27. 功績の匂い
治安局――。
王都の治安を預かるこの機関の局長室は、豪奢な調度品で飾られていた。壁には歴代局長の肖像画が並び、磨き上げられた樫の机には銀の文具が揃い、窓からは王都の街並みが一望できる。
だが、その部屋の主は調度品に見合った人物ではなかった。
治安局長、レオルド・ヴァイス。五十過ぎの小太りの男で、額は脂汗で光り、小さな目が落ち着きなく動いている。有力貴族の口利きでこの地位に就いた男であり、実務能力よりも政治的な嗅覚だけが異様に鋭い。獲物の匂いを嗅ぎ分ける犬のような男だ。
「局長! 釣堀で釣果です!」
狩人が報告書を片手に飛び込んできた。
「ほう? なんと……。ワイバーンの鋼鱗だと?」
報告書をにらむレオルドの鼻が今、功績の匂いを嗅ぎ取る。
小さな目が輝き、脂ぎった顔に、あからさまな喜色が浮かんだ。
「でかした! 間違いない! 踏破者の関係者だ。これを正規ルートで入手できる人間は、この街にはいない。どんな奴だ?」
「元冒険者、旧街区の月桂樹亭の若いコックです。仲間の黒髪の少女と同じ宿です」
「ほう……」
レオルドは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。脂ぎった頬が緩む。
ダンジョン踏破者。それは国力を左右する程の重要案件。それを自分の手で「確保」できれば、これ以上ない功績になる。昇進。叙勲。宰相閣下からの覚えもよくなるだろう。
だが、相手は踏破者だ。
どんな力を持っているかわからない。まともにぶつかれば、こちらに被害が出る可能性がある。いや、前人未到のダンジョンを踏破するような存在だ。ワイバーンすら捕獲できたということであれば、並みの部隊では太刀打ちできない。被害など出したら昇進は不可能だ。
レオルドは狩人に目を向ける。
「治安局が表に出るな。相手は踏破者だ。万が一を考えろ」
「もちろん、手配済みです。死んでもいい駒を――」
狩人は候補者の調査書を手渡した。
「うむ、分かっとるな……」
「借金まみれで、復権に飢えていて、なおかつ――対象の少女と因縁があるという、ちょうどいい男です」
「なるほど。いいだろう。すぐに動け」
レオルドは引き出しから一枚の書類を取り出した。
――臨時協力員の委嘱状。
治安局が民間人に一時的な権限を与える制度だ。本来は非常時に熟練冒険者を動員するためのものだが、今回の用途は少々異なる。使い捨ての駒に、権力の衣を着せるための道具。
レオルドの小太りの手が、素早く銀のペンを取り――委嘱状に署名した。
◇
ガルドは、昼間から酒場の隅で安い酒を煽っていた。
薄暗い席。壁際の、誰にも見られたくない場所。かつてCランクパーティのリーダーとして酒場の中央に陣取り、肩で風を切っていた男の面影は、もうどこにもなかった。
リーシェが去ってから、パーティは坂を転げ落ちるように崩壊した。
それは当然の結末だった。収納魔法による物資管理。戦利品の保存と運搬。キャンプ設営の効率化。リーシェが一人で担っていたそれら全ての業務が、ある日突然なくなったのだ。
戦利品は腐った。物資は不足した。キャンプ環境は劣悪になり、依頼の達成率は急落した。メンバーの不満が爆発し、士気は地に落ち、今は休業状態だ。残ったのはガルドひとりと、膨らみ続ける借金の山。
ギルドのランクも下がった。冒険者仲間からの信用も、もうない。
あの頃は「あのブスのせいだ」と酒場で喚き散らしていた。だが今となっては、誰も耳を貸さない。
「お前が追い出したから悪いんだろう」
何度、そう言われたかわからない。
――違う。あのブスが悪いんだ。俺は何も悪くない。
ガルドは今でもそう信じていた。信じていなければ、立っていられなかった。もしあの追放が間違いだったと認めてしまったら、自分のこの没落劇の全てが、自分自身の愚かさの結果ということになる。それだけは、絶対に認めるわけにはいかなかった。
「ガルド、だな」
声をかけてきたのは、黒い外套の男だった。
フードの奥から覗く目が鋭い。腰に細身の剣。酒場の空気に馴染まない、異質な気配を纏っている。
「……誰だよ」
「治安局の使いだ。いい話がある」
「治安局? 借金の取り立てなら帰れよ」
「逆だ。借金を帳消しにする話だ」
「……え?」
ガルドの目が、変わった。
濁った酔眼に、ぎらりと欲の光が灯る。酒杯を置く手が、かすかに震えていた。
「……聞いてやる」
狩人はテーブルに委嘱状と腕章を置いた。白地に青の紋章が入った、治安局の臨時協力員章。
「ダンジョン踏破者の関係者を拘束してほしい。対象は、お前も知っている男だ。黒髪の少女と組んでいる、茶髪の元冒険者」
「……トトか」
「あの男を拘束し、情報を引き出せ。ダンジョン踏破者は誰か? 無理なら少女を追い込め。踏破者が分かれば何でもいい。それができたら、借金は帳消し。冒険者ランクも元に戻してやる」
ガルドは委嘱状を見つめた。白い紙の上に並ぶ公式な文言。治安局長の直筆の署名。




