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疑殆帯同  作者: 穏田
第二章
25/50

9-2

 それ以上、彼は余計なことは言わなかった。

 華奢な背中が揺れる。

 置いて行かれないように、めいは一生懸命それを追った。

――彼を見捨てたのは誰なのか。

 彼は守られていたはずだ。他でもない行寺の当主によって。

――誰が彼を罠に嵌めたのか。

 陥れたのか。

 めいには分かる。

 しかし、彼女はそれに気付きたくなかった。彼女が目紜の《実験体》という事実は一生消えることはなかったが――同時に、彼女の人生は保障されていたのだ。

 巻き込まれたくはなかった。

 ここまでにしてほしい。わたしの一生を弄ぶのは、ここまでにしてほしい。

 その一心だった。

 彼女は駒緒を諦めた。

 見捨てた。

「さすがにぼくも経験ありませんよ」

 暗い階段の先で彼は振り返った。表情が読み取れない。

「ぼくたちは虫風呂と呼んでいます。ただ縦穴に虫を流し入れただけなんですけどね。兄が入れられたときは痛そうでしたよ。死んじゃうんじゃないかと思いました」

 実際、彼はそれが原因で死にましたけど。

 きらきらと蛍の目が光る。

 泣いているのかと錯覚した。

「行寺くんは虫風呂で殺されるってことですか?」

――彼はめいの反応を見ている。

「自業自得ですね」

 笑顔を作った。

 ぎこちない言動に気を良くしたように、蛍は微笑み返した。

「貴女は本当に、恥も何もないんですね。必死で、汚らしい。生きてて恥ずかしくないんですか」

 あっ、と嬉しそうに声を上げた。「恥と思う心がないのに、恥ずかしいなんて思うわけありませんよね。失礼しました」

 歯を食いしばって笑う。意識してやっているのかは分からないが、彼は人の神経を逆撫ですることに長けていた。

 そして、彼は間違っていない。

 間違っているのは彼女のほうなのだ。

 彼女は結局、自分可愛さに恋した相手を見放すつもりなのだから。

 阿諛めいは実力を知っていた。

 自分は所詮、虎の威を借りる狐でしかない。

 その上で、欲しいものが手に入らないことを知っていた。我慢を知っている。

 諦めて、へらへら愛想笑いをしているのがお似合いなのだ。

 ずっとそうしてきた。そうやって、今の地位を得た。

 分家の中でも破格の待遇を受けた自覚がある。

 これ以上はいけない。

 この先は、駄々をこねたところで通らない。

 実力がないやつは媚びて媚びて、やっと貰えるのだ。彼女は今の時点で逸脱していた。

 我儘を言い過ぎた。

 彼女は――ここまでだった。

「それで、わたしは何をすればいいんですか」

 蛍が一向に動こうとしないのでめいは階段を降りていく。

 彼は最後の一段のところで足を止めていた。

「貴女は言うことを聞いていればいいんですよ。ぼくたちの意図する通りに、言いなりになっていればいい」

 とんとん、と肩を叩かれる。めいは跳ねるようにして振り向いた。

「遅い」

 正面にいた蛍が彼女の肩を叩けたはずがない。

 めいの背後に立っていた三太は剣呑な目つきをしていた。「遅いって、おまえら。もう終わったよ」

 生々しい血の匂いが鼻を突く。

 肩口にはべったりそれが付いていた。

「蓋も閉めちゃったよ」

 三太を突き飛ばした。

 最後の一段を跳ね落ちて、彼の言った『蓋』に手をかける。しかし、それを彼らが黙認するはずもなかった。

 ダン――ッと慌てた三太はめいの足の上から蓋を踏んだ。

「何してんだアンタ!!」

 痛みに歪めた顔を平手打ちした。衝撃で揺れた彼女の髪が乱れる。

 むんずと掴むと強引に引き寄せた。

「おれたちまで巻き込まれたらどうするんだ!」

「だって――行寺くんが」

 はあはあと荒い息をしていても耳につく。

 蓋の下の穴に彼がいる。

 うめき声が確かに聞こえてくる――彼が苦しんでいる。

 身体が言うことを利かなかった。

 鼻の奥が痛い。

 心と体が食い違う。利害だけを考えていたはずなのに、今更駒緒のことで頭がいっぱいになる。

 どうして彼は行寺なんかに生まれてきて――杏奈になんか気に入られてしまったのだろう。

 そうでなければ彼は、わたしのものになったはずなのに。

 こんなに苦しむことなかったのに。

「あの女のせいで」

「……次にそれを言ったら、ぼくは貴女を許さない」

 はっとして見ると、蛍はめいを睨みつけていた。ぶるぶると手が震えている。

「めいさん」

「はい」

「笑え」

「――はい」

 にっこり笑うと彼は射抜くように、真意を探るようにめいを見つめた。

「貴女次第です。ぼくが貴女を守ってあげましょう。父には今回のこと、報告しません。その代わり、貴女はぼくのものになるんです。誓いなさい。決して妹を侮辱しないこと。ぼくの命令には従うこと。それさえ守れば、貴女の将来は約束されます」

「わかりました」

「それでいいんですよ」

 蛍は髪から手を離し、赤く腫れためいの頬を撫でた。

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