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私は私の役割を熟知していた。
私の全てはただ1人のためにあった。そのせいで理性も本能も何の役にも立たず、成す術もなく掻き乱されるであろうことを確信していたが、私はいささか我が強すぎた。
精一杯の抵抗の後、私は彼女に討ち負けた。下剋上を試みたところで敗北を喫することは明らかであった。しかし、私にはどうしても思えなかった。
彼女のように胸を焦がすことも、他人を愛することもできなかった。
あなたのせいじゃないのと彼女は落胆しながら言った。
私が彼女の《鏡》になれないことは自分のせいだといって彼女は1人で泣いた。
杏奈は泣き虫だった。負けず嫌いで、どこまでも純真に彼を追いかけた。私はそれをみっともないと思った。やめてほしいとも思った。だが、私は性分に感けて彼女を出来得る限り甘やかしたし、決して否定することはなかった。
私は、彼女が愛した行寺駒緒よりも主人である杏奈を愛した。
「あなたのことが大嫌いなの」
杏奈のことならば誰よりも理解していた。
彼女を正確に映し出す鏡は私だけでいい。誰も彼女の本心を知らずにいればいい。
のちに私が《歪んだ鏡》と呼ばれる所以はそこにあったが、利己的な心を隠すような器用な真似はできなかった。
「あなたのせいで私は杏奈と離れなければいけなくなったわ。でも結果的に父から逃げることができた。運だけは良いのね、あなた。運しか良くないのね、あなた」
うんともすんとも言わない彼を睨むように見つめながら手を伸ばす。演説のギャラリーとしては力不足だったが死んでいるのだから仕方ない。
指の先で側面に貼り付いた尺取虫を潰した。
「あなたのこと、これっぽっちも好きじゃないわ。百足の体液のほうが愛おしいくらい。でもね、私は私のために存在してるんじゃないの。いくら私があなたのことを嫌っているからって勝手に見殺しにしたら、彼女は泣くわ。そんなことをしたら捨てられちゃう。それだけは絶対に嫌なの。好きな相手に見捨てられるなんて、そんな酷い話ないでしょう? だってあの子が望んだのよ。彼女は自分の意志で選んだの。いけないわよね、中途半端のまま放棄するなんて。捨てるくらいなら初めから拾わなきゃいいのよ。そんなことみんな知ってるわ。責任が持てないのにあれこれ求めるなんて最低よ」
爪先を踏み込むと寒気がするような小さな破裂音が耳に残った。開いた手で人間の肉を貪る虫を握り殺す。
指の間から、ぐしゃぐしゃに縒れた羽が零れ落ちた。
「だから、あなたのこと何も知らないけれど、杏奈のことを軟派な気持ちで救おうなんて考えてるんだったら、このまま死んでいてほしいわ。希望なんて与えないで。彼女の恋心なんていっそ殺してあげてちょうだい。そのほうがあの子のためなの。普通の人みたいに、初恋はやっぱり叶わないものなんだって大人になってから笑えるような存在で手を打ってくれないかしら」
言いながら、膝を折る。
彼の頭部を抱き上げると髪の間からボロボロと虫が溢れた。
「こわいの。あの子がどこかへ行ってしまうみたいで怖くてたまらないの」
地団駄を踏むように彼を冒した虫を殺していく。
「ねえ」
最後の虫を潰して、目紜鏡は冷たく動かなくなった駒緒に哀願する。
「杏奈を助けて」




