四
○立花つぐみ→望月風香
あれから三日が経った一月九日金曜日。わたしはまだ家から出る事が出来ないでいた。
分かっている。良い加減、わたしは外に出なければならない。
わたしはもう甘えては成らないのだ。
何度もわたしは玄関の鍵を開けた。だけど、扉を開こうとドアノブを握る右手は動かなくて、足も踏み出せなかった。
動け、動け、と念じるのに、体は命令を拒み続けた。
いや、拒んでいたのは心だった。
恐い。今までずっと守られていた世界がもう砕け散ってしまっている。
二度と飛鳥には会えない。飛鳥と話せない。飛鳥に触れられない。この扉を開いたら、わたしはそれを認めてしまう。
わたしはこの期に及んで、飛鳥の死を認められないのだ。
もちろん、飛鳥が死んだ事を分かっている。
けれど、それは字面だけの情報みたいで、まだ実感を持つ事が出来ないでいた。
この四年間、わたしの隣にはずっと〝飛鳥〟が居たからだ。
翼君が心身を犠牲にして演じてくれた飛鳥が居たからだ。
わたしにとって、飛鳥が――死んだのを見たのは四年前でも――死んだのを理解したのはつい三日前だ。
家で待っていたら、何時かまた飛鳥が迎えに来てくれるのでは無いか?
浅ましい期待をわたしは捨て切れないでいた。
お父さんとお母さんは『無理をしなくて良い』と言ってくれた。
だけど、彼らは四年間ずっと無理をし続けていた。わたしの幻想を守るため、わたしの世界を守るため、わたしの心を守るため、わたし以外の望月家と立花家の人々は皆、無理をして笑ってくれていた。
わたしだけ無理をしないなど卑怯にも程がある。
分かっているのに、体は動かなくて、わたしは玄関で立ち尽くしている。
彼らに何て謝れば良いのか分からない。
特に、翼君には、何をすれば彼に報いる事に成るのかが分からなかった。
飛鳥。あなたに会いたい。あなたはわたしの心を溶かしてくれた。わたしの世界を広げてくれた。また、あなたに抱き締めて欲しい。
でも、わたしにその資格は無い。あなたからの愛も、あなたへの愛も、わたしは貶めて汚してしまった。
わたしは在ろう事かあなたの弟を、翼君をあなたと思い込んで愛してしまった。
そう、この四年間、わたしは確かに翼君を愛してしまった。
優しく見つめる翼君の目、胸に響くような透き通った声、暖かな体温、その全てをわたしは否定のしようが無い程に愛していた。
わたしの認識の中では翼君は飛鳥だったけれど、わたしがあなた以外の男を愛してしまったという事実は変わらない。
こんなわたしがあなたに愛してもらう資格は無い。
外に出てしまったら、わたしはこれを認めなくてはならない。
それがたまらなく恐かった。
*
立花飛鳥への第一印象は訳の分からない人だった。
中高一貫校だったから特に感慨も無く高校生に成り、わたしは中学生の時と変わらず図書委員に成った。
変わったのは、立花飛鳥もまた図書委員になった事だ。
確か、飛鳥から立候補したのではなかった。図書委員の最後の一人が決まらず、丁度何の委員会も部活も所属していなかった飛鳥にお鉢が回ってきたというのが理由だったはずだ。
つまり、飛鳥は別にわたし目当てで図書委員に成った訳では無く、完全に運の元で彼とわたしは出会ったという事に成る。
わたしは自分で言うのもなんだったけれど、人と仲良く成るのが苦手で、それを悪いとも思っていなかった。やるべきでないやりたくない事はやらないし、無理をして誰かに合わせるのも面倒で、いつもしたいようにして、話したいことを話していた。
当然こんな生き方をしていれば友人など早々出来る物では無く、その時、十五年の生涯の中で、友と呼べたのは片手で数えるまでも無い人数しか居なかった。
そのためかどうかは知らないけれど、わたしは学年で〝氷の女王〟なる訳の分からない渾名と言うか二つ名を付けられていた。
訂正するのも面倒で放っておいたら何時の間にかわたしは学年の有名人。
まあ、氷の女王こと望月風香に、立花飛鳥は何故か興味を持ったようで、図書委員の仕事中何かと話しかけてきた。
『やあ、望月風香さん。これからしばらく一緒によろしく』
晴れやかな彼の笑顔をわたしは覚えている。
わたしはそっけなく返事をした。
『ええ、よろしく、立花君』
本の貸し出しを行うカウンターにわたしと彼は週三で座って昼休みを潰していた。
割とこの時間は暇な物で、わたしは図書室の本棚から持ってきた本を読み、隣の彼は色々とわたしに話しかけてきた。
『望月さんは、どんな本が好きなの?』
『昨日、見た番組で――』
『今日、B組の佐藤が――』
『前のテストどうだった?』
『どうやら教頭はヅラらしい』
こんな生産性など皆無のどうでも良い話題を飛鳥は飽きもせず話しかけ、わたしは短く相槌を打つか、一言二言返事をするぐらいだった。いや、まあ、ふさふさ頭の教頭がヅラらしいという言葉に対しては流石に驚き、ページを捲る指が止まったけれど。
何故こんな面白く無い返事しかしない相手に飛鳥が此処まで話しかけたのかは今でも分からない。図書委員の仕事が暇だから話しかけたのかもしれないが、放課後の自主参加の時間まで彼はわたしに付き合って図書室へと足を運び続けた。
最初わたしは困惑したけれど、彼の語り口は中々にBGMとしては適当で、気付いたら慣れていた。
認めるのに結構な時間が掛かったけれど、彼と過ごす時間は心地良かった。彼は話したいから話しているだけで、わたしに返事を強要しなかったのが理由かもしれない。




