10. ナイナイ連打
翌日の早朝――。
二人はダンジョンの入り口に立っていた。
巨大な石造りの門が、朝靄の中にそびえている。門の両脇には古びた松明台があり、青白い魔法の炎が揺らめいていた。冷たい風が奥から吹き出してきて、リーシェの黒髪をそっと揺らす。
ダンジョン『黒鉄の迷宮』。この街で最も有名なダンジョンだ。まだ四十九階層までしか攻略されていないため、たまに力自慢が挑戦して話題になる。
何階層まであるのか判然としないが、最深部には凄いボスが待ち構えているらしいという噂だ。
「じゃあ姐さん、作戦を説明しますね」
「うん」
トトは真剣な顔で語り始めた。昨夜遅くまでいろいろと考えていたのだろう、目の下に薄い隈ができている。
「俺が前衛で敵を見つけたら、まず引きつけます。注意を俺に向けさせて、そこを姐さんが後ろから――」
「ナイナイ?」
「そうです!」
トトはグッとサムアップをした。世界一シンプルな作戦である。
「それ、作戦って言うの?」
「いいじゃないすか! 一生懸命考えたんすから!」
「ふふっ、可愛いわね」
「一応自分は年上っすよ? 可愛いなんて……ちょっと……」
トトは口をとがらせる。
「そういうところが可愛いんじゃない。ふふっ」
「もう、いいです! じゃ……これ……」
口を尖らせながらトトはリュックから小さな水筒