1・てんしょく
兎はメリーゴーランドに向かう熊を追って走った。
これでは誤解を招くかもしれない。
正確には、兎の着ぐるみと熊の着ぐるみだ。寂れた平日の遊園地、兎の着ぐるみを着た瑠香は、同じく熊の着ぐるみを着た日々輔を追って、メリーゴーランド前に向かった。
瑠香が着ている兎と、日々輔が着ている熊は、園内では恋人同士という設定になっていて、常に二人一組の行動を要求された。「兎と熊がどうやって恋人同士になったのだ」と疑問を口に出すものは、今の所園内には居ない。明らかにどこかで見た事のあるデザインではあるが、「これは著作権上、大きな問題がある」と指摘するものも、今の所園内には居ない。
とにかく、瑠香と日々輔は、アルバイトの時間中、常に並んで過ごしていた。
そして今日も、メリーゴーランドの前で、色とりどりの風船を片手に二人は待った。何を? 当然、子供達だ。
「瑠香坊、俺は凄い事に気付いたぞ」
「なんですか?」
「この遊園地は、まるで人気が無い。平日で、開園直後とは言え、こんなにガラガラなのは不味いだろ。経営難というやつだな」
「そんなの、前から知ってますって」
周囲を見る。笑ってしまう程、誰も居なかった。一応、メリーゴーランド前に係員が居るが、カウントしない。掃除のおじさんが眼の前を横切ったが、カウントしない。瑠香は溜息を吐く。大丈夫か? この遊園地。
「もう一つ凄い事に気付いた」
「今度はなんですか?」
半ばうんざりしながら、一応尋ねる。
「全然客が居ないのに、張り切って熊や兎に成りきってる俺達は、馬鹿だ」
「しょうがないじゃないですか。これが、仕事なんですから」
「俺はな、最近、自分が人間なのか熊なのか、判らなくなってきてるんだぞ。仕事のやり過ぎだ。職業病というやつだよ。それなのにむくわれない。人生ってなんだって感じだ」
瑠香は聞き流しながら、周囲に目をやる。ジェットコースターと観覧車が動き出したが、果たして何人が乗っているのだろうか。
「この間なんて、ついつい川まで行ってしまったくらいだ。鮭を取りにな」
「本当に取った訳じゃないですよね?」
「取ったよ。一撃必中だ。お陰で晩御飯はごちそうだった」
「言っておきますけど、それって、犯罪ですよ」
「え、なんで?」
「密魚です」
「ミツ? なんだそれ。あんまり難しい事を言わないでくれ」
瑠香は、いつ「仕事を辞めさせてもらいます」と支配人に切り出すべきかと悩んでいた。高校を卒業してから直ぐに、この遊園地で働き始めたのだが、賃金は安く、働き甲斐も無いこの職場にいつまでも居座るつもりなど、毛頭無い。兎を被ったまま一生を終える気など、さらさら無い。
「日々輔さん。五年もこの仕事やってるんですよね」
隣の熊、日々輔にそう声を掛ける。
「辛くないですか?」
返事は直ぐに返ってこなかった。着ぐるみの所為で、一体どの様な表情をしているのか、皆目検討が付かない。ただ、正面を向いたまま、風船を持ってニヤニヤ笑っている熊は、不気味と言えば不気味だ。
「この仕事を辞めたいのか?」
少しして、逆に質問を返され、瑠香は内心で少し焦る。
「えっと、五年もやってる大先輩に話しを聞いてみたいと思いまして」
「この仕事は俺の天職だよ」
日々輔は迷い無く、そう言った。先程まで、仕事に関する愚痴を散々吐いていたにも関わらず、だ。
「このまま熊になるのも、悪くない。冬は寝て過ごして、春になったら起きるんだ。良い人生だよな、それも」
「なんだか、凄い自堕落な感じですけど」
「人間はせこせこ、忙しいんだよな。熊ののんびりした感じは、すげー笑える」
「熊も別に、のんびりと冬眠してる訳じゃないと思いますよ」
むしろ、冬眠というのは、一種の賭けの様なものである、という話を聞いた事がある。そのまま目覚める事も出来ずに、永遠の眠りに付く事も珍しくないそうだ。瑠香はその旨を日々輔に伝えようと思ったが、その前に、
「移動だ」
と、日々輔がのしのし歩き出す。瑠香もそれに続いた。
一時間毎に、場所を移動する事になっているのだ。メリーゴーランド前に一時間。ジェットコースター前に一時間。そしてカフェテラス前で一時間。風船を持ったまま、汗ダクになりながら待機する。子供に蹴りを入れられる。子供に泣かれる。それを繰り返す。
ダイエットには丁度良いが、やりがいがあるかと聞かれれば、首を傾げる他無い。
連載第三弾「兎ぐるむ熊ぐるむ」開幕です。
最近、一人称ばかりだったので、三人称の書き方を忘れてやしないかと不安になり、あえて三人称に挑戦してみました。
そして、トカゲ初の女性主人公。
色々不安な点はございますが、よろしければよろしくおねがいします。