8-2
「あ」
思い出したように喪服男を振り仰ぐ。
一歩下がって従っていた彼は、父親より頭二つ分は背が高い。キリの身長が平均男性より大分低いだけなのだが。その身長差に慣れている彼は身を屈めた。
耳打ちする。
喪服男はそれを聞いて顔をしかめたが、反論することはなかった。
ずるずると引きずる。
特に重いとも思わなかったが、気が重い。キリの計画に加担していたものの、その息子たちだとて一枚岩ではない。
四男――三太は駒緒を憐れんでいた。
こんな、くだらないエゴに振り回されて。妹が誰に恋心を抱こうとも、気になりはすれ、何の問題もないのに邪魔しようなどとは思わない。好きにすればいい、そう思っていた。
人の心はその人自身のものだ。本人のみに占有権がある。
独占する権利がある。
他の誰にも、親にも、捻じ曲げてまで左右させることは決して許されないはずだ。
妹を可愛いと思う。家族として愛している。
兄として許されるのはここまでだと、彼は了解していた。
「………」
ボロ雑巾のようになった少年が何やら呟いている。
微かな声を聞く。
喋れないから会話にならないと言って父親は少年を見限ったが、三太は彼の言葉を聞いた。
――杏奈。
馬鹿かと思う。
妹に関わったから、こんな目に遭っているのに、この期に及んで彼女の名を呼ぶのか。もしかして状況を把握できていないのか。
唐突に攫われ、死にかけになったことで気が狂ってしまったのか。
「杏奈はきみのものにはならないよ」
せめて、最期の話し相手になってやろう。
三太は足を止めた。
「あの子はずっと、この家からは逃れられないんだ。おれたちにはどうすることもできない。父さんの言うことは絶対。たとえあの子があれほど美しくなくとも、才能を持っている。特殊なんだ。おれたちには成し遂げられなかったことを軽々やってのける。きみは災難だったね。杏奈はまだ、父さんの怖さを知らないから逆らうようなことをしてしまった。きみは悪くないよ。運が悪かっただけだ」
運が悪かった。それだけ。そのせいで駒緒は死にゆく。
哀れだ。
何一つ彼のせいではないのに。
父親の本性を知っている三太は、そう思いながらも駒緒を助けることはしなかった。
三男、目紜花梨は行寺駒緒を嫌っていた。
妹とここ最近急激に距離を詰め、その好意をかっさらっていった。その時点で気に入らなかったのだが、その後の対応も最悪だった。
惚れた理由を聞いた挙句に振るなんて、我らが妹を馬鹿にするにも程がある。父親が駒緒を蹴り飛ばしたときはスカッとした。ようやく溜飲が下がるような心持ちになった。
そうして少しは晴れた頭になって思い出すのは、やはり妹のこと。
冷静になって、視野が広くなる。
彼女は今どうしているだろうか。提起から行動までの迅速な対応は彼らの強みであったが、思慮が足りないのも確か。
要である父親が杏奈にかかりきりになるというので長男の指示で兄弟たちは動いていた。駒緒を攫って来い、父親からはそれだけだ。詳細に関しては長男の匙加減だ。
杏奈は、愛しい妹はどう思うだろうか。
自分の恋した男をあんなふうにされて。
間違いなく怒るだろう。花梨は妹が激情に任せる場面など、ついぞお目にかかったことはない。だが、自分たちの妹である。直情的ともいえる性質を受け継いでいないはずがない。
父親などは杏奈に感情の起伏が認められないと思っているようだが、そんなはずはない。
花梨は常々杏奈の監視を仰せつかっていた。だから知っている。あれほど感情豊かな人間は、怒りも悲しみも正しく表現するであろう、と。
大袈裟なまでに、その全身でもって父親にぶつかるであろうこと。
彼は他の兄弟ほど父親を恐れてはいなかったが、その異常性や苛烈な性格を誰よりも近くで見てきていた。
花梨は考える。
杏奈とキリがまともに喧嘩したら、自分たちどころか目紜家、ひいてはその《本業》もただでは済まない。それは困る。
そして、彼自身はどちらかといえば杏奈寄りなのだ。彼女のことを考える。
妹ならば、どうにかできるかもしれない。
一度排除できそうだった悪い虫を助けるような真似はしたくない。でも――
天秤にかける。
これからの選択が自分の運命を変えるやもしれない。迷う。
最終的には、自己の利益を優先させた。
取って返す。
本来ならば駒緒のほうに行ってから本命に取りかかったほうがいいのだが、どうせあのヤワな弟はグズグズと同情していることだろう。甘すぎるのだ。
そんなだから、いつまで経っても重要な仕事を任せてもらえないのだと唇を歪めた。
人の心は九分十分。
目紜家次男、目紜哲は三男・花梨と同じ結論に辿り着いたところであった。そもそも彼は諸々の細かい事情などはどうでもいい。そんな面倒なことは他の兄弟が考えればいいことであって、自分は専ら肉体労働に専念していた。
誘拐は彼の得意とするところであったが、その話はさておき。
ともかく、今回はいつもより更に面倒なことが起きている。
長男の様子を見るに、何やらまた無茶なことを要求されたらしい。あの父親はたまに常識から外れたことを当然のことのように命令してくる。
むしろ常識外のこと以外を命じられたことはない。彼らの《常識》は世間一般の《常識》とはおよそ擦り合わせ得るものではなかった。そういう家庭環境で生きてきたのだ。彼も充分人の道から外れた存在だった。
とはいえ、彼ら7人の兄弟の共通意識は変わらない。
妹の喜ぶ姿が至上の喜び。
それ以外は悪だった。
筋肉が詰まった頭で思案する。今回の場合、父親の判断は《悪》ではないのか。
はたして、杏奈は喜ぶだろうか――もっと早く思い至るべきであったことに今更ながら頭を使う。
結論は、喜ばない。
泣いてしまうだろう。怒るかもしれない。
哲は妹の笑顔に弱かったが、泣き顔にも弱いのだった。
次男は三男と手を組む。自分には難しいことは分からないが、三男は参謀が得意だった。ちょうどこちらを認めて走ってくる花梨を見つける。
顔を見るだけで考えていることが一致していることは確認できた。杏奈を救い出そう――囚われの彼女を父親から奪還する作戦会議がひそかに行われた。
六男、蛍は暇だった。
兄たちは忙しそうに仕事をしている。自分が混ぜてもらえたのは誘拐の部分までだったらしい。
ぎゅう、とぬいぐるみを抱きしめる。「ヒトガタ」と名付けられたそのクマは誕生日に妹からもらった。
花梨はその命名を趣味が悪いと貶していたが、変えるつもりはなかった。
「蛍」
長男が自分を呼んだ。嬉々として近寄る。
大事な大事な仕事だと言って、蛍はおつかいを任された。
目紜家長男は電話をかける。
蛍に仕事の一端を担わせることにしたが期待はしていない。裏で手を回して万一にも備える。目の届かないところで勝手をされるよりマシだ――花梨と哲の企みには気付いている。
それでも止めはしない。成功すればいいとも思っていた。事が露見した時、責任を取らされるのは長男である自分であろうが構わない。
自由がきかない自分の代わりに、成し遂げてほしいと思った。
「夜分に失礼いたします。わたくし炉端学園の――」
胸が痛む。
本当はこんなことしたくない。
「ええ……めいさんのことでお話がありまして」




