幌の特別講習
料理部の中でもひときわ腕が立つ井野嶽幌は、時に、料理部の面々に料理を教えるという立場に立つこともあった。
しかし、それは大体1カ月に1回ぐらいで、内容は本人からすれば単純なものばかりだった。
今日は、そんな月1の日だった。
「それで?今日は何が作りたいんですか」
エプロンをした幌が、部長である原洲甲中に聞いた。
「知り合いがかぼちゃを送ってきてくれて、山口鈴は牛肉をくれた。今回はこの2つを使ってもらおうかと」
「時間もありますし、ゆっくり作れそうですね」
幌は、原洲に言った。
「ああ、材料は人数分ある。今日の午後1時までに作れれば大丈夫さ」
今は午前10時。
文字通り、時間はたっぷりあった。
「じゃあ、今日は、かぼちゃのスープ、牛肉の煮込み料理と白米としましょうか」
「うちが米の係やな」
真っ先に琴子がそう言って、米を研ぐための準備を始めた。
「俺らは、どうする」
原洲が幌に聞いた。
「自分たちは、カボチャを蒸しましょう。それと、牛肉の下ごしらえも」
「分かった」
幌はまず、カボチャを半分に切り、種をすべてきれいに取った。
それから、幌が用意したのは、深さ30cmほどの大きな寸胴だった。
「寸胴でどうやって?」
原洲が幌に聞いたが、幌は、寸胴に1cmぐらいになるように水を入れた。
「耐熱皿、とってくれますか」
「ああ、いいぞ」
ガラスでできた15cmぐらいの直径がある耐熱皿を棚から取り出し、幌に手渡す。
幌は、その上にカボチャを丸々置いて、寸胴の中へ静かに入れた。
「これを火にかけます。30分から1時間ぐらいでいいと思うんですけど…」
「幌の好きなようにやってくれ。俺は幌ほど詳しくないからな」
そう言って、原洲は幌に全部を任した。
「じゃあ、さっそく蒸していきましょうか。水はカボチャにかからないほどにいれます。直接当たるとふやけてしまうので」
「皿の中に入らなければいいんだな」
原洲が幌に確認する。
「そういうことです。多少はかかっても大丈夫ですよ」
原洲に幌が言うと、近くのビーカーを使って、ゆっくりと入れた。
「これぐらいか」
「ええ、結構です。それで、あとは、中火にしてふたをします。30分ぐらいはどんなに湯気が出ても放置ですよ」
「わかった。それで次は」
「牛肉を用意します。あと、ビニール袋とすりこ木も。あ、すりこ木がなければ包丁で構わないので」
「ちょっと待っとけ。全部ある」
原洲は、すぐに幌が言ったものすべてを準備した。
「うん、これでいけますね。まず、牛肉をビニール袋の下に敷きます。中に入れちゃだめですよ。それで、すりこ木でたたいていきます。柔らかいほうが、おいしいですからね」
「叩くのはどれぐらい?」
「ほどほどに。多少平らかになったら十分なので」
「よっしゃ」
叩き始めて3分ぐらいで、幌は止めさせた。
「それぐらいで十分でしょう」
「幌ー、白米とぎ終わったから炊いとくで」
「あ、わかった。よろしく」
炊飯器をセットし終わった琴子が、二人に合流する。
「さて、下ごしらえをしていきます。さっきのは筋切りと言って、肉の繊維を切り、柔らかくするためのものです。あとは、塩、こしょうで、下味をつけます」
幌は、塩とこしょうを、目分量で振り掛けた。
「こんなもんでしょう。これで強火で一気に表面を焼いていきます」
原洲は幌に聞いた。
「中まで焼かないんだな」
「ええ、ここでは表面だけしっかりと焼きます。火を中まで通すのは、煮込む時にしますので。旨味を逃がさないって言う意味合いがあります」
どうしてやるのか分からないという顔をしていた、琴子に幌が言った。
「どれくらい焼くんだ」
バターを取り出してきている幌に、原洲が聞く。
「一番強い火で、だいたい30秒から1分ぐらいですね。あ、バターは単にフライパンにひっつかないようにと言う意味と、バターの風味をつかせるという2つの意味があります」
バターを、熱したフライパンに投入すると、ジューという音と共に、溶け始めた。
「フライパンを回して、全体にまんべんなく行き渡るようにします」
フライパンの柄を持って、ぐるっと回して、全体に行き渡らせた。
「これで、先ほどの肉を乗せます」
火を最強のままに、肉を一気に乗せる。
へらで上から軽く抑える。
「へらを使ってひっくり返しますね」
焼いている面を確認して、少し焦げ気味なのを見て、一気にひっくり返す。
「濡れタオルか台置き用意してもらえますか」
「よっしゃ」
暇そうにしていた琴子が、原洲よりも先に動いた。
鍋を置くための陶器でできた台を、フライパンの横に置く。
「包丁も」
今度は原洲が動く。
「これでいいか?」
「ええ、ありがとうございます」
両面とも、焼き目がつくまでしっかりと焼く。
といっても、1分もたたない間に、焼きあがった。
「中に火を通すのは、煮込むときにやるので、これで大丈夫です。それで、フライパンを台に移し、包丁で、肉を切っていきます。どんな大きさがいいですか」
フライパンを動かしながら、二人に聞く。
「そうだな…」
「お店とかで出てくるような、短冊状に」
琴子が、原洲より先に行ったので、幌は、菜箸で肉を抑えながら、一気に切っていった。
