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疑殆帯同  作者: 穏田
第二章
15/50

 しばらくすると、中野は一人で帰ってきた。席まで戻ると床に落ちた鉛筆を拾う。

 机にそっと置かれたそれは先の芯が折れてしまっていた。

「ごめんね」

「何が?」

 中野はまた泣きそうになっていた。

「おまえは泣き虫だな」

 頭を小突く。

 彼女は、安心したように笑った。




*****




 2月も末。白い息を吐きながら廊下を歩いていた駒緒を引き止めたのは中野だった。

 色白の彼女にしては珍しく頬が赤い。寒いからかなと思い、使い捨てカイロを差し出す。

「何個持ってるの?」

 昨日も、その前の日も、何度も駒緒からカイロをもらったことがある彼女は笑う。受け取り、礼を言ってくる。

 最近、携帯カイロの有用性に気付いたのだ。正確には2月9日くらいに。

「何か用?」

 家庭科室から顔を出した状態で話しかけてきた彼女は手招きをする。先生に頼まれて教材を運んでいる途中だったが「そんなに時間かからないから」と言うので失礼する。

 室内は温かかった。

「暖房ついてんの?」

「さっきまで4組が授業で使ってたから」

「ふーん」

 中野の顔が赤かったのはそのせいか。カイロは余計だったなと壁掛けの時計を見ながら思う。あと5分くらいで授業開始のチャイムが鳴る。

 4組と言えば佳乃のクラスだ。彼女やファンクラブとの確執は深くなるばかりだったが、ひとまず入会はしていない。あの後、中野が色々と佳乃に言ってくれたらしい。

 そういえば、そのお礼をまだ言っていないなと思い出す。

 中野にしてみたら、親友2人が喧嘩を始めたから止めたくらいの認識程度だろう。ひっきりなしにファンクラブに入るよう説得してくるやつらにうんざりしていた駒緒にとっては、その頻度が減っただけでも有難い。

「あのね、行寺くん」

 いざ口を開こうとした駒緒に先んじて中野が言った。「あのね、」

 何をそんなに躊躇うことがあるのだろうか。いつもだったら、はやく言えよと笑うだろうが、そうできない雰囲気があった。

 しん、とした室内は、駒緒と中野の2人きりだということを嫌でも知らせる。これまでも2人になることは何度もあった。しかし今回は様子が違う。

 あれ? と思ったときにはもう遅い。

 駒緒に背中を向けていた中野が振り向いた。

 顔が赤いのは本当に暖房のせいだろうか。火照ほてった表情に、おまえ熱あるんじゃない、なんて茶化すようなことは言えない。

――聞きたくない。

 再び彼女が「あのね」と呟いている間に、酷いことを思う。そんな言葉は聞きたくない。そんな関係は望んでいない。そういうつもりじゃなかった。

 言葉にも態度にも出さずに、それらを飲み込む。勘違いだと楽観的な声が頭のどこかでする。

 中野に限って、俺たちの関係に限って、そんなことは起こり得ない。

「行寺くんが好きなの」

 



 駒緒を置いて、中野は立ち去った。

 横を走り抜ける時に香った石鹸のにおいが鼻の奥に残っている。足が地面に貼り付いて動かなかった。

 ゆるゆると、ぎこちなく壁掛けの時計を見上げる。授業が行われている時間だった。

 抱えていた教材を見下ろす。

 先生に怒られるだろうな。

 しんどくて床に座り込む。

 中野は――友だちだ。

 それ以外の関係を想像したこともない。

 今までのあれやこれやを思い出す。少しでもそれを匂わせることを彼女は言っただろうか。行動に表したことがあったか。

 ない。

 中野はずっと『友だち』だった。

 そこからは堂々巡りだった。思考がぐるぐる回って結論に辿り着かない。

――いつからだ。

 駒緒は頭を抱える。何が原因で、これまででの関係を壊すようなことを――告白を、中野はしたのか。

 考えるまでもない。

 駒緒にとっては突然でも、中野にとってはそうではない。

 佳乃との衝突が決定的だった。

 あれから、徐々に杏奈と仲良くなっていくのを見ていた。ずっと、駒緒の隣で。それ以外に理由はあるだろうか。

 杏奈と話す前から「あの子かわいいよな」と何度彼女に言ったことか。

 何度、彼女の心を踏みにじったか。

 何も関わりがないうちはよかったのだ。高嶺の華でいるうちは中野も安心していられた。

 中野は駒緒の1番の友だちだ。同じ編入生だし、いい子だし、一緒にいて楽だ。しかし、彼女と同じ気持ちを彼女に対して持つことはできない。駒緒の心は昔から変わらない。入学式の日に奪われたまま返ってくることはない。

 にっちもさっちもいかない状況に痺れを切らしたのは中野が先だったが――その心もまた、返されることはないのだ。返してあげられるものを、駒緒はもう持っていない。

 這いずるように廊下に出る。

 沸騰した頭を冷やそうとする。ガラリと扉を開ける音が響く。

 運動場で生徒たちの騒ぐ声がかすかに聞こえる。それ以外は何もない。冷え冷えとした空虚。

「――駒緒くん?」

 背後からかけられた声に、何てタイミングの悪いと舌打ちしそうになった。

 ぼんやりと向いた、ずっと遠くに彼女がいる。

 目が良いな――最近、知った。杏奈は視力が鷹やワシ並みに優れている。

 おまえはマサイ族か。大自然の住民か。なんだって授業中にほいほい出歩いてるんだ。またお手洗いか、便秘か。胃腸の弱い山根くんか。

 思わず八つ当たりしてしまいそうになるのを耐えて、平静を装う。

「おう」

「……何かあった?」

 目が良いにも程がある。

 杏奈は人の心中を的確に当てる。彼女の前では思っていることが筒抜け同然だと、短い付き合いの中で思い知っている。

 隠し事もできない。

 何の返事もしない彼を不審に思ったのか、近寄ってきて顔を覗きこむ。それだけで駒緒は観念した。

「中野がさぁ」

「めいちゃん?」

「俺のこと好きだって言って……今、どうしたらいいか分かんなくて」

「めいちゃんが」

「そう、めいちゃん」

 久しぶりに中野の名前を口にした。そうだ、めいちゃんだっけ。5月生まれだから。

 杏奈は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。初めて見る顔だ。

 そんな顔もできるんだな。

 麻痺した感覚では、正常な判断ができない。その表情の意味に思い至る前に、何事もなかったかのように彼女はそれを隠す。

「付き合っちゃえばいいじゃない」

 適当に言っているようでいて、その目は駒緒の反応を見ている。

 ぽかんとまぬけ面の彼を嘲笑わらった。

「それとも、私と付き合う?」

 何言ってんだ、こいつ。

 まっすぐに見据えてくる目が怖い。

 杏奈が別人のように見えた。

次話 3/21更新

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