11. 怒れるダンジョン
三十分も経たずに、二人は第三階層に到達していた。
二人パーティなら、通常は丸一日がかりの深さだ。慎重に魔物と戦い、体力と相談しながら一歩ずつ進むのが本来の攻略法である。それを――戦闘らしい戦闘もなく、全てを収納して突破してしまった。
――小休憩。
トトは通路の壁にもたれかかり、水筒の水を飲みながら考え込んでいた。松明の炎が壁に映す二つの影が、ゆらゆらと揺れている。
「はぁ……。これはすごいっすよ……」
ここまで、危機らしい危機は一度もなかった。通路の角から飛び出してきたコボルトの群れも、天井に張り付いていた大蜘蛛も、リーシェが「ナイナイ」と呟いた瞬間に消えた。叫び声ごと。足音ごと。もはや戦闘ですらない。これは散歩だ。少し物騒な散歩。
もし危ないケースがあるとしたら、どんなものだろう?
収納が間に合わないほどの速度で襲いかかってくる敵がいれば――だが、そんな魔物は思いつかなかった。
果たして、この力はどこまでの可能性を秘めているのか?
トトはふと、何かを思いついたように顔を上げた。
「姐さん、ちょっと試してもらっていいすか?」
「なに?」
「その収納、壁にも使えます?」
「んー、どうかしら?」
リーシェは壁に手を向けた。灰色の石壁が、松明の光を受けて鈍く光っている。はるか昔に積まれたような分厚い石のブロック。剣では傷一つつけられないダンジョンの壁だ。
「ナイナイ」
音が消え――壁が消えた。
ゴッソリと。
人が三人並んで悠々と通れるほどの大穴が、突如出現した。切り口は驚くほど滑らかで、まるで最初からそこに穴が空いていたかのように自然だった。向こう側には別の通路が見える。本来なら、迷路のように入り組んだ道を延々と歩かなければ辿り着けない場所だ。
「やっば!!」
トトが素っ頓狂な声を上げた。
「あら、行けるのね……」
「これ、ショートカットし放題じゃないすか!」
トトは興奮を抑えきれず、そっと穴をくぐって向こう側の様子を窺った。間違いない。地図で見た限り、ここは第三階層の終盤に位置する通路だ。本来のルートなら、ここに辿り着くまでにかなりかかるはずだった。
「ふぅん、そうなのね。ちゃっちゃとやって早く帰りましょ。ふぁ~ぁ」
リーシェは面倒くさそうにあくびをした。前代未聞の事態を目の当たりにしているはずなのに、この人の瞳には相変わらず退屈しか映っていない。
◇
ショートカットを連発し、階層を次々と突破していく二人――。
本来なら魔物と死闘を繰り広げ、複雑な迷路を地図と照らし合わせながら慎重に進むべき道だ。それを二人は壁に穴を開けて最短ルートをまっすぐに貫いていった。
ダンジョンの構造など、お構いなしに。
道中で遭遇した魔物は片っ端から収納。あらゆる魔物が、可愛らしい掛け声と共に虚空へ消えていく。
「姐さん、これ……ズルくないすか?」
トトが罪悪感を滲ませて言った。五階層を突破したあたりで、さすがに良心がちくちくと痛み始めていた。
「ズル?」
「いや、他の冒険者が命がけで戦ってる横を、壁に穴開けて素通りって……冒険者としてどうなんすかね……」
「嫌ならやめる?」
「やめません!」
結局、トトの良心は三秒で敗北した。余計なことを言ったら、この人は本当に帰ってしまうのだ。
◇
だが、ダンジョンは黙っていなかった。
第六階層の壁を貫いた時だった――。
ゴゴゴゴゴ……。
地鳴りのような轟きが、足元から腹の底まで突き上げてきた。石畳が脈打つように震え、天井から砂粒がぱらぱらと降り注ぐ。壁面に刻まれた古代文字が、一斉に赤く明滅した。
「な、なんすか!?」
「……さぁ?」
見ると――先ほど開けたばかりの穴が、ゆっくりと塞がっていく。
石壁が内側から盛り上がり、まるで生き物の傷口が治癒するように、穴を埋めていく。滑らかだった断面に新たな石が湧き出し、みるみるうちに元通りの壁へと戻っていく。その動きは有機的で、まるで巨大な生き物の肉が傷を塞ぐように、じゅくじゅくと内側から石が盛り上がっていった。
「ダンジョンが……修復してる!?」
トトが青ざめた顔で呟いた。
冒険者の常識では、ダンジョンの壁は再生しない。崩れた壁は崩れたまま、開いた穴は開いたまま。それがこの世界の理だったはずだ。だが今、目の前で起きているのは、その常識を根底から覆す光景だった。
同時に、周囲の通路にも変化が起きていた。
床がせり上がる。天井が降りてくる。左右の壁がじりじりと距離を詰め、逃げ道をふさぎにかかっている。石と石がこすれ合うぎちぎちという不快な音が、四方八方から迫ってくる。まるでダンジョンそのものが怒って『ルールを破った侵入者を許さない』とでも言うように。
「ナイナイ!」「ナイナイ!」
リーシェはせり上がる壁を片端から収納した。だが消した端から新たな壁が生えてくる。天井からも床からも石の柱が突き出し、収納の速度を上回って通路を狭めていく。
まるで、ダンジョンが意地になっているようだった。




