六
兄の死から一月あまりの時間が経った四月終盤。時間という物は確かに悲しみを埋める特効薬だったらしく、まだまだぎこちなかったが立花家は日常と言う物を送れるように成った。
通学、帰宅、就寝前に鈴を鳴らし、線香を上げるという習慣が増えた日常である。
私は高校二年生に成っていて、事情を知る沢口や教員勢などから様々な支えを貰いつつも、別段前と変わらない学校生活を送っていた。
気付いては居たが、予想以上に私は公私を使い分ける人間であった。演技派だったのだ。身内が無くなったと言うどうしようもない不幸に見舞われたにも関わらず、笑えないほどに私はそれをおくびにも出さなかった。
毎日毎時間毎分毎秒の様に兄の事を思い出していたが、平行して授業を受け、友と談笑し、笑顔を張り付かせていたのだ。
ふとした時に、母は涙を流していて、父は骨壷を呆けたように眺めていて、つぐみは不自然に幼く明るく振舞っていた。だから、私はできる限り、前と変わらない私を演じ続けようとしたのだろうと、今なら分かる。
まあ、私の事はどうでも良い。今私が話さねば成らない事は、カノジョの話である。
葬式の日以降、カノジョから立花家に連絡が来た事は無かった。悠太郎さんから何度か電話が来てはいたが、それの頻度も徐々に無くなり、この一週間は一度も連絡が無かった。
専ら電話は私が受け取り、父へと渡していたのだが、電話の度に憔悴していく悠太郎さんの声に私は一抹の不安を覚えずには居られなかった。
そんな折、半日授業を終えた土曜日の学校の帰り道、私は立花家の最寄り駅ではなく、一つ前の望月家の最寄り駅で下車し、一人望月家を目指していた。
何故、今更カノジョの家を私が訪れようとしているのか。
それは先日行われた兄の遺品整理が理由である。
立花家は二階に、父と母の寝室、兄、私、つぐみの四つの部屋があり、兄の死から落ち着き始めた私達は兄の部屋を整理する事にした。
兄の部屋は彼の性格らしく綺麗に整理整頓されていて、机とベットそれに本棚意外に目立つ物は無かった。
この分ならすぐに終わりそうだと思っていた。
しかし、兄の机を整理していた私達は、兄とカノジョの交際の証である様々な思い出の品を見つけてしまったのである。
幾つかの綺麗に畳められた包装紙の束(おそらくカノジョから貰ったプレゼントの物だろう)。カノジョと一緒に写った写真。その他様々な小物。それらが皆兄とカノジョの恋愛の証であったが、最も眼を引いた物は、数冊の使い古されたノートである。
ノートをパラパラと捲ってみると、それは高校生に成ってからの兄の日記だった。
兄がそのような物を書いていたとは我ら家族は露とも知らず、悪いと思いながらも日記のページを捲った。
日記の中には私達が知っていて、知らなかった兄の姿が在った。
兄の周りで起きた事。兄が感じた事。兄から見た私達家族。兄の悩み、苦しみ、悲しみ、怒り、喜び、楽しさ、嬉しさ。
兄が私達家族を愛してくれた証であった。日記を読んでいくうちに、私を除く家族は涙を流し、ぽたぽたと水滴がノートへと落ちていた。
だが、何よりもその日記に書かれていたのは、カノジョの事だった。
高校生に成って兄がカノジョに出会ってから、兄が死んでしまう日の前日まで、兄とカノジョの周りに何があったのか、兄が何故カノジョのためにそのような事をしたのか、カノジョと恋人に成れて兄がどれほど嬉しかったのか、カノジョと共に居た兄がどれだけ幸せだったのか、その全てが書いてあった。
カノジョへの愛がそこには溢れていた。
話し合った結果、私達家族はこの日記をカノジョに渡す事にした。
兄がこの日記を読む事を許す人間はカノジョだけだと思ったからだ。