8・ひとでなし
「子供を待ってるらしいですよ」
瑠香はそう報告する。先の中年夫婦は、初めはマスコットに話しかけられた事に戸惑い、若干の警戒を見せながらも、「子供を待っているんです」と答えた。「私達の、子供を」掠れ、消え入りそうな程、弱弱しい声だった。
瑠香は半ば無理矢理、中年夫婦に風船を渡し、日々輔の元に戻った。
「ふぅん」
先程の熱の入り用はどこへやら、日々輔は興味も無さそうに相槌を打った。「いや、ごくろう」と、偉そうに言う。
「何か、気になる事でもあるんですか?」
「別に」
言いながら、日々輔は風船を持った中年夫婦を見ている。中年夫婦も、胡散臭いものでも見るかの様な眼で、こちらを見ている。
「そろそろ時間だ。行こうぜ瑠香坊」
視線から逃げるかの様に、日々輔がさっさとその場を立ち去ろうとしたので、瑠香は慌ててそれを追った。
最後に、振り返る。
項垂れた中年夫婦の力無い手に、赤い風船がふよふよと浮いている。嘲笑っている様にも見えるし、慰めている様にも見えるし、とどのつまり、ただの風船の様にも見えた。
ジェットコースター前、二人は待った。何を? 当然、子供達だ。
断じて、赤い髪のろくでなし、人でなしを待っていた訳ではない。ジェットコースター前に着いた矢先だった。つい先程まで、張り切って走り回っていたジェットコースターが帰ってきて、乗っていた客を吐き出していた。その吐き出された客の中に、赤い髪の男は居た。
細身で、背は低く、平日の遊園地に居るよりは、ゲームセンターでたむろをしている方が似合っていそうな、柄の悪い雰囲気の男だった。赤い髪が目立っていて、周囲の客の視線も集まっていた。
「あ」
と、声を上げたのは日々輔だ。
「なんでアイツがこんな所に……」
呆れた様な口調だった。
「知り合いですか?」
贔屓目に見ても、まっとうな人間には見えず、「なんだか、柄の悪い人ですね」と口走る。「ヤクザみたい」
「格好だけだよ、アイツは」
親しい仲なのか、言葉の割には親しみのこもった口調だった。その内、その赤い髪の男もこちらに気付き、歩み寄ってきた。
「こんな所で何してるんだよ、朱花」
最初に声を掛けたのは、日々輔だった。対し、朱花と呼ばれた男は飄々と肩を竦め、
「噂に名高いジェットコースターというものを試してみたんだが、あんなに回転して本当に大丈夫なものなのか?」
朱花と呼ばれた男は、額にうっすらと汗を掻いていた。顔色も、心なしか青い。「俺の時だけ、余分に回した訳じゃないだろうな」よく見ると、膝も笑っている。ようするに、怖かったらしい。
「いや、怖かった訳じゃないんだ」
まるでこちらの心を読んだか様に、朱花が言う。「ちょっと酔っただけだ」
それから、一間置き、
「君が瑠香ちゃんか。ふぅん、変な格好だな」
と、失礼極まりない台詞を吐く。
「先輩、なんなんですか。この赤いの」
失礼に対しては、失礼を返すのが瑠香の流儀だった。
「まぁ、ちょっとした知り合いだ」
ちょっとした知り合い。ほど不親切な紹介もあるまい、と瑠香は思う。そもそも紹介になっていない。が、結局の所、瑠香はそれほど朱花に興味を持たなかったので、それ以上は聞く気も無かった。
「一人か?」
日々輔が朱花に聞く。
「いや、賀古さんに頼まれてここまで送って来たんだ」
「母さんに?」
日々輔が、掴み掛るかの様な勢いでそう言った。「母さんも来てるのか?」
おや? と瑠香は思う。会話の流れに違和感を覚えた。が、違和感の正体に瑠香が気づかぬまま、会話は続く。
「楽屋テントに居るから、後で顔を出してやれよ。俺は、折角だから遊園地を満喫させてもらうよ」
「一人でですか、寂しいですね」
嫌味のつもりで、瑠香は言う。
「この間はディズニーランドまで行ったんだけど、結局何も出来なくてな。雪辱戦だ」
この朱花という男は、嫌味が通じるタイプの男ではないらしい。飄々と、受け流す。「後で俺も楽屋に顔を出すよ」
言いながら、こちらに背を向けて立ち去ろうとするが、それを日々輔が止めた。
「おい」
「なんだ?」
「今回の件、お前も噛んでるのか?」
今回の件、が一体何を指すのか、瑠香は判らない。首を傾げるばかりだ。
「俺は疑われやすいらしい」
と、朱花が苦笑する。
「俺は賀古さんに、『ここまで送ってほしい』と頼まれただけだよ。あの人、免許も持ってないし、ここは遠いからな」
「お前も無免じゃねぇか」
「免許を取る実力は持ってるよ。俺には機会が与えられないだけだ」
肩を揺らし、去ろうとしたが、その前に、
「お前、どうするつもりなんだ?」
と、尋ねて来た。
「どうするってなんだよ」
肩を竦め、朱花が今度こそ去っていった。
朱花が去った直後、無形の違和感が瑠香を襲った。ハッキリと、ここが、とは指摘出来ないが、何かがおかしい。この遊園地で何かが起こっている。そんな予感がした。
それから、ジっと日々輔を見る。おかしいと言えば、日々輔の様子もどことなくおかしい。普段から妙な先輩ではあるが、どこがと聞かれれば答える事も出来ないが、とにかく、妙だ。
普段見慣れている、閑散とした遊園地に、無形の違和感が染み込んで来ている。いつもと違う、何かが違う。ただ、何が?
なぜか、「遊園地に人を送り届ける」役割が多い朱花。