22. ざまぁ
ポータルはダンジョン内のあちこちにあるが、どこから飛び込んでも必ずこの入口横のゲートに出てくる仕組みだ。
もうちょっと遅れていたら、この衆人環視の中に飛び出していたところだった。危なかった。ほんのタッチの差だ。リーシェは大きく息をつく。
もっとも――見つかったとしても、新人二人のパーティがダンジョンを攻略しただなんて誰も信じないだろうが。
やがて、ポータルのゲートから次々と冒険者パーティが姿を現し始めた。攻略完了のファンファーレを聞いて撤退してきた者たちだ。早く出ないとダンジョンの崩壊に巻き込まれてしまうので、事実上追い出されてきたのだ。
だが、出てくるパーティはみな一様に暗い顔をしている。
「畜生! どこのパーティだ……」
「せっかく自己ベスト更新中だったのに……」
「ファンファーレのせいで魔物が興奮しやがって、逃げるのに必死だったぜ……」
誰もが悔しそうで、誰もが困惑していた。自分たちが命を賭けて挑んでいるダンジョンを、誰かが先に踏破してしまった。その事実が、冒険者たちの矜持を容赦なく打ち砕いている。
すると――。
群衆の中に、見覚えのある顔が現れた。
金髪に派手な装備。整った顔立ちを自慢げに晒し、大声で周囲に話しかけている男。リーシェを追放したパーティのリーダー――ガルドだった。その後ろに、数人のパーティメンバーが疲れた顔で従っている。
「ちっ、誰だよ俺たちより先に攻略しやがって!」
ガルドは忌々しそうに唾を吐いた。顔を紅潮させ、拳を握り、まるで自分の手柄を横取りされたかのような怒りを露わにしている。
「リーダー、俺たちまだ三十階までしか行けてないっすよ……」
「うるせぇ! 俺は選ばれし男なんだ! もうちょっと時間さえあれば――」
「それより荷物運び雇ってくださいよ。もう嫌ですよ運びながら戦うの……」
「黙れ! 俺だって必死に探してんだよ! 二度と荷物運びの話はすんな!」
ガルドがパーティメンバーを怒鳴りつける。
その姿は、リーシェがいた頃と何一つ変わっていなかった。過ちを認めず、威張り散らし、虚勢を張り続ける。あの頃からずっと、この男はそうだった。
「姐さん……」
トトが小声で囁く。
「あいつら、例のパーティっすよね?」
「そうね」
「……ざまぁ、って思います?」
「……別に」
リーシェは視線を逸らした。
群衆の向こうで、ガルドがまだ喚いている。かつて自分を「ブス」と罵り、「禁術使い」の噂を流し、冒険者としての居場所を奪った男。あの男のせいで、どれだけ面倒なことになったか。ギルドで門前払いにされ、どのパーティにも受け入れてもらえず、宿にまで嫌がらせの手が伸びた。
――でも、もうどうでもいい。怒りも恨みも、やっぱりあまり湧いてこない。
「ちょっと『ざまぁ』って言ってみてくださいよ」
トトがニヤッと笑った。人懐っこい笑顔の中に、いたずらっ子のような光が混じっている。
「嫌よそんなの」
「いいから、一回だけ」
「子供じゃないんだから……」
「いいからいいから」
トトが引かない。リーシェは呆れたようにふぅと息をついた。
馬鹿みたい。こんなこと。
でも。
「……ざまぁ」
ぽつりと、呟いた。
小さな小さな声だった。ほとんど吐息のような声。
――すると。
胸の奥で、何かがふっと軽くなった。
追放されたことも。給料をもらえなかったことも。「ブス」と罵られたことも。どうでもいいと思っていた。本気でどうでもいいと思っていた。なのに――どこか心の奥底で、小さな棘のように引っかかっていたものがあったらしい。
その棘が、たった二文字で、すっと抜けた。
「ざまぁ!」
思わず、二言目が口をついて出た。
今度ははっきりと。さっきよりもずっと力のこもった声で。自分でも驚くほど自然に、その言葉が溢れ出した。
「なんだ、姐さんずいぶん溜まってたんじゃないっすか! はっはっは!」
トトが腹を抱えて笑った。
リーシェはそんなトトの笑い顔をジト目でにらむ。
「……うるさい」
パシッ、とトトの背中を叩く。それなりにいい音がしたが、トトは笑うのをやめなかった。
「痛いっす……ひっひっひ。でも姐さん、今めっちゃいい顔してたっすよ」
「してない」
「してた! いい顔だったっす!」
「……しつこい」
リーシェはそっぽを向いた。
頬が、ほんの少しだけ熱い。
他人の不幸を喜ぶような感情は、草原で目覚めてから初めてかもしれない。あれからの一年間、怒りも悲しみも悔しさも、ずっと遠い場所にあった。何も感じない。何にも心が動かない。それが自分だと思っていた。
けれど今、胸の中にあるのは――確かに、感情だった。
ちっぽけで、大人げなくて、人に言えるようなものではない。でも、間違いなく自分の中から湧き上がった、生きた感情。
目覚めてから一年。
自分は少しずつ、変わっているのかもしれない。
トトの料理で「味」を知り、そして今――ガルドの没落を見て「溜飲が下がる」ことを知った。
色のなかった世界に、少しずつ色が滲み始めている。
――それが良いことなのか悪いことなのか、リーシェにはまだわからない。
ただ、悪くはないと思った。悪くは。
木漏れ日がリーシェの服に斑模様を落としていた。群衆の喧騒が遠く、頭上では小鳥がのんきにさえずっている。
リーシェはもう一度だけ、ガルドの方をちらりと見た。
まだ喚いている。きっとこの先も、あの男は変わらないのだろう。自分の過ちに気づかないまま、誰かのせいにし続けて、少しずつ沈んでいく。
――ざまぁ。
三度目は、心の中だけで呟いた。それで充分だった。




