17. ダンジョン激怒
首だけを消す。考えてみれば単純な話だが、それを思いつく人間が他にいるだろうか。この人は「面倒」と言いながら、戦闘の概念そのものを破壊してしまう。
戦わない。駆け引きもしない。ただ、必要な部分だけを消す。
それは戦闘ではなく、もはや作業だった。
「最初からこうしとけばよかったわ。……帰りましょ」
「あ、ちょっと待ってください! まだ十五分ありますって! 次! 最後行きましょう!」
「タルい……。ふわぁぁ~」
リーシェは首を振ると、かわいいあくびをしながら出口へと歩き出す。
「えぇ~、姐さぁん~」
その時だった。
二人の身体が、虹色に輝き始めた。
光の微粒子が二人の身体を包み込んでいく。前回と同じ、レベルアップの光だ。温かく、心地よい。春の木漏れ日に包まれるような、穏やかな輝き。
「お、またレベルアップっすか!」
全身を巡る力の高まりに目を輝かせた。前回よりも明らかに大きな力が流れ込んでくる。前人未到のボスを倒した報酬は、十階層のそれとは桁が違うようだ。
「……ん」
リーシェも立ち止まって自分の手のひらを見つめていた。指先が淡く光り、収納魔法の能力が増強されていくのがわかる。
だが、トトの目は別のものに釘付けになっていた。
「あ、姐さん……!」
「なに?」
「う、後ろ……! 姐さんの後ろに……!」
リーシェの背後に光が立ちのぼっていた。黄金色の柔らかな光のきらめきが展開していたのだ。
それはまさに光背だった。
仏画や聖典の挿絵に描かれる、聖なる者の背後に灯る光。それが今、リーシェの背後に浮かんでいた。黄金の光が後光のように広がり、リーシェの黒髪と白い肌の輪郭を、神聖な輝きで縁取っている。
青白い魔法灯に照らされた闘技場の中で、リーシェはまるで天上から降り立った存在のように見えた。
「姐さん……すごい……」
トトは息を呑んだ。
『神々しい』という表現すら陳腐に感じる。極彩色のコカトリスの羽毛が雪のように舞い散る中、光背を纏って佇むリーシェの姿は――この世のどんな言葉を並べても、正しく言い表すことができない気がした。
「姐さん、見てくださいよ! 光が……」
「ふぁ~ぁ……」
リーシェは欠伸をしていた。
「聞いてます?」
「聞いてるわよ。光がどうしたって?」
「どうしたって……! 今度は背中に光背っすよ!? レベルアップするたびに、なんかこう、神々しさが増えてるんすけど!」
「え? 見えないわよ。何? その光って……」
リーシェは振り返るが、体に合わせて後光も動いてしまうので全貌は分からない。
「いやちょっと、鏡、鏡は……」
トトがリュックの鏡を探している間に、光背はゆっくりと薄れていった。黄金の輝きが淡くなり、蝋燭の炎が消えるように、音もなく消失した。
「あー……消えちゃったっす……」
トトは肩を落とした。
「いいじゃない。光ったらどうだって言うのよ?」
「いや、どうって……。そんな人は他にいないっすよ?」
「タルい。帰るわよ」
「えっ? まだ残り時間あるっすよ!」
「もう充分でしょ? あれなら、先帰ってるから……」
「分かったっす。ちょっとだけ待って! 素材! 素材だけ!」
トトは大急ぎでコカトリスの亡骸に駆け寄り、ナイフで胸を裂いた。見事な魔石を取り出し、売れそうな立派な羽毛を何枚か手早く剥ぎ取る。この手つきはさすが元冒険者であった。
「よし、完了っす! これでツケの利子分は――」
ゴゴゴゴゴ……。
三度目の地鳴りが、二人の足元を震わせた。
「……また?」
リーシェがわずかに眉を寄せる。
「嘘でしょ……もう壁ぶち抜いてないのに……!」
トトが叫ぶが、ダンジョンの怒りは収まっていなかったようだ。いや――二体のボスを立て続けに倒されたことで、さらに怒りを増しているのかもしれない。
闘技場の壁面に刻まれた古代文字が、一斉に赤く発光した。地鳴りの振動がどんどん大きくなり、天井から石の破片が降り注ぐ。
「こ、今度は何を……」
足元の石畳に、ひび割れが走った。
さっきまでとは比較にならない速度で、床が崩壊していく。まるでダンジョンが本気を出したかのように。もはや落とし穴などという生易しいものではなかった。闘技場の床そのものが、丸ごと消滅しようとしている。
ダンジョンの意思は、明確な殺意を帯びていた。
「うわぁぁぁ!? 三回目!?」
「しつこいわね……」
リーシェは面倒くさそうに呟いた。
床が崩れ、闇が口を開け、二人の身体が再度、漆黒の底なしの闇へと投げ出された。
トトのブレスレットが青い光を放つが、凄まじい勢いで二人を引きずり下ろしていく。
壁面のヒカリゴケが光の線となって上方へ飛んでいく。石材の色がどんどん黒くなる。刻まれた紋様が禍々しさを増していく。
深い。
さっきよりもずっと深い。




