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疑殆帯同  作者: 穏田
第二章
31/50

10-5

 暴力はあんまり好きじゃないんだけど、と思ってもいないことを強がりのように欽也は言う。わざとらしく指を鳴らした。

 見え透いた嘘を彼のかつての兄はどう捉えたのか、何も言わずにジャケットを脱ぎ捨てる。自分では直接手を下さない彼にしては珍しい。

 欽也のぎこちなく構えた腕は中途半端な位置で留まったまま動かせず、そもそもの動かし方を忘れたかのように身体が固まる。

「親指を握り込んだら駄目だ」

 幾何いくばくの沈黙の後に彼は言う。

 杏奈の背中が見えなくなったのを確認したのだろう。何も考えていないかのような声で咎める。「指つぶれるぞ」

 からからに乾いた口では皮肉もうまく発声できない。

「昔、兄さんの持ってた漫画に書いてあったな、それ」

 素直に親指を抜き出すと目の前の彼は小さく揺れるように頷いた。

「クロロホルムは信じてなかったくせに」

「何で知ってんだよ」

 睨む彼に優越感のような後ろ暗い気持ちが沸く。

 しかし再び口を引き結んで何も答えない欽也に彼は溜息を吐いた。



*****



 杏奈ちゃんと呼ぶ声は聞き馴染なじんだものだった。

 振り返ると彼女は微笑む。偽物のような笑顔は心底不気味だった。

「佳乃ちゃん」

 走り寄ってくる彼女はふわふわしたワンピースをはためかせて、真っ赤な靴を履いていた。

――絨毯の赤と混じって目がおかしくなりそう。

 佳乃の足ばかりを見ていた。

 少し距離を置いて止まった靴には拭ったような跡があった。止め具の溝にはわずかにほこりが残っていて、ようやく顔を上げて彼女の顔を見た。

 佳乃は今度こそ嬉しそうに笑った。

「全部、ろし立て!」

 大声で言ったことが一瞬呑み込めない。ああ、と返事をした。

「新しいお洋服?」

「そう!」

 甲高い声が耳に痛い。

 いつ買った服なのかとも思ったが、本人に聞こうとは思わなかった。

 靴擦れが痛そうだ。ワンピースだって彼女の身体の大きさに合っておらず、横に皺が何本も走っている。一回り大きいものを着るべきだ。

 それでも彼女は小さい服と靴にむりやり体をじ込んで満足げだった。

「お母さんに買ってもらったの?」

「まさか!」

 両手を広げて回ってみせる。

 えたにおいがした。

「お母さんなんてとっくに死んだわ。でも今日帰ってくるの。お姉ちゃんもね。だから、杏奈ちゃんにありがとうって言いたくて」

「どうして?」

 そう尋ねると、彼女は首を傾げた。

「だって、杏奈ちゃんが生き返らせてくれるんでしょう? あなたのお兄さんに聞いたもの」

 り上がるものを喉奥で抑えると生理的な涙が出る。少しでも動いたら吐いてしまいそうだった。じいっと佳乃を見つめると、澄んだ目が見返してきた。

「それ、誰から聞いたの」

「三太さんよ」

「ああ、そう」

――誰の指示だろう。

 三太は信用してはいけない。あの男が1番厄介な性格をしているのだ。

 ねえ、聞いてと、同情を乞うように表情を歪める。ひどくさまになっていたが、佳乃の心には何も響かなかった。

「死んだ人を生き返らせるなんて無理。私、そんなことできない」

 同じ年頃の子どもなら当然知り得ているであろう常識を告げると、彼女は何度が瞬きをした。

「そんなはずない」

「本当なの」

「絶対うそ。そんなはずないよ。だって、じゃあどうして杏奈ちゃんは」

 舌がついていかずに佳乃は瞠目したまま口がうまく閉まらない。息さえも止めてしまったかのように小さく短い息をいた。

「できないの」

 ポツリと呟いた言葉がむなしく響く。佳乃は耳を抑えて俯く。

 小刻みに震える体が痛々しく、しかし杏奈に目を逸らすことは許されていなかった。

 静かに静かに壊れる彼女を見ていた。

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