scramble
私は電車の中でどこを見ていればいいのか時々わからなくなる。いつもではない。時々だ。気にすればするほどよくわからなくなるのだ。
私は座りながら向かいの窓の外を見ようとした。しかし車内電灯の反射で自分を見ることになる。
疲れている。私は疲れている。それもそうだ。私は知る人しか知らない設備会社の下請けの営業をしている。ただただ賃金を稼ぐことと時間を消費するためだけに働いているのだ。
もちろん、私の会社が請け負った仕事が人々の生活に少しでも貢献していないとも言えないだろう。しかし、私の仕事が世間に何か影響与えているということに思いを馳せるほど、私には心の余裕がないのだ。家族を養うのに精一杯なのだ。もちろん、そんな人生の何が悪い?という思いもある。
☆四十七歳の昭宏が仕事帰りの電車の中で自問自答していると、携帯電話のバイブレーションに気づき、携帯電話を右ポケットから取り出した。画面に目をやると出会い系サイトからのダイレクトメールだった。
昭宏はそのメールに載っていたサイトにアクセスする。
昭宏は最近、出会い系サイトのダイレクトメールのリンク先にアクセスするのが趣味になっていた。別に出会うためではない。ただただアクセスして、そのサイトをただただ眺めるのだ。
18歳あけみ
という情報と、あけみと称する女の顔が出てきた。下にスクロールしていくと、おっぱいが出てきた。昭宏は思わず、しかし冷静に、静かに、何事もなかったかのように電源を切る。そして周囲を見渡す☆
何を気にしているのだ。私は別にやましいことをしているのではない。ただ私に送られてきたメールに載っていたサイトにアクセスしただけなのだ。それに今さらおっぱいがなんだ。私だってそれなりにおっぱいを見てきたし、電車に乗っているほとんどの人間がおっぱいを見てきただろうし、そして見せてきただろう。
私は携帯電話をしまって窓に映る自分を見た。さっき見た時と何も変わっていなかった。表情一つ変わっていなかった。
私は窓に映る自分から、私の目の前に座っている女に視線を移した。二十五歳くらいだろうか。昔なら水商売だと言われてもおかしくないような服装だ。でもまぁただのフリーターといったところだろう。何やら真剣な眼差しで携帯電話のボタンを打っている。真剣と言うよりは拗ねているようにも見える。
☆昭宏が捉えていた女は、十九歳で大学に通いながら雑誌のモデルをしている愛美だった。愛美は彼氏にメールを送っていた。
明日はゆーたんの家でまったりしよぉねぇ(´ー`)にゃんにゃん
昭宏が愛美に視線を移したちょうどその時、愛美の携帯電話にはそう表示されていた☆
私はその女の隣に座っている男に目を移した。とても誠実そうな男だ。髪型はサッカー選手のようにこざっぱりと整えてあり、私の着ているようなくたびれたスーツではなく、新調したようなパリッとしたスーツを着ている。三十手前の商社マンといったところだろうか。きっとスムーズな人生を送ってきたのだろう。彼も何やら真剣な眼差しで携帯電話の画面を見ている。株価でもチェックしているのだろうか。
☆昭宏が捉えていた男は、二十七歳で無職の豊だった。彼は今日、人を殺して逃げていた。殺した人間の家から金を盗んだ。殺した人間の家からスーツを盗んで着た。殺した人間の家で髪型を整えた。彼は携帯電話でオセロのアプリをしていた。
1Pの勝利!
昭宏が豊に視線を移したちょうどその時、豊の携帯電話にはそう表示されていた☆
私は車内を見渡す。そういえばみんな真剣な表情で携帯電話を見ている。
私の隣のおばさんから線香の匂いがした。おばさんといっても私と同じくらいだ。そう。私はおじさんだ。
私は少し顔を後ろに反らせて小さく眼球を動かして彼女の横顔を見てみた。どうやら携帯電話を見てニヤついているようだ。私は彼女が手に持っていた携帯電話の画面を見てみた。メールを打っているようだが字が小さくて見えなかった。何を誰に打っているのか見当もつかない。
☆昭宏の隣で座っているのは四十七歳の美由紀だ。三年前に離婚し、小さな印刷会社の営業事務として働いている。彼女は十五歳の息子にメールを打っていた。
遅くなってごめん。もうすぐ帰る。
昭宏が美由紀の携帯電話に視線を移したちょうどその時、美由紀の携帯電話にはそう表示されていた☆
私はさっきみたおっぱいが気になってまた携帯電話を取り出した。そしておっぱいを見た。
私はおっぱいを見ていた。ふと気がつくと、私の前におばあさんが立っていた。
私は席を譲った。