8-1
「これがコマオくんか!!」
嬉しそうな声がする。
転がすようにワンボックスから落とされた駒緒は、そのまま両足を轢かれていった。
「思ったより小っちゃいなあ! 三太くらいか!」
ぎゅっと拳を握る。
声を出すわけにはいかない。剥がれかけの爪が手のひらに刺さる。芋虫のように丸まろうとした駒緒は、自分に向かって走ってくる足音を聞いた。
放り投げられたままの体勢からは動かない。短時間で体に教えこまれたことが彼の全身を縛りつけていた。
動いたら、騒いだら痛い。殴られる。目覚めては殴打され、何時間かに及んだ暴行は思考を停止させるに充分だった。
軽快なそれはまるで陸上選手のように力強くリズミカルに近づいてくる。そして、そのリズムのまま、駒緒の腹を蹴り飛ばした。
小さくしか開かない口で息を逃がす。
目を開けようとしても、顔中腫れていてピクリとも動かない。ぴきぴきと肌の表面が割れる音がする。
どうにかまだ力の入る左足を立てようとするが、折り曲げた脚はそのまま勢いよく踏み潰された。車に折られた方向とは逆に向く。千切れてしまう。
「これがコマオくんかあ!」
《彼》は再び感嘆の響きを滲ませながら駒緒を呼ぶ。
得体の知れない声の主を駒緒は恐れた。はぁはぁと肩で息をしながら這いずる。
「う……う……」
少し動くごとに溜息ともつかない僅かな吐息が漏れる。そのせいでまた殴られるのではないか――恐怖で振り返る。
その表情に気分を損ねた《彼》は、既に視力が失われかけている駒緒の目を貫いた。
「あああああ……」
「うえー」
耐え切れずに転げまわる。
喚く姿を《彼》は、汚れた手を振り、にやけながら見ていた。
「人間の肉の感触って気持ち悪いから嫌なんだよね。ぶにゅって」
指で目を突いたのだ。赤と黒の固まりになった少年を《彼》は心底楽しそうに嘲っていた。
痛い痛い、と繰り返す駒緒に「いたいのー? んー?」と侮蔑を含んだ甘い声で訊く。
「僕はもっと痛いけどね」
加害者は被害者面して見下げてくる。
かたわらに座り込んで、指先を彼のボロボロになった制服になすりつけた。
「きったね」
乾いた笑いを響かせる。
笑わない目で――ゴミのようになった少年を見つめた。
「きったねーよ、コマオくん。汚いって――ねえ。
聞いてます?
そんなきったねー体で僕の娘に触ったんだよ、きみ。習ったよね、汚い手で綺麗なものを触ってはいけませんって。教えてくれたよね。キレイキレイしないといけないって先生も親も教えてくれたでしょう? もしかして教えてもらってない? 教えてもらってないの? じゃあ、しょうがないなぁ。知らないんだったら仕方ないよね。コマオくんは悪くないよ。悪いのは大人のほうだね。そうだよね? そうなんだよね? 知らないんだよね、きみは。
ねえ、お返事。お返事してくれないと聞いてるんだか寝てるんだか分からないよ。そういう子なの? 態度悪い子は嫌われちゃうよ。評価下げられちゃうよ。僕だってね、こんなこと言いたくて言ってるんじゃないんだから。怒るのだって疲れるの。分かります?
聞いてる? お返事して」
アリの巣に洗剤を流し込む子どものように純粋に、《彼》は観察する。
嬉々として、苦しむアリを死に追い込む。
視界に入ることが不快――それだけを理由に駒緒をいたぶる。返事をしない彼の頭を「おい、ゴミ」と殴った。
「もしかして知らない人に話しかけられたら返事をしちゃいけませんって習ってる? えらいね。えらいでちゅねぇ、ママの言うことちゃんと守って。ご褒美あげようね。
僕は目紜キリだよ。きみの通ってる学校の学長さん。目紜って漢字わかるかな。わからないよね、きみ頭悪そうだし。そもそも学長ってどういう人か知ってる? 1番偉い人。僕があの学校で1番偉いの。トップ。きみみたいなゴミとはお話にならない。比べる必要すらないの。だからね、僕の娘はナンバー2。僕の次に、2番目に偉いんだよ。
2番って分かる? 1番の次ってこと。きみは何番だろうね。そうだなあ……ゴミムシゴミ番かな。少なくともゴミと2番には天と地ほどの差があること分かってくれたかな? 分かるかなぁ。分かってないから、あんなことしたんだもんね。ほんと、ゴミって最悪」
にこやかに目紜キリは言う。
話し続ける。
駒緒には、その全てを聞き取ることはできなかった。荒い息遣いが頭の中を占めて、キリの言葉は上滑りして入ってこない。
どこもかしこも熱く、耳鳴りを振り払うように暴れた。
キリはびっくりしたように目を見開き――溜め息をつく。両腕を振り乱して、血反吐をまき散らす獣のような少年にがっかりした。
訳も分からず、抵抗もできずに虐げられた彼は朧げな意識の中で尊厳を主張する。
駒緒には分からない。キリの言っていることも、なぜこんなことになっているのかも。
ただただ、失われたものを思って泣く。
ひと時のうちに奪われたものに対して、ひどい喪失感を抱いた。
「ねえ、これ舌抜いたの? 会話にならないんだけど」
「抜いてませんよ」
舌は、舌はね。
そう返すのは喪服男だった。
しかし、それすら駒緒には分からない。声を識別できない。
その場には8人の男がいたが、彼が認知できたのは目紜キリのみであった。
「まみら――」
「まみだ、だよ。まみだ」
滑稽に騒ぐ少年をせせら笑う。
「やーばいでしょ。まともに喋れないの? 本当に舌残しといてくれた? だから嫌なんだよなぁ、もう」
散々遊んで弄った罪なき少年に、キリはあっさり背を向ける。
もう飽きた――大して面白くもなかった。
自分の娘が惚れた男を絶対許さないつもりだったが、案外はやく壊れてしまった。何も聞き出せなかった。
どうしても聞きたかったことがあって、わざわざ連れて来させたのだが、口もきけないのなら用はない。
「捨てといて」
7人の――キリは彼自身の息子たちにそう命じると、駒緒には見向きもせずに自室へと足を向けた。
次話 3/26更新




