第46話 最後の決断を始めました。
目が覚めた。考え事をしているうちに眠ってしまったようで、思い出していた過去の話はいつの間にか夢となっていたとうだ。
そして、新しい日を迎えた。それは、きっと、いつも通りの日常。
昨日早くに眠り始めたせいか、時刻はまだ3時前。軽く息をついて体を起こし、薄暗い自室を携帯の明りを頼りに進む。
そう、いつも通りの日常なのだ。数日前まで失われていた日常に今、俺は居る。
しかし、この日常は今までと同じようで、そうでない、期限付きのもの。今、この瞬間も俺は時間をすり減らしながら足を進めている。明りをつけようとしている。呼吸をしている。
「重くなりすぎだよな……」
部屋の明りまでたどりついたが、手を伸ばせないで、そのまましゃがみこんだ。頭が重たい。目が覚めれば覚めるほど、現実が頭の中をかき乱す。守りたいものも、失いたくないものもたくさんあるのに、たくさんできたのに、俺がどんなに大切に抱え込んでも、零れ落ちていく。
色んな思いの波の中で、気づけば、薄暗い部屋の中で1人で泣いていた。噛みしめた唇の隙間から、声にならない声が漏れる。馬鹿みたいに携帯を握りしめて、悲しみも、悔しさも、寂しさも、全て大切に抱えて泣いた。
* * * * * *
7日間なんてあっという間だった。
俺は、あえてメンバーの誰にも会わなかった。学校に行き、こちらの世界での自分を確認することに全ての時間を使った。傍にある記憶と、奥にしまいこんだ記憶。全てを思い出して、全てを見つめて、その上で大切な選択をしたいと思った。
そして、俺は1つの決断をしたけれど、それが正しいなんて分からないに、誰に聞いても答えなんて見つからない。それでも、自分の選択は正しいと信じたかった。信じていたかった。
約束の時間は12時。場所は霧屋。1年前、異世界に召喚された俺たちには見ることができなった未来に、今、居る。でも、その今は、俺の足が霧屋へと向かう度に、戻れない場所へと変わっていく。
「大丈夫。大丈夫……」
自分に言い聞かせて、足を進める。5月だというのに夏を感じさせる風を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。場所は、霧屋の扉の前。もう一度、大丈夫だと、自分の決断は自分にとって間違いでないと、心に言い聞かせて重い重い扉を開けた。
「おぉ、やっと来たか」
部屋に入った俺にまず声をかけてくれたのは雄吾さんだった。どうやら、俺が最後だったらしく、他のメンバーは椅子に腰かけていた。その輪に入り、優華さんが出してくれたお茶を一口飲む。冷たさが喉の中を伝う。
「早速で申し訳ないけど、時間はあまり残されていないから、有効に使わなきゃね」
壮さんが、そう言って立ち上がる。
「単刀直入に聞こう。この時間に残るか、1年後の世界に行くか、みんなはどっちに決めた?」
何の前置きもなく、本題をどんと持ってきた。しかし、それのほうがよかったのかもしれない。はっきりと、気持ちを伝えることで、自分の中に残った迷いや躊躇いを振り切れるような気がした。邪魔な感情を一切排除して、大切な事だけを見つめられる気がした。
しかし、その問いに答えることは容易ではない。この選択には、あまりに大きな犠牲が伴っている。誰も、まだ、何も言い出せないでいた。グラスの中の氷が溶けて、カランと音を鳴らす。それを合図としてか、最初に口を開いたのは黎さんだった。
「俺は……1年後へは行けないです」
彼は今を選んだ。その理由を彼は続ける。
「俺には彼女がいる、って言ったの覚えてます? その彼女、病気でもう長くなくて……。だから、ほんとは優華さんの力で助けようとか、そんな甘いことばっか考えてました。でも、それって何か違いますよね。俺は彼女を自分の力で助けたくて医学部に行ったのに、結局勉強して分かったのは彼女はもう救えないってことでした。俺、なんていうか、もう、情けなくて……」
簡潔にではあるが、さゆみさんのことを話した。みんなとの記憶を捨てるという選択をするのだから、理由はきちんと話しておこうという決意だろう。
「待って! 確かに、今は彼女を救う魔法は使えないけど、1年後になれば、私の力で彼女さんを救えます!」
黎さんの話に入ったのは優華さんだった。そして、その言葉は1年後に魔法を使える、つまり、彼女は未来にいくという選択をしたことを示していた。
「優華は、1年後に行くってこと……?」
黎さんからの問いに優華さんは頷く。
「私は、この力を大切にしたいから……。偽善とか思われてもいい。全ての人を助けられるわけじゃけど、それでも1人でも救えるなら、私はこの世界での1年を捨てます。だから、黎さんの彼女さんも……」
「無理だよ。優華の気持ちは嬉しいけど、あいつはもう1年も生きられないんだよ……。もう1年早く召喚されていれば、俺だってみんなとの記憶を選んで1年後に行った!そして、優華の力を借りていた。でも、そんなこと願ったって叶わないじゃん。優華の力の届かない時間に俺もあいつもいるんだよ! ならせめて、俺は、最期までさゆみの傍にいたい……」
きっと、誰よりもさゆみさんを救いたいのは黎さんのはずだ。だけど、もう叶わない。泣いたり、わめいたりしてもおかしくない状態なのに、黎さんが冷静でいられるのは、冷静を装っていられるのは、そうすることに何の意味もないことを分かっているから。さゆみさんを救えないのは、誰のせいでもないと分かっているから。でも、あまりに悲しい。
きっと優華さんを傷つけたくないから、少しきつめの言葉で突き放したのだろう。彼女がさゆみさんを救えなかったことを少しでも後悔しないでいられるよう、優華さんの力には何の問題もなく、ただ時間が足りなたかっただけだと伝えらえる様に。
だけど、優華さんはそれを分かっていた。黎さんの優しさを知っていた。誰よりも優華さんの力を望んでいた黎さんだからこそ、彼女を突き放さなくてはならなかった。
「最後まで我儘でごめんなさい。でも、これが俺の選んだ道です」
どこか瞳を潤ませたような黎さんが、最後にそっと呟いた。寂しい寂しい言葉だった。