9・ぐるむ
「今日って、何かあるんですか?」
耐え切れなくなって、瑠香はそう聞いた。違和感はますます膨れ上がり、暗澹とした、形の無い、『もやもやとしたもの』としか形容しようの無い何かが辺りに充満している。
「何かって?」
「いや、なんか、変なんですよ」
「何が?」
「何が? と聞かれれば答えられないけど、何かこう、もやもやというか、むらむらというか、変な気分です。今日は何か、特別な日な気がします」
「風邪でもひいたんじゃないか?」
日々輔は、さして興味がある様には見えない。
違和感の正体の内の一つに気が付くのには、然して時間は掛からなかった。カフェテラス前、風船をもってボーっと待機している内に、不意に閃いたのだ。
「そういえば、支配人も、先輩の親御さんの話をしてましたよね」
「していたような、していなかったような」
日々輔は歯切れの悪い答えを返す。
「で、さっきの赤いのも、先輩の親御さんの話をしてましたね」
「していたような、していなかったような」
「してました」
瑠香は言い切り、
「あの時、先輩、あの赤いのに言われた時、改めて驚いてましたよね。支配人に言われた時は、余り驚いてなかったのに」
「驚いたような、驚かなかったような」
「驚いてました」
瑠香は、謎を解き明かす探偵の様な気分だった。この、正体不明のもやもやを吹き飛ばす為には、謎を解き明かす他無い。
「どうしてですか?」
危うく、あなたが犯人ですね? と聞く所だった。
「そんな事よりも、俺はまた一つ、新しい言葉を生みだしたぞ」
日々輔は、その話題をあからさまに避けたがっていた。追求しては駄目なのか、と、肩を落とす。
「ぐるみ、というのがあるだろう」
「いや、その話はさっき聞きました。ぬいぐるみの、『ぐるみ』でしょう」
「あの話には続きがあるんだ」
「二作目は駄作が多いですよ」
「ターミネーターは二作目がヒットしたじゃないか」
有名な話を請け合いに出して、日々輔は強引に話を進めた。
「ぐるみ、というのは、先に話した通り、ぬいぐるみの『ぐるみ』だとか、着ぐるみの『ぐるみ』の事なんだ」
「家族ぐるみ、だとか、会社ぐるみ、という言葉もありますね」
言うと、日々輔は「それは忘れろ」とやはり強引にねじ伏せる。
「それでだ、俺達は着る『ぐるみ』を着ている訳だ。瑠香坊は兎を着て、俺は熊を着て、毎日毎日、汗だくになりながら、馬鹿みたいに」
話しながら、日々輔は叙々に興奮している様だった。やはり日々輔は、馬鹿な話をしている時が一番輝いている。
「この、俺達の行為を、『ぐるむ』と名づけるのはどうだろう」
新種を発見した生物学者が、新種の生物に名前を付けるかの様な興奮を見せながら、日々輔はそう言った。
「ぐるむ」
呟いてみる。
「瑠香坊は兎ぐるむをしている。俺は熊ぐるむをしている」
どうだ、と言わんばかりの態度だった。
「小話としては、三十点」
「ハードルが高いな」
そんな話をしている内に、カフェテラス前の一時間が過ぎた。
話は後半戦へ。