8-5
中野めいには責任があった。
駒緒が帰ってこないと彼の母親から電話があった。その話を、夕ご飯の席で母から聞いた彼女は即座に察した。
間違いなく、佳乃の仕業であろうこと。
あの友人は思い込んだら一直線。手加減を知らない。
何より、あれでも友達思いなのだ。
間違った方向へ向かってしまうことも多々ある彼女のことだ。今回も、それと同様なのだろう。
しかし今までとは訳が違う。
行寺家に手を出すことは、子どものしたことでは済まなかった。
特にめいの父親などは、その話を聞いて以降、始終落ち着かない様子であった。
めいは知っていた。
子どもでも知っている――行寺家と決して敵対してはならない。
幼い頃から言い含められてきたことを思い出す。普通に関わるだけならばいいのだ。彼らは身内や中立の存在には優しい。慈善的な彼らが牙を剥くのは、ただ一点のみ。
彼らに仇なす者が現れたとき。
それまでの温厚さは跡形もなく消し飛ぶ。中野家は目紜家の分家となって久しいが、比較的仲が悪いとされている本家の人間でさえ行寺にちょっかいをかけようなどとは思わない。
眠れる獅子と言われている彼らは、まさしくそのとおり。子を傷つけられれば、たちまち目を覚まして襲いかかってくる。
駒緒自身は凡庸としていて他人を傷つけることなど頭にもないだろう。だが、彼の周りはそうではない。彼の周囲は――彼を取り巻く環境は、そんな生温いことを許さない。
彼は異質だ。普通であるが故に浮いている。行寺には相応しくない。
曰く、聞いたところによると、駒緒は家長たる彼の祖父に溺愛されているらしい。界隈から少しずつ撤退しているとも聞く。まさか後継ぎがあのように諍いを好まないからといって――彼の代で完全に血を絶やそうとしているわけではあるまい。
畑が被っているせいで行寺が退くに合わせて目紜が勢いづいている。しかし、両者は比べるに値しない。所詮、目紜などは行寺が本気になれば、まとめて潰されるのだ。
目紜が操るは傀儡。
行寺は人の意を操る。
そこには明確な違いがある。
お人形遊びしかしたことがない目紜では、意志を持った人間を自在に使う行寺に敵うわけがないのだ。
本家はそれを解っていない――分家は口々に言う。
行寺とやり合いたくなどない。いっそのこと寝返ってしまおうか。
現代において、それほど派手に行われることはないだろうとも言う声もあったが、それでも怖いものは怖い。
死んでしまっては元も子もない。
――めいの両親は震えていた。めいが、本家に召集されたからだ。
めいのみが。
それは異常なことであった。
行寺家の跡取りを拐かされ、目紜家が動き出した。それの意味することは凡そ一つしか思い至らない。
せめて、めいがこのように幼くなければ。
成人していたならば。
もしもの話を悲愴に話し合う両親の仮説は的を外したものだったが、やがて娘をおめおめ本家に引き渡すようなことはできないとの結論を決した。
彼らは分家も分家。かわいい一人娘を差し出そうなどとは、とても思えなかった。
親子3人ならば逃げ果せることもできよう――彼らは判断を誤った。
目紜を軽視した。
その結果、逃げ遅れてしまう。
「こんばんは」
逃亡は叶わない。
玄関を蹴破られる。鼓膜を破るような暴力的な音だった。
母親が悲鳴を上げる。父親はめいを抱きかかえた――隠そうとでもするように。
全く無駄な抵抗だった。
「ぼく、目紜蛍っていいます。めいさん、どこですか?」
子どもらしい下膨れ気味の顔が斜めに傾く。粉塵が床に落ち着かないうちに、夫婦は娘を連れて勝手口に踵を返した。
荷物も何も持っていないが、そんなことを言っていられない。
はやく、娘を。
「うーん……?」
目紜蛍は、それを見て振りかぶる。
「もしかして電話で言ったこと、忘れちゃいました?」
投げられたぬいぐるみが――ヒトガタが父親の背中を打った。もんごり打って倒れ伏す。
蛍は唇をとがらせて、言う。抗議する。
「そんなことされたら、ぼくが兄ちゃんに怒られちゃうんですけど」
すたすたと歩み寄り、腰を抜かしためいの母親などには目もくれない――一直線にめいのところまでやってきた。
廊下の隅で身を丸める彼女の腕を引き上げた。
「や――やめ」
「こんばんは、目紜蛍です」
抵抗するめいに難儀するが、のしかかって抑え込めば大人しくなる。
うんうん、と彼は頷く。ほら、ぼく1人でも立派に仕事できる。兄たちは自分を過小評価している。その確信を得た。
「自分が何をしたか分かってると思うんですけど――父があなたにご褒美をくれるそうです。喜んでください」
めいは黙る。ぐすぐすと泣いていた。
すぐ泣くやつは嫌いだ。蛍は癇癪を起しそうになるのを耐える。駄目だ駄目だ、ここで怒っては。指示通りにしなければ。
「悪いようにはしません。あなたは褒められてるんです。父が誰かを褒めることなんて滅多にないので素直に喜んでくださいね。あなたのおかげで、ぼくの可愛い可愛い妹は道を踏み外さずに済んだ。良い人ですね、あなた。好きな人でなく、仕えるべき相手を優先させたんだから。従順で素晴らしい。なかなかできることではありません」
間諜に向いてますよ――人として大丈夫かどうかは疑わしいですけどね、そう揶揄する。軽いディスリスペクトは、彼にしてみれば親しくしたい相手にするコミュニケーションの一環だったのだが、彼女には通じなかったらしい。
少し早まってしまったかな。その程度の認識だった。
彼の妹はコミュニケーション能力が異常に高かったが、彼自身は自分で思っているほど人付き合いがうまくなかったようだ。
大ダメージを与えてしまったことには終ぞ気付かない。彼にしては最大級のおべっかを使ったと自尊し、無神経に笑いかけた。




