11・ごーらんど
まだ居るだろうか、と期待と不安がない混ぜに成った複雑な胸中で、瑠香は楽屋テントの中からメリーゴーランドを盗み見た。やはり、と言うべきだろうか。例の中年夫婦が相変わらずの暗い表情で、メリーゴーランド前のベンチに座っている。
「気になるか?」
と、横から声を掛けられる。朱花だ。
「ええ、まぁ」
返事をしながら、今度は日々輔に目をやる。いまだかつて見た事も無い、少年の様な表情で賀古とお喋りを続けている。それからもう一度、メリーゴーランド前の夫婦に目を向ける。対照的な雰囲気が残酷だった。
「どこにでもある話しだ」
朱花が言う。「本当に残酷な事は、他にも無数にある」
「朱花さんも、賀古さんの子供なんですか?」
「俺は違う」
間を置かず、朱花は続ける。「俺はもっと別の所から来たんだ」
別の所? と聞いたが、無視された。逆に尋ねてくる。
「君ならどうする?」
「え?」
「もし、君が、日々輔と同じ立場だったとして」
考えろ。と無言の圧力を加えてくる。
「君ならどうする」
答えは出ない。
メリーゴーランド前、瑠香と日々輔は待った。何を? 何をだろう。と瑠香は思う。それから、横目でベンチに座っている中年夫婦を見る。中年夫婦はいつまでも待ち続けている、何を? 当然、子供をだ。
対し、日々輔は顎を上げ、空を眺めている。何を見ているのだろうと視線を追うが、そこには何も無かった。強いて言うなら、青一色の空だ。
無言の間に耐えられなくなり、瑠香は口を開く。
「いい天気ですね」
「ああ」
なんだそれは、と自分で笑う。付き合いたてのカップルの様な、ぎこちない会話だ。
「熊の格好、似合ってますね」
「瑠香坊も、兎の格好が似合ってるぜ」
「有難うございます」
「どういたしまして。ユアウェルカム」
「……」
「……」
日々輔と会話が続かないなど、初めての経験だったので、戸惑う。ほぼ無言のまま、メリーゴーランド前の一時間が過ぎた。移動だ。
そして、ジェットコースター前。客は殆ど居ない。閉園まで残り二時間と三十分だが、閉園まで遊びつくすほどの目玉も無い。
目の前の鳩が一斉に飛んだ。それが合図になったのか、日々輔が口を開く。
「あの夫婦、まだ居たな」
「え、ええ。そうですね」
「いくら待っても、来ないものは来ないっつーの。諦めろよ」
「行かないんですか?」
察している事を隠す必要も無い。日々輔も、こちらが察している事に驚く様子は無い。
「無理だ」
と、日々輔は言う。「失ったものは戻らない。ありきたりだけど、そういう事だろ」
「やっぱり、許せないんですか」
「許すも何も、最初から恨んじゃいない。恨む間もなかったっての。俺が捨てられたのは、まだ赤ん坊の頃だよ」
やはりそういう事情だったか、と瑠香は一人唸る。
「気が付けば、養護施設に居た。皆優しかったし、辛くなんて無かった。当たり前だと思ってたしよ。だから、恨んでなんかいねぇよ。これは本当だ」
「じゃあ」
「だけど、俺の親は楽屋テントで待っていてくれてるあの人で、俺の家はあの施設だよ。メリーゴーランド前の二人は、他人でしかねぇよ」
そうだろ? と日々輔が誰かに尋ねた。自分に言い聞かせている様にも聞こえたし、偶然、目の前に降り立った鳩に尋ねている様にも聞こえた。
鳩は、首を傾げている。俺が知る訳無いだろ、と言っている様だった。
閉演まで、残り二時間と三十分。