二
テレビゲームが一段落した頃、父と母が散歩から帰って来た。
そして、冷蔵庫に向かい、中を見た母が「あっ」っと間抜けな声を出し、こんな事を言ってきた。
「翼、飛鳥に供えるプリンを買ってきてくれない? お母さん達買い忘れちゃったみたい。ほら、駅前のケーキ屋さんのやつ」
兄の好物は確かにプリンであり、特に駅前のキャロットハウスというお菓子屋のプリンを絶賛していた。
毎年、兄の誕生日にはこの店のプリンを供えるのが習慣と成っているのだが、どうやら両親は散歩に夢中で買い忘れていた様だ。
両親にしては珍しい事である。
私はチラッと壁に掛けられた時計を見た。時刻はオヤツの時間を越えた頃で、カノジョが来る気配は未だ無かった。
このまま今日一杯カノジョの事を待とうと思っていたので、少しばかり私は悩んだが、母のお願いを聞く事にした。
プリンを買いに行く時間ぐらい家を空けてもカノジョは来ないだろうし、数日振りに外の空気を吸いたかったからだ。
「分かった。んじゃ、買ってくるわ」
ソファから立ち上がる私に沢口も続いた。
「ああ、じゃあ、俺もこれでお暇するよ。時間的にも丁度良いし。一緒に買いに行こうぜ」
話し相手とすれば申し分ない。私は頷いて、財布とスマートフォンを持った。
「兄ちゃん、いってらっしゃい。沢口君はまたねー」
つぐみに見送られ、私と沢口は立花家を後にした。
百時間強振りに感じる外の空気は中々に気持ちが良い。
「それじゃあ、行くか」
「おう」
自転車を引く沢口をお供に、我々はいざキャロットハウスへと足を進めた。
我が家からキャロットハウスまで徒歩二十分。のんびりと行く事としよう。
キャロットハウスを目指し、テクテクと歩く。当然、終始無言と言うわけでは無いので、私と沢口はだらだらと喋りながら沈黙を潰していた。
会話という物は互いの共通認識を確認し合うのが主であり、議題として最近起こった出来事が選ばれ易い。
そのため、我々は自然と件のカノジョの話をする事に成った。
「望月さんから連絡とかは無いんだよな?」
「ああ、全く無い。悠太郎さんからは一日一回は連絡来るけど。何か家から出られないらしいよ」
「まあ、望月さんから見れば、自分の恋人の弟を恋人と思い込んで四年間過ごしてたわけだからな。居た堪れないのはしょうがないか」
「当事者の俺が言うのもなんだけど、同感」
沢口の言葉に私は頷き、赤くなってきた西日へと視線を傾けた。
「立花は良く頑張ったよ。お前が頑固なのは知ってたけど、まさか四年間演じ切るとは思わなかった」
「流石だろう?」
「流石過ぎて笑えねえよ」
私達は眼を合わせて笑い合った。
やはり、沢口と居るのは心地が良い。特に取り繕う必要も無く、素の自分で話すことが出来る。
この四年間、つぐみや沢口が居なければ、私は潰れていた。
立花飛鳥を演じられなくなるか、演技が演技でなくなるか、どちらかが起きていたに違いない。
彼らの前では、私は立花翼に戻る事ができて、自分が立花飛鳥では無いと確認する事が出来た。
この四年間、私の馬鹿な選択を見守ってくれた全員には言葉に出来ないほど感謝している。
顔を照らす西日に眼を細めていると、沢口が声のトーンを変えて、聞いてきた。
「ところでさ、立花。質問なんだけど良いか?」
「……何だ?」
自転車を押すのを止めて、彼は立ち止まる。
先日の再現の様だ。
数拍の間を持って、沢口は口を開いた。
「なあ、立花。お前は望月さんが好きか?」
なるほど、その質問か。
何時か誰かが聞いてくると思っていた。
つぐみが聞いてくると思っていたが、沢口がこの言葉を口にするとは予想外だった。
「……今までの四年間の俺を見てれば分かると思うけど」
「はぐらかすな。ただ、答えてくれるだけで良い。お前が望月風香を好きかどうか、それを答えるだけで良い」
別にこの質問に答えなくても、私と沢口の関係は崩れる事は無いし、彼は私の意思を尊重してくれるだろう。
質問の意図までは分からないが、彼はそういう男だ。
だが、ここで逃げるのは真摯ではない。
言葉から顔を背けて、何が親友か。
私は西日へと顔を向け、その眩しさに眼を細めた。太陽は四年前から変わらずに東から上り西に沈んでいる。あの光への感情が昔と今で違うのは、変わったのが私だからだろう。
嫌な顔一つせず待つ沢口へ、私は正面から向かい合った。
そして、時間にして十秒、言葉を整えて、この四年間誰にも言わなかった言葉を私は口にした。
「……俺は、風香さんの事が好きじゃない」
きっと、望月風香の事を憎んでさえ居るだろう。
確かに初めはカノジョの事が好きだった。あの恋の感覚は今でも覚えている。
だが、この四年間、私がカノジョに向ける感情は変わり、元はあったはずの好意は見る影も無く捻じれ歪んでしまった。
だから、カノジョの事が好きかと言うに問いに、私は決して肯定する事が出来ない。
私の言葉を聞いた沢口は一度頷いて、「そうか」と短く呟いた。
「んじゃ、さっさとプリン買いに行くか。つぐみちゃん達が家で待っているんだろ?」
「ああ、そうだな」
再び私達は歩を進め、いざキャロットハウスを目指した。
後十分もすれば着くはずである。
特に問題も無く目的のケーキ屋と私達は到着し、プリンを家族全員分購入した。後はこの菓子を持って帰宅するだけである。
キャロットハウスを後にし、立花家と沢口家の分かれ道まで、雑談混じりに歩いていると脈絡も無く私のスマートフォンが震えた。
振動の理由は着信であり、その送り主はつぐみであった。
「……電話か?」
「ああ」
唐突に嫌な予感が私の全身を駆け巡り、脳裏に四年前の三月十四日の事が過ぎった。
そう、あの時も突然鳴り響いた電話が私達家族へと不幸を報せたのだ。
理由は分からないが、あの日と同じ背筋が割れるような気持ち悪い感覚が私の全身を包み始めた。
「……立花、出ないのか?」
「いや、出るよ」
右手で通話ボタンを押し、左手でスマートフォンを耳に当てた瞬間、
「兄ちゃん! 風香さんが車に轢かれた!」
つぐみの叫び声が鼓膜を震わせた。




