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疑殆帯同  作者: 穏田
第二章
33/50

10-7



 彼女の知らない彼女のことを、私は全て知っている。



*****



 縦穴が閉じられる。

 暗闇の中で、杏奈の白い肌が光を持っているかのようにちらちら動いた。

 目を凝らすと彼女は左手に何かを持っているようだった。

 そのせいで殊更用心深く足元に気を遣っている――鏡には分かる。

 こうしていてはいけないことも分かっていた。

 しかし、鏡は何も言わず、彼女を待ち続けた。

 抵抗しても無駄だとは思っていない。彼女の隙をつくことも鏡ならばできるだろう。だが、それではいけないのだ。

 そんなことをしてはいけない。

 彼女は鏡の全て。鏡が誰よりも愛した杏奈に危害を加えるなんて、とんでもない。

 そんなことをしたら――それでは、何のために自分が存在しているのか分からなくなってしまうではないか。

 杏奈、と優しく呼びかければ、彼女は美しい仕草で最後の足場から降りた。

「壁にね、かかってたの」

 うん、私も見たわと答えると鏡は彼女に手を伸ばす。杏奈は視界の端で鏡のもう片方の腕に抱かれた駒緒の姿を捉えながら、それごと抱きついた。

 彼女の頭を撫でてやると、杏奈は一瞬体を強張らせ、そうしてゆっくり怯えたように鏡の頬に顔を寄せた。

 甘く甘い杏奈の香りは少し後悔していた鏡の心を傾ける。

「こわがらなくてもいいの」彼女の眉間の皺に鼻先をこする。「私はあなたのもの。絶対にくつがえらない。絶対に揺るがない。私はあなただけのもの」

 肩を震わせ、こわいとだけ呟く彼女から、鏡は身体を離した。

 だって、鏡には分かっている。

 鏡は彼女の全てを知っている。

「作り替えるの」

「できない」

「できるわ」

「やりたくない」

 表情が歪むのを微笑みで隠した。

 鏡は、杏奈に後悔してほしくないのだ。

 自分のせいで彼女が泣くというのなら、喜んでこの身を捧げてやる。

――なぜなら私は目紜鏡。杏奈が欲した唯一のもの。

 それだけで鏡の心は報われる。

「さあ!」

 彼女の手を取って、彼女の手にあるのこぎりを共に掴み、足の付け根に歯を当てた。

「やめて、やめて、鏡!」

 おねがいと叫ぶ彼女が愛おしく、そして自分の意志を押し通す。

 杏奈が上に持ち上げようとしているのだろう。ブルブル震える鋸を力任せに抑えつけた。

「杏奈が望むのなら」

 勢い良く引くと、鏡の太腿はいとも簡単に血を垂れ流した。

「私はたとえ誰であろうと殺してあげる」

 しかしそこから先が硬くて進まない。しかたがないと一心不乱に左右へと動かす。

 杏奈の身体がその動きに合わせるように揺れる。放心したように、呆然と鏡の足を見る杏奈を都合がいいと、苦労して左足を切り落とした。

「あなたのためなら私は私を殺すことだってできる」

 どうしてか心臓の奥が痺れる。

 おかしい。おかしいと思いながら、左足よりは時間もかからずに右足も切り取った。

 それでも覚悟を決めない杏奈に、鏡は溜息を吐く。気にしなくていい。鏡に慈悲なんてかけなくていい。鏡のことなど踏みにじってしまえばいいのだ。そうすべきだ。

「ねえ、杏奈」

 瞳を閉じると、愛しい人の嗚咽が聞こえた。「駒緒が生きるか、私と駒緒が死ぬかのどちらかしかないのよ。絶対に私が生きて駒緒が死ぬなんてこと駄目よ。できないわ。わかってるでしょう?」

 一層大きくなった泣き声に耳を塞ぎたくなる。

 だがもう後には引けないのだ。鏡はもう決めた。

 いつまでも彼女の優しさに甘えていてはいけない。

「私の手足を駒緒に与えなさい。作り替えるのよ」

 彼女が母親にしたように、欽也にしたように、彼の大切な彼女にしたように。

 目紜としての本分を満たすべきだ。

「駒緒をあなたの人形にしてしまいなさい」

 彼女は幸せにならなくてはいけない。

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