7・まわりめぐる
メリーゴーランドと楽屋テントはそう離れていない。目視出来る程の距離だ。
「さっき、プロポーズされてましたよね」
休憩時間が終わり、再びメリーゴーランド前で風船を配りに向かう道すがら、瑠香はからかうつもりでそう言った。対し、日々輔は照れる様子も無く、むしろ胸を張って、「まぁな」と答えた。
「もてるんだよ、俺は」
「主に子供に、ですか」
「これで俺の婚約者は六人になった」
「え」
「チエミちゃんに、ユミちゃんに、ルーシーちゃんに、タケシ君に、ハトリちゃんに、それにさっきの子、ナナカちゃん」
「一人男の子が混じってませんでしたか?」
タケシ君。
「全員、十歳以下だ」
「プレイボーイですね」
日々輔は笑う。「五年も経てば、皆俺の事は忘れるさ」
「いや、案外覚えてるかもしれませんよ。十年も経った後、先輩の前に現れて、『さぁ結婚しましょう』とか言い出す子が居るかも」
「十年後にも熊は居るかな」
唐突に、日々輔が話を逸らす。無意識なのか、わざとだったのか、その判断は付かない。
「熊?」
「熊の絶滅は、そう遠くない。果たして十年も持つかな」
「さっきの話と、今の話って、何か関係してますか?」
「この世に、関係を持たない話なんて一つも無いよ」
午前の時と違い、メリーゴーランド前にはちらほらと人の影が見えた。千客万来とは言えないが、午前の、閑散とした空気よりは遥かにマシだ。回転するメリーゴーランドに乗ってはしゃぐ子供達に、それを待つ親の姿。メリーゴーランドの回転に合わせ、気の抜ける音楽が流れている。
子供達は、初め着ぐるみに怯え、親の影に隠れるが、やがておずおずと手を差し伸べ、風船を受け取る。風船を受け取った瞬間、子供達の顔に、花が開く様に笑顔が広がった。
空を見上げる。青い風船が、そのまま空の青さに溶け込んでいた。誰かが手放したのだろう。必要無くなったのか、それとも過失なのか、それは判らないが、空に解き放たれる風船は、二度と帰る事の無い旅に出る冒険者の様な力強さがあった。瑠香はその冒険者が嫌いではない。ただ、一人の姿はどうにも寂しそうに見える時がある。
日々輔も、その風船を、冒険者を目で追っていた。
不意に、日々輔の右腕がピク、と動いた。手を伸ばしそうになったのだ、と直ぐに判る。長く風船を眺めていると、追いつける様な、追いつけない様なもどかしさを覚えて、時折手を伸ばしたくなる。その気持ちは瑠香にも判った。もしかすると、誰にだって判るかもしれない。
メリーゴーランドが止まれば、笑顔の子供達が親と手を繋ぎ、去っていく。そしてまた別の子供達がメリーゴーランドに乗る。それが繰り返された。
メリーゴーランドに背を向けるかの様に設置された白いベンチがある。そこに、中年の夫婦がずっと座っている。メリーゴーランドが回り、回り終わり、人が巡っても、その夫婦だけは時間が止まったかの様に動かない。
会話をしている様子も無く、ただ押し黙って、それこそ岩の様に動かない。
暗い顔つきの夫婦だった。失礼を承知で言えば、萎れた花の様な印象を受けて、これも失礼を承知で言えば、不憫な気持ちになる。夫婦の間に流れる暗い空気が、重さを持ち、夫婦を押し潰しているかの様に見えた。背筋が曲がっていて、実際の年齢などは判らないが、年老いて見える。
「なぁ」
と、日々輔に小声で声を掛けられる。
「瑠香坊、あの二人、――あの夫婦。どう見える?」
漠然とした質問に、瑠香は首を傾げる。
「どうって?」
「なんでも良いんだ。あの二人を見て、感じた事を聞きたいんだ」
そんな事を言われても、と思いつつも、瑠香は答える。
「なんだか、疲れてるって感じですよね」
「そう見えるか?」
「まぁ、見えなくもない、といった所です」
「俺には誰かを待っている様に見えるんだ」
日々輔の断定口調に、「言われてみれば」と瑠香は思う。ただ、確信が持てた訳でもないし、そもそも興味が無かった。「言われてみれば、そうかもしれませんね」と、適当な相槌を打つ。
「風船を渡して来いよ」
果たして、日々輔がそう言った。
「え?」
「風船を渡すんだ。誰かを待つなら、風船が必要だ」
「まだそれにこだわってましたか」
そもそも、自分で行けばいいじゃないですか。とも思った。
「あれじゃあ、待っているのか、それともアリの行列を眺めているだけなのか判らない。判りやすい目印が必要だろ」
「それが、風船ですか」
「風船が、『ここで待ってるよ』という決意表明になると言ったのは瑠香坊じゃないか」
「本当に誰かを待ってるんですかね。ただの日向ぼっこという可能性もあります」
「それも確認してくれないか?」
日々輔が、ヤケに熱心に言う。「頼むよ」と頭を下げた。
「『誰かを待っているんですか?』と聞くんだ。『待っている』と答えたら、風船を渡す。それ以外だったら、得意の蹴りの一つでも入れてやれ」
「これは何かのゲームですか?」
奇妙な頼み事に困惑しつつも、日々輔の熱の入り様に断わり難いものを感じ、渋々ながら瑠香は、白いベンチで項垂れる中年夫婦の元に向かう。
欺くて十年後。世界は大きく変化していますが、それはまた別のお話。