耐熱皿に切った肉を移してから、フライパンに残った肉汁をスプーンで丁寧に集める。
「これも、後で使いますので」
手のひらにすっぽり収まるような小さなボウルに肉汁をすべて入れる。
「さて、次は、煮込むために使うものなんですが…何がありますかね」
「トマト缶がごろごろ出てきた。これを使おう」
原洲が持ってきたのは、賞味期限が迫っているトマト缶、段ボールひと箱分あった。
「えっと、これ、何缶あるんでしょう」
「1ダース、12缶だな」
「…じゃあ、トマト煮込みにしましょうか」
幌がいうと、さっきのフライパンをコンロにおいて、トマト缶を見た。
「ホールトマトですか」
「だめなのか」
原洲が、心配そうに聞く。
「いいえ、それどころか好都合ですよ。では、ミキサー、大きめのボウルを出してもらえますか。本当ならワインも、といいたいんですが、きっとないでしょうし」
「アルコールは厳禁だからな。しかたないだろう」
原洲がミキサー、琴子がボウルを持ってきた。
「まず、ホールトマトをボウルに移します。全部ですよ。中の水も、一緒に移してください」
二人がボウルにポールトマトを移している間に、近くになぜかあった1リットルのビーカーに水を入れた。
「ここで登場するのは、同じぐらいの水と、ミキサーです。まず、ミキサーにトマトを入れ、その上から水を入れます」
ボウルに入っている水ごと、ミキサーに入れて、その上から水を入れる。
そしてふたを閉めて、ミキサーのスイッチを入れた。
「これで、ペースト状になるまでミキシングします」
1分ほどで、原形が分からなくなるほどのトマトペーストができた。
「これでいいでしょう。食感を味わいたいのであれば、1個や2個ほどホールトマトを残しておいて、後からざく切りにしたものを入れてもいいですよ。今回は、このまま行かせてもらいます」
ペーストを肉を焼いたフライパンに移し、さらに、さきほど取り分けた肉汁を横においておく。
「ふつふつと沸いて来たら、肉を投入して煮ます」
幌が、さきほど焼いた肉を全てトマトが入ったフライパンの中へ入れた。
「これで、一煮立ちさせます。熱いうちのほうがおいしいので、できたらすぐに食べるようにしましょう」
それから、要らない器具を二人に現している間に、ざるとボウルを取り出してきた。
「かぼちゃができたようなので、これから裏ごし作業に入ります」
「裏ごしってなんやの」
琴子がまな板を洗いながら幌に聞いた。
「なめらかな口当たりにするために必要な作業だと思っといて。俺はそっちの方がいいからこうしてるだけだけども、簡単にすり鉢でやるっていう方法もあるよ。その場合だと、かぼちゃの食感が味わえるね」
そう言いながら、ボウルとざるで球状にはめ込むと、ざるを上側にして、カボチャをヘラで裏ごしをし始めた。
大きなカボチャも15分ほどで裏ごしが終わった。
「これでよし。それから鍋に丸ごと移します。あとは弱火ととろ火の間ぐらいの感じで、牛乳をゆっくりと注ぎいれながら、溶かしていく感じでかき回していきます」
先ほどかぼちゃを裏ごしするのに使ったへらをそのまま使い続けている。
「ゆっくり、ゆっくりとね」
自分に語りかけるように、幌がつぶやいた。
10分ほどかけて、すべてを溶かし込んだ。
「さらにコトコトと温めていきます。あ、蒸し野菜は健康にもいいんですよ。だから、そのまま食べるっていうのも、一つの手かもしれませんね」
幌が火を弱火から中火へと強めながら、食器を出し終わった二人に言った。
「へー」
原洲が幌の手際の良さに感心しながら、相づちを打つ。
その時、ピーッと電子音が聞こえてきた。
「お米が炊けたようですね。それに、煮込みもいい具合になってきました」
そういいながら、幌はどこからか取り出した粉末パセリをそばに置きながら、煮込み具合を確かめている。
「うん、これでいいでしょう」
それから、スープの様子を確認する。
「こっちもできてきましたね。盛り付けていきましょうか」
幌が言うと、原洲も琴子も皿を持って、それぞれを盛り付けた。
12時を過ぎようとする頃には、食べる準備は終わっていた。
そこに、料理部顧問がやってきた。
「おい、うまそうにできてるじゃないか」
「…先生、何しに来たんですか」
原洲が顧問に聞く。
「きっともうそろそろだろうなと思ってきたんだよ。なあ、俺の分は?」
「今回は、3人分だけですね。残念ながら。次回をお待ちください」
幌があっさりと言い切る。
「そうか、幌が言うんだったらそうなんだろうな。じゃあ、ガスや火の始末はつけとけよ」
「わかりました」
原洲が顧問を見送っている間、幌と琴子が森津受けを終えた。
「いただきまーす」
幌たちが食べ始める。
「やっぱおいしー!」
琴子が称賛する。
「まあ、これぐらいだね」
幌がそう言いながら、比較的黙々と食べている。
琴子が騒がしいので、さらに原洲が何も言わないことが際立つ。
「先輩も、おいしいですよね」
そこをすかさず琴子が原洲を会話に引きずり込む。
「ああ、おいしいよ。毎日でも食べたいぐらいさ」
そういったのは、彼なりの賞賛の仕方だろう。
こうして、今日も無事に、何事もなく終えることができた。