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疑殆帯同  作者: 穏田
第三章
36/50

1-2

 目紜キリは失踪し、その息子たちは父親の後を追った。助けに来た祖父は「キリくんにも困ったもんだねぇ」と頭を掻いた。

 行寺キノエは1人で来た。

 縦穴の蓋を開けて、開口一番「あっはっは!」と快活に笑ってのけた。何がそんなに面白かったのか、当時も今も分からない。そういう男だ。

 何も考えていないようで考えている。考えているように見えても考えていない。

 それでも行寺家当主は務まるし、彼は非常に運の良い男だった。はったりだけで生きてきたと豪語する祖父はいつでも笑い飛ばして全て分かっているフリをしてきた。

「それできみはどうするんだい?」

 地下から出て、そう問いかけられた杏奈は何も分かっていないような顔で首を傾げていた。記憶の一部を鏡に預けていた彼女は、俺に鏡を与えたせいで記憶の共有ができなくなった。

 そういう生き物なんだよと祖父は訳知り顔で俺に囁いて、杏奈と視線を合わせた。

「駒緒くんのおじいちゃん?」

 頷くと彼女は安心したように微笑んだ。

 大切な何かを失ったかのような、無駄なものが一切ない――とても綺麗な笑顔だった。

「うちに来るかい?」

 もうすでに決めているくせに、そうやって選択を迫る祖父のやり方はあまり好きではなかった。元気良く返事をする杏奈はちらりと俺を見て、また笑った。

「駒緒くんのお家かぁ」

 乗せられた黒塗りの車の中でも嬉しそうに足をブラブラさせていた。どす黒い血の跡を纏いながら彼女は何もかもなかったかのように話しかけてきた。

「お父さんもお兄ちゃんたちもどこに行っちゃったのかな」

「大丈夫だよ、杏奈ちゃん。心配しなくて大丈夫」

 にこにこ笑いながら祖父は言う。何かを企んでいるときの顔だ。

「わたしはキリくんとは長い付き合いになるけど、彼はたまに旅に出てしまうんだよ。まったく、仕方のない子だ。帰ってくるまでしばらくわたしの家にいるといい。わたしとキリくんは友人という言葉では足りないくらいの仲でね、その可愛い可愛い一人娘の杏奈ちゃんが家に来てくれるなんて嬉しいよ。いくらでもいるといい。歓迎する」

 それとね、と彼は言う。絶対に有り得ないことを平然と言う。

「彼の事業もわたしが代理として取り仕切ることになったんだ。キリくんとしてはどうしても杏奈ちゃんに代わりにやってもらいたかったみたいだけど、それはさすがにいくら何でも早すぎる。きみたちの年代は大いに遊んで学び、吸収する大切な時だ。仕事なんてものは大人に任せておけばいいし、子どもは子どもであるうちは自由であるべきだ。そうだろう?」

 人の良い笑みを浮かべながら祖父は嘘を並べ立てた。そういえば、と彼の舌はまだまだ回る。

「この度は駒緒を救ってくれてありがとう。わたしもどうしようか迷って沢山考えたような気がするんだけど、いかんせん頭を使うことが苦手でね。ついつい有理ゆうりが止めるのも聞かずに出てきてしまった。結果、思わぬ収穫もあったことだし大満足なんだが、帰宅した後が怖いなぁ。あの娘は怒ると母親みたいな顔をする。わたしは有理の母親、つまり駒緒の祖母が苦手でいつも逃げ回っていた。怒ると鬼のように怖いんだ。どうして女ってあんな般若みたいな顔ができるのか、不思議でしょうがないよ。家族にあんな仕打ちができるなんて、ああ恐ろしい」

 おどけるような仕草で、祖父は俺を見た。細められた両目の意味することを察して目を逸らした。

「ずっと駒緒と仲良しでいてほしいなあ。ずっとずっと、ずーっとね」

 翌日学校へ行くと、俺は杏奈を助けたヒーローになっていた。

 否定してもクラスメイトは手を叩いて褒め称えた。えらい、すごいぞ、さっすが駒緒。

 杏奈はにっこりと微笑んだままでいた。留まることのない周囲の称賛を、おかしいと分かっているはずなのに黙ったまま、俺を見ていた。

「駒緒くん、駒緒くんはすごいねぇ」

 何かの隙にそう呟いた彼女が信じられない。そこから逃げて、逃げて、逃げたのに、杏奈はあっさりと俺を見つけ出して、夕暮れを背負ってまた綺麗に笑う。

「帰ろう、駒緒くん」

 隠れていた家庭科室の隅で、少し得意げな顔をした彼女はしゃがんで俺と目を合わせた。


「もう―――――――、――――ね」


 その時と同じ台詞を吐いて、目の前の杏奈は俺を見つめていた。

 俺にはどれが現実かも分からない。いつの間にか大きくなった彼女は、俺を見上げて、俺の手を取って、困ったように笑った。

「帰ろう、駒緒」

 俺にはもう彼女の心が分からない。

 それでも俺は、彼女を諦めきれずにその手を握り返した。

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