13・熊ぐるむ
閉園まで残り十分。大勢の人々が踏み仕切る足音が聞こえる。夢は終わり、現実に向けて歩んでいく。流れていく。様々な人が、居た。風船をもった若い夫婦。その子供。老人。恋人同士。友達同士。この、寂れた遊園地のどこにこれほどの数が居たのだ、と、首を捻りたくなる。
楽屋テントから、メリーゴーランドを覗く。中年夫婦は、日々輔の両親はまだそこで待っていた。赤い風船がゆらゆらと揺れている。あの二人を最初に見かけたのは、十二時頃だっただろうか。もしかしたらもっと早くから居たかも知れない。なんにせよ、七時間以上は、あの場に居る。
いや、七時間がなんだと言うのだ。と瑠香は思う。
日々輔は二十一年も待ったのだ。
忘れていた。と言うのが本心とも思えない。
「もう閉園だよ」
支配人が辛そうに言う。「残念だけど、閉園になったら、あの二人には出て行って貰わなくちゃならない」
「そうですね」
「それに」
と、支配人が言う。「後五分もしたら、着ぐるみ組は出口に行かないと」
閉園の際、兎と熊は出口でも風船を配らないといけない。「またどうぞ」と子供達に手を振る。それが仕事だ。
「判ってます」
と、日々輔は言う。「会う気は、ありません」
気が付けば、日々輔が隣に並んでいた。笑顔の熊の下で、どんな表情をしているのだろうか。後ろには、支配人、朱花、賀古がそれぞれの表情で並んでいる。「会うべきだ」と言う人間も、「会わない方がいい」と言う人間もいない。全ては日々輔に委ねられている。
「くまー」
と、声が聞こえた。見ると、メリーゴーランドの前を横切る親子の姿があった。先の迷子の子と、その親だ。「くまー」と叫ぶ。日々輔がその子に向けて手を振った。母親が頭を下げた。
「珍しい話じゃない」
その光景を見ながら、日々輔は言う。
「俺の弟達は、皆俺と同じ境遇だよ。あの子くらいのやつも居るし、もっと小さいやつも居る。事情は様々だけど、皆親と会えない」
日々輔の、弟達、妹達。
「ゴミ箱に捨てられてた奴も居る。信じられるか? 生まれて直ぐゴミ箱だぞ、訳がわかんねぇよ」
日々輔が頭を抑えた。正確には、着ぐるみを着ているので、熊の頭だが。
「それなのに、アイツ、親に会いたいって」
泣いている事を隠そうともしない。
「おれ、俺だけ、あいつ等を置いて、親に会って良いのかな」
「え?」
「二度と会えない奴も居るんだ。それなのに、なんでだよ、なんで俺なんだよ。俺じゃなくてもいいじゃねぇかよ。ふざけんな。俺はもう良かったんだ、諦めてたんだよ。まだ、諦めてない奴が居るじゃねぇかよ」
会いたい。一斉に声が聞こえた気がした。子供の声だ。様々な表情が頭を過ぎる。まだ見ぬ、日々輔の弟や妹達だ。施設で親を待つ、子供達の顔だ。
「会いたい」日々輔が、小さな声で言った。「怖い」とも。
「時間だね」
と、支配人が風船を持ってきた。「出口の方、頼むよ」
「あ、はい」
思わず受け取ってから、日々輔の方を見る。メリーゴーランドを見たまま、動かない。「先輩」呼んでも、返事は無い。仕方なく、無言で手渡そうとするが、風船は日々輔の手を擦り抜けた。
「あ」
風船が、一斉に飛んだ。赤、青、緑、黄、様々な色が、空の黒さに溶けていく。その場に居た誰もが、空を見上げた。
「やっちゃった……」
怒られるだろうか、と不安になったが、支配人は、「こういうのもいいね」とにこやかに笑うだけだった。
空に気を取られていると、足に何かが当たる感触があった。「あ」と声を上げる。熊の頭だった。「先輩、熊の頭」
前を見る。身体だけが熊の日々輔が、のしのしとメリーゴーランドに向かって歩いていた。それを見て中年の夫婦が腰を上げた。泣き出しそうになりながらも、結局は泣き出すに違いないのだが、今の所は互いの手を強く握って耐えている。
「ねずみ」
瑠香は言う。
「ねずみの着ぐるみが余ってましたよね」
「そうだね」
支配人は全てを了承した。
「いってらっしゃい」
賀古が背中を押す。
「俺がねずみか」
朱花が立ち上がる。
「出口の方、お願いします」
兎はメリーゴーランドに向かう熊を追って走った。
ここまで読んでくださった方に心から感謝です。有難うございました。
主人公が女性だったり、好きの嫌いのという話が混じってみたり、一日一回更新してみたりと、色々と慣れない事に挑戦し、それが非常に勉強になりました。
これを糧に、次も頑張らせて貰います。
それではまた。