」

 愉快で心優しい小人たちと白雪姫はすぐに仲良くなった。

 彼らは白雪姫を守るナイトになり、白雪姫は彼らを癒すアイドルになった。

「いいかい、白雪姫。ぼくたちがいないとき、誰であってもこの家に入れてはいけないよ」

 小人たちはいつも白雪姫にそう言いきかせて仕事に出かけた。

 白雪姫は「はい」と返事をするが、小人たちは心配で何度も振り返りながら手を振った。

 背景が切り替わり、役者が入れ替わる。

 一方そのころ、王宮では継母が鏡に問う。

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」

「それは7人の小人たちと暮らす白雪姫です」

 継母は嫉妬に狂う。

 まだあの娘は生きているのか。あの子が死ねば、わたしは世界で一番美しい女となれる。

 野球ボールのように丸い毒リンゴを手に、継母はいくつも山を越えた。

 物売りのおばあさんに化けてドアをノックする。白雪姫はそれが継母の化けた姿だと思いもせずにドアを開けてしまった。

 毒リンゴをかじる。

 白雪姫は苦しみ出し、ぱったりと倒れた。継母は高笑いをして、王宮へと帰っていく。

 その不気味さに泣き出す子どもが出た。つられて泣く子が多発し、それでも劇は進められた。

「白雪姫……、ああ、白雪姫」

 小人たちは白雪姫の亡骸にすがった。

 ガラスのひつぎに彼女を横たえ、朝も夜もなく泣き明かした。

「なんて美しい姫だ!」

 ある日、白馬に乗った王子様が現れ、眠る白雪姫に口付けた。

 白雪姫の口から毒リンゴの欠片かけらがこぼれ落ちる。彼女は目覚めた。小人たちは喜び、歌を歌った。

 そのころには観客席の阿鼻叫喚も収まっていた。食い入るように舞台の上を注視する。

「結婚してください、姫」

 白雪姫は王子の手を取り、2人は幸せに暮らしましたとさ。

 めでたし、めでたし。

 ナレーターが締めの文句を言うと、拍手が溢れる。幕は徐々に下ろされ、その間、駒緒は真実と手を繋いだままでいた。

 幕が舞台の床に着くと同時に、役者たちは駒緒を上手かみてに一列に並ぶ。

 汗が額を流れる。

 舞台上は照明に照らされて熱い。しかし、その汗を拭う暇もなく、再び幕は上がった。

 カーテンコールだ。

 拍手を受け、「せーの」の一声で一礼する。

 駒緒は頭を上げる。劇が始まる前は体に引っ付いてロボット扱いしたり、化粧を台無しにしてくれた子どもたちが純粋に笑ってくれている。それだけで報われるような気がした。

 舞台監督の杏奈が自己紹介をしている間、駒緒は観客席を見下ろして自分の番は何と言おうか思案する。


――体育館の扉がゆっくりと開いた。


 駒緒は見るともなしにそれを見ていた。

 暗い観客席に光がす。逆光で顔が見えない。

 その小さな影を見ていた。

「あ――」

 扉は閉じた。

 駒緒は動けない。

 

――何でだ。


 息が吸えない。

 喉が何かでふさがれたように

 彼の全てを奪い去るように


「かがみ」


 マイクが落ちる。音が反響する。

 むりやり首を横へ向けた。

 杏奈。杏奈。杏奈が。あいつ。杏奈。あいつが。

 彼女に手を伸ばすが届かない。

 俺は――守らなきゃいけないのに。

 体がかたむく。

 視界の片隅かたすみで捉えたそいつは、笑っていた。

「杏奈――」

 

 駒緒の手は、届かない。



――目紜が笑った。



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