20. 碧い惑星
リーシェの脳裏に映像が走った。
巨大な碧い惑星――。
闇の中に浮かぶ、サファイアのような碧い球体。薄く流れる雲の白。それを、遥か高みから見下ろしている。星々に囲まれた、果てしない虚空の中で。
「え……?」
黒い瞳が大きく見開かれた。
――知っている。この景色は見たことがある。
その碧い惑星をバックに、青い髪をした女性が目の前に現れる――。
美しい女性だった。ショートカットの青髪が無重力の中、ゆらりと揺れ、碧い瞳が星の光を映している。纏っているのは銀色のボディースーツ。
女性がニヤリと笑った。
慈愛と、そしてどこか悪戯な色を含んだ、複雑な微笑み。
『あらあら、ダメじゃない……』
声が聞こえた。胸の奥がぎゅっと締めつけられるような、聞き覚えのある声。
そこで映像が途切れた。
「……っ!」
リーシェは頭を両手で抱え、膝をついた。光背が激しく明滅し、やがて弾けるように消失する。白金の光が砕け散り、洞窟が元に戻っていく。
「姐さん!? 大丈夫ですか!?」
トトが駆け寄り、リーシェの肩を支えた。彼女の身体が小刻みに震えている。
「……なんでもない。ちょっと、頭痛がしただけ」
リーシェの声は、平坦だった。いつもの気怠い声。けれど、その声に混じるかすかな震えを、トトは聞き逃さなかった。
「頭痛って……もしかして何か思い出したんじゃ……?」
「……別に……何も見てないわ。ただの頭痛よ」
リーシェは自分でよろよろと立ち上がる。
『何か見えたんだ……』トトは眉をひそめた。
この人は嘘が下手だ。無表情の仮面の下で、何かが激しく揺れている。さっき頭を押さえた時、あの黒い瞳に浮かんでいたのは――苦痛だけではなかった。
何かを思い出しかけて、けれど掴みきれなかったような、あの切ない目。
トトは何も言わなかった。これ以上は踏み込んではいけない気がしたのだ。代わりに、リュックからスープの水筒を取り出し、リーシェに差し出す。
「……飲んでください。落ち着くと思うんで」
リーシェは黙って受け取り、口をつけた。冷たいスープが喉を通り、身体の芯に沁みていく。ざわついた精神が、少しずつ凪いでいった。
「……ありがと」
小さな声だった。
その時――。
パッパラパー!
唐突に、場違いなほど陽気なファンファーレが鳴り響いた。
洞窟の壁面が金色に輝き、天井から光の粒子が紙吹雪のように降り注ぐ。溶岩の赤い光が祝祭的な金色に塗り替えられ、壁面に刻まれた古代文字が一斉に虹色に発光した。
パパパパーン! パッパラパッパッパー!
「な、な、な……!?」
トトが目を白黒させる。
ダンジョン全体が歓喜に震えていた。さっきまでの敵意が嘘のように、壁も床も天井も、祝福の光で満ちている。
「えっ……何これ……?」
リーシェも目をぱちくりさせていた。映像のことも一瞬忘れ、きょとんとした顔で周囲を見回している。
洞窟の壁面に、金色の古代文字が浮かび上がった。
複雑な紋様を伴う、流麗な書体。トトには見たこともない文字だった。
「なんて書いてあるんすか、これ……? 読めない……」
トトが首を傾げる。ギルドの講習で習った古代共通語ともまるで違う。
「……祝。ダンジョン踏破?」
リーシェが呟いた。
「え? 姐さん、読めるんすか?」
「……読めるわね。なんでかしら?」
リーシェ自身も不思議そうだった。誰にも教わった覚えはない。見たこともないはずの文字なのに、目にした瞬間、意味がすらすらと流れ込んできた。まるで、ずっと昔からこの文字を知っていたかのように。
「記憶喪失なのに古代文字が読めるって……」
トトが何かを言いかけたが――その言葉の意味するところの重大さに気が付いた。
「えっ? 『踏破』って……つまり、攻略完了ってことっすか?」
「そうみたいね」
「このダンジョンを……俺たちが……攻略した……?」
「だから、そうだって」
パッパラパッパッパー!
ファンファーレはなおも鳴り続けている。場違いなほど陽気で華やかで、さっきまで死闘の舞台だった洞窟が一転してお祝いムードに包まれている。
「やったっすよ姐さん! 俺たち、やったんすよ! 前人未到の最深部を! ダンジョン踏破っす! こんなの歴史に残りま――」
「トト」
リーシェの声が、冷たく鋭くなった。
トトは反射的に口を閉じた。今まで聞いたことのない声色だった。気怠さも、無関心も、そこにはない。代わりにあったのは――威圧的な拒絶。
「これ、秘密にして」
「……え?」
「私たちがこのダンジョンを攻略したこと。誰にも言わないで」
リーシェの黒い瞳が、真っ直ぐにトトを見据えていた。いつもの眠たげな半目ではない。意思のある、強い目だった。




