13. オーガ・キング
「……結果オーライね」
リーシェは相変わらずの無表情で呟いた。
「いやいやいや、全然オーライじゃないっすよ!?」
トトは叫んだが、リーシェはもう扉に向かって歩き出していた。青白い光ゴケに照らされた通路を、黒髪を揺らしながらすたすたと進んでいく。
恐怖も緊張も、その背中には微塵もない。
あるのはただ――早く終わらせて帰りたい、という気だるさだけ。
「……え? も、もう行くんすか!?」
トトは追いかけながら、乾いた笑いを漏らした。
「そうよ?」
「ボ、ボス部屋っすよ? Bランクパーティでも全滅した場所っすよ?」
「あらそう?」
「あ、『あらそう』って……」
Bランクの冒険者たちが命を賭けて挑む場所。それを聞いた時に、この人の口をついて出る言葉が「あらそう」。トトは思わず頭を抱えた。
戸惑うトトをよそに、リーシェは巨大な石の扉に手をかける。
「えっ? まだ心の準備が……」
トトは青い顔をしている。
「じゃああんたは待ってなさい」
リーシェは振り返りもせずに扉を押す。だがさすがに五メートルの石扉は重い。細い腕で押しても、扉はなかなか動かなかった。
「……重い」
「姐さぁん……」
トトは泣きそうな顔をしながらも、リーシェの隣に並んだ。
そう、リーシェとパーティを組むというのはこういうことである。覚悟を決めないとならない。自分たちの未来はこの扉の先にしかないのだから。
二人で大きな扉に手をかけ、ヨイショと力を加える――――。
やがて重い石の扉が、自ら観念したかのように軋みながら開いていく。
赤黒い光が、隙間から溢れ出した。
二人の影が、長く長く通路に伸びる。
その向こうには深い闇と、途方もなく巨大な気配が待ち構えていた。扉の奥から吹き出す風が、リーシェの黒髪とトトの茶髪を同時に揺らす。
世界最凶の少女と、夢見る料理人。
どこまでも不釣り合いな二人が、闇の中へ足を踏み出した。
◇
広大な空間だった。
天井は遥か高く、闇の中に溶けて消えている。
二人が足を踏み入れた瞬間、壁に埋め込まれた魔法灯が次々と点灯した。青白い光が連鎖するように奥へ奥へと広がっていき、やがて部屋の全貌が荘厳な輝きの中に浮かび上がる。
円形の闘技場。石畳の床には幾何学的な紋様が刻まれ、壁面には見たこともない古代文字が連なっている。空気が違った。ひんやりとした冷気の中に、濃密な魔力がとぐろを巻いているのが肌で感じられる。
「姐さん……ここ、やばくないっすか……」
トトの声が石壁に反響した。
ゴゴゴゴゴ……。
天井に、黄金の魔法陣が浮かび上がった。
幾重にも重なる光の円環が、ゆっくりと回転しながら輝きを増していく。神々しいほどの光。それは神殿の天窓から差し込む陽光にも似て、畏敬の念すら抱かせるほどだった。
その光の中から――巨大な影が降りてくる。
筋骨隆々とした朱色の巨体。人間の倍はある体躯。両腕は丸太のように太く、握りしめた拳は人の頭ほどもある。額から突き出た二本の角が、魔法陣の光を受けて鈍く輝いていた。
「オ……オーガ・キングだ……」
トトの顔から、さっと血の気が引いた。
オーガ・キング。Bランク冒険者パーティが総力を挙げて、ようやく倒せるか倒せないかという強敵。駆け出し二人組が相対していいような存在ではない。
こぶしにグッと力を込めたオーガの、腹に響く重低音の咆哮が――。
「グォッ――」「ナイナイ」
同時に、リーシェの無気力な声が響く。
何の感慨もない声だった。
すぅ、と。
世界から音が消えた。
途切れた咆哮、止まる拳、赤い双眸に浮かんだ殺意が、困惑に変わる暇すらなく。
巨体が――空間ごと、指先に呑まれた。
絶望的な静寂が、闘技場を支配する。
さっきまで轟いていた地響きも、空気を震わせていた咆哮も、何もかもが嘘だったかのように。
「……」
「……」
静寂。
あまりにも静かすぎる沈黙の中で、トトは自分の心臓の音だけを聞いていた。
ようやく口を開いたのはトトだった。
「……姐さん」
「なに?」
「もうちょっと、こう……なんかなかったんすか」
「なにが?」
「いや、盛り上がりというか……ダンジョンボスっすよ? Bランクのオーガっすよ? もうちょっとこう、盛り上がりというか……」
「戦いたかったの?」
「いやいやいや、俺なんかじゃ瞬殺されちゃいますから……」
「ならいいじゃない。さっさと処理が正解でしょ」
処理。
Bランクのダンジョンボスへの対応が『処理』。トトは天を仰いだ。この人の感性は、やはりどこか壊れている。いや、壊れているのではなく、次元が違うのだ。
それが頼もしいのか恐ろしいのか、トトにはもうわからなかった。




