14. 落下・激突・悲鳴
ふと、トトは奥の扉を見つめる。
「あれ……。姐さん、出口が開いてないっす」
出口の巨大な扉は閉じたままだった。通常、ダンジョンボスを倒せば扉が開くはずだが、微動だにしていない。
「あー……まだ生きてるのね」
「え? 収納の中で生きてるんすか?」
「みたい。収納空間の中では時間が止まってるっぽいから、死なないのよ」
リーシェは面倒くさそうに黒髪をかき上げた。
「……どうします?」
「出すわ」
リーシェは天井を見上げた。闇に消えるほどの高さ。魔法陣の残光がうっすらと漂うその空間を、黒い瞳がじっと見据える。
そして――そこに向けて、白い手をかざした。
「出ろ」
天井付近に、オーガが出現した。
地上数十メートルの虚空に、突如として朱色の巨体が放り出される。重力に逆らう術もなく、オーガは一瞬だけ宙に浮き――。
「ウガ?」
困惑の声を上げた刹那、真っ逆さまに落ちて来る。
「ギョワァァァ!!」
ドゴォォン!! という凄まじい轟音と共に、オーガが石の床に激突した。闘技場全体が揺れ、砕けた石の破片が四方に飛び散る。
「グガァァァァ!!」
悶絶の叫び。だがリーシェは表情一つ変えることなく――。
「ナイナイ」
叫びが消え、静寂が包む。
「出ろ」
落下。
「ウガァァ!!」
激突。
「ナイナイ」
静寂。
「出ろ」
落下。激突。悲鳴。
「ナイナイ」「出ろ」
「ナイナイ」「出ろ」
「ナイナイ」「出ろ」
無慈悲な反復。感情のこもらない声が、淡々と死刑宣告を繰り返す。オーガの叫びは回を重ねるごとに弱々しくなっていき、やがてうめき声にすら力がなくなった。
「姐さん、それ何回やるんすか……」
トトは引きつった笑みで訊いた。目の前の光景は、戦闘というよりもはや処刑だった。しかも、執行人は欠伸を噛み殺している。
「しぶといわねぇ……。早く死んでくれないかしら……」
「えぐい……」
十数回目。
「ゴフッ……」
最後の落下の後、オーガはもう声を上げなかった。巨体が仰向けに倒れ、赤い双眸から光が消えていく。あれほど恐ろしかったダンジョンボスの最期は、あまりにも呆気なく、あまりにも静かだった。
リーシェは髪を耳にかけ、小さく呟いた。
「……終わったわね」
その瞬間――。
二人の身体が虹色に輝き始めた。光の微粒子が全身から湧き上がり、二人の身体を包み込んでいく。温かい――。
「こ、これは!?」
トトが目を見開く。虹色の光が全身を巡り、身体の隅々まで染み渡っていくのがわかった。疲労が消え、力が湧き上がってくる。
「……レベルアップ、かしら」
リーシェは自分の手のひらを見つめた。指先が淡く光っている。魔力が増している。身体も軽い。収納空間の能力もぐんと増強されたのが感覚でわかった。
これでゴブリンが逃げ出すようなことも減るに違いない。
だが――それだけではなかった。
トトはふと、リーシェの頭上に目を奪われた。
光の輪だった。
虹色の光とは明らかに異なる、透き通った白金の光輪。それがリーシェの黒髪の上にふわりと浮かび、淡く、けれど確かに輝いている。
神々しかった。
その光に照らされたリーシェの顔は――トトが今まで見たどんな聖画よりも美しく、もはや人間のものではないようにすら見えた。
「姐さん、頭の上に……光の……」
トトが指さした時には、光輪はすでにかき消えていた。まるで蜃気楼だったかのように。
「……なに?」
リーシェが怪訝そうに振り返る。
「いや……なんか、光の輪っかみたいなのが……見えた気が……」
「なにそれ。変なの」
リーシェは興味なさげに首を傾げた。だが一瞬――ほんの一瞬だけ、その黒い瞳の奥に、何かがよぎった気がした。遠い記憶を手繰るような、かすかな揺らぎ。
――草原で目覚めた時、傍らに光の輪があった。触れると消えた。
その記憶の断片が、脳裏をかすめて消える。リーシェは小さく首を振った。何でもない。気のせいだ。
トトは自分の拳を握りしめ、湧き上がる力に感嘆の息を漏らした。
「すげぇ……これが神の加護ってやつっすか……」
身体の奥底から力が満ちてくるこの感覚。冒険者だった頃、ずっと憧れていたものだ。
「そうらしいわね」
「姐さん、もうちょっと感動してくださいよ! レベルアップっすよ!? ダンジョンボス倒したんすよ!?」
「あらそう?」
「……」
トトは首を振り、苦笑しながらオーガの亡骸に近づいた。腰のナイフを抜き、慣れた手つきで胸を開く。元冒険者の経験が、こういう時に生きる。厚い皮膚と筋肉の下から現れたのは、拳大の魔石だった。
深い紫色の結晶が、闘技場の光を受けて妖しく輝いている。
「おほぉ……なんて綺麗な魔石……」
トトは息を呑んだ。透明度が高く、内部に微かな光の脈動がある。これは上物だ。冒険者時代にも、ここまでの魔石は見たことがない。
オーガに攻撃させる暇を与えず、短い時間で倒したことが良かったようだった。
「これだけで金貨三十枚は堅いっすよ……」
「じゃあツケは返せるわね。帰りましょ」
リーシェはくるりと踵を返した。




