第42話 魔族に襲われました
最初から、何も知らなければ、俺じゃない他の誰かがこの世界に召喚されていれば。
そう考えればきりはない。今は、この世界を見ることだけを、感じることだけを考えて行こう。何とか気持ちを切り替えようと、足を進める。
屋台の先には、住宅街が広がっていた。
噴水のある広場では、子供たちが楽しそうに走り回っている。
その溢れる笑顔を見て、まだ余裕はあるのだ、と安心しつつ、この様子が失われる日がそう遠くないのかと思うと、胸が痛んだ。
「次はユーナが鬼だよ!」
「うん!じゃあ10数えるね!」
「シオンこっちこっち!」
「待ってよー」
その子供の輪には、先ほどジュースを買っていたシオンの姿もあり、友達と楽しそうに駆け回っていた。
「まてー!!!」
「うわーー!」
笑い混じりの楽しそうな声が響く中に、突然1つだけ、違う声が混じるのが聞こえた。
「ねぇ……、あれ、なに……?」
それは、先ほどまで楽しそうに駆け回っていた子供の1人の声であり、自然と子供たちは足を止める。
「え? なに?」
「ほら、向こうの空に1匹大きな鳥がいる……」
その子が指さす方には、大きな黒い影が見えた。
徐々に近づくにつれ、それは鳥のような形をした、鳥ではないものであると気付かされる。
「おい、もしかしてあれって……」
涼さんの声。その先は想像できていた。あれが、『魔族』だ。
「あれ鳥じゃないよ!!! 逃げなきゃ!!!」
シオンがそれを察したらしく、自分よりも小さい子たちの手を引いて走り出した。
俺たちも逃げなければ、と広場を離れ、シオンたちの向かったほうへ足を進める。
「あれが、魔族……?」
「ああ、おそらくな」
広場からある程度離れたところで足を止め、魔族の行方を目で追う。先ほどよりもその影は大きくなり、人に似た、人ではないその姿に恐怖を感じた。
子供たちの方を向けば、シオンの指示のおかげもありほとんどが無事に帰ることができたようだった。
町には大音量でサイレンが鳴り響き、
「魔族が現れました。1匹ですので心配はありません。至急屋内に避難してください」
と、自宅非難の命令が鳴り響く。
「とりあえず、あのカフェへ入りましょう」
優華さんに促され、近くのカフェへと逃げ込んだ。
窓の外では、まだシオンが1人の男の子と手をつなぎ、迎えを待っている姿が見えた。
話したこともない、1人のシオンという男の子。何故だが彼のことが無性に気になってずっと様子を見ていた。
「あの子、心配ですね……」
シオンのことを見ていたのは俺だけではなかった。ゆあもおなじように、彼のことを気にかけていた。
「ごめんなさい、私、ちょっと行ってきます……!」
ゆあは、そう言って走り出した。
「おい、ちょっと待て……」
涼さんの制止も無視して、彼女はカフェの外に飛び出した。
そして、子供たちに声をかけているのが見えた。それを見て、涼さんも事態を把握したようで、
「俺たちもいこう」
と、カフェの外に出た。カフェの前の道でシオンたちと話すゆあの様子を、少し離れた場所から見つめる。
「魔族が接近しています。至急近くの建物の中へ避難してください」
繰り返される警告は、危機感を高めるものへと変わっていた。しかし、シオンたちはまだその場を動かない。
「君たち、早く中に入らなきゃ!危ないよ!」
ゆあがシオンの手を引き、彼らをカフェの中に連れて行こうとするが、シオンはその手を振り切った。
「お父さんまだ来ないから……。もう少しだけ待ってみる」
そう答える彼の瞳はしっかりと前を見ている。しかし、やはりこのままにして置くわけにはいかない。
「いいから、中に入って。お父さんは中でも待てるでしょ」
「……分かった」
必死に説得するゆあに押され、彼にも今の危機的状態が分かったのだろう。小さく頷いて、
「きっとパパはべつのところに避難してるんだよ。ほら、おいで」
と、手を繋いでいた男の子に言い聞かせた。
「うん。シオンありがと」
男の子も頷いて、カフェに入ろうとしたそのとき。
「危ない!!!」
涼さんの声が響き、その直後ゆあたちの元へ駆け出し、そして彼女たちに覆いかぶさるようにして倒れこんだ。
その瞬間先ほどまでゆあの頭があった辺りを、何か黒い物がすさまじい勢いで飛んで行った。
もし、涼さんが庇いにいかなければ今頃、ゆあがどうなっていたか分からない。それを理解したのは、事が起きてからしばらく経ってのことで、一気に鳥肌が立つ。
魔族という存在もろくに分からない。それ以前にこの世界のことも分からない。目の前で起きていることが、上手く理解できずにいたが、身体は本能で震えだす。
しかし、このままゆあや涼さん、シオンたちを放っておくわけにはいかない。震える両足を、震える手で叩いて歩き出す。
「涼さん、ゆあ……」
倒れたままのゆあに手を貸した。
「ありがとうございます……」
ゆあは俺の手を掴み立ち上がった。その間に涼さんも立ち上がり、シオンと男の子の方を見る。
男の子は瞳を潤ませ、シオンの手をぎゅっと握りしめていた。しかし、シオンは動じずにしっかりを立っていた。
「おねえちゃんたち大丈夫? ごめんね、僕らがずっとここに居たせいで……」
シオンは、申し訳なさそうにそう言った。
「ううん。怪我もしてないし、私が2人のことを勝手に気にかけてここに居ただけだから気にしないで」
ゆあはそう微笑んで、
「それより、ここは危ないよ。早く中に……」
と続けた。
「あぁ。あいつが次にどんな動きしてくるか分かんねぇからな」
涼さんが、先ほど魔族が向かった方を見つめながら言った。
そして、全員がカフェの中へ入ろうとしたそのとき、遠くからパトカーのサイレンのような音が聞こえてきた。
「え? 何?」
俺の口からはつい、驚きの声が漏れた。音の方向へ振り向くと、そこには鎧を着た兵士のような人たちが20人ほど居り、空を飛んでこちらへ来ていた。見間違いではなく、確かに彼らは宙に浮き、こちらへものすごい速さで向かってくる。
そのうちの2人が、俺たちの傍で地に居りて、残りの者たちは先ほどの魔族が向かった方向へと急ぐ。
「王国直属軍だ……。しかも、赤印……」
シオンがため息に少しの憧れと、恐怖を混ぜた声で呟いた。
「おうこく……ぐん? しるし……? なにそれ……」
それらは俺たちにとって初めて聞く言葉ばかりだった。ゲームの世界のようなその存在がどういうものなのか、ゆあがちょっと抜けた声で聞く。
「おねえちゃんたち知らないの!? もしかしてこの国の人じゃない……?」
シオンは驚きを隠せないようだった。それほどに、王国直属軍であるとか、赤印とかは有名な存在であるらしい。
「んー……、まぁ……」
涼さんが適当に相槌を打つ。そこに入ってきたのは、王国軍の兵士2人であった。
「君たち! どうしてこんなところに……。早く中に入りなさい。危険だ」
「あと、そこの男性2人と女性1人はカフェの中で構わないから、入国許可証か身分証明書を見せてくれ」
王国軍を知らなかったことで、他国の人間だと思われたらしい。当然そんなものは持ち合わせていない。カフェに入るまでの間、この場をどう切り抜けるかということで頭はいっぱいだった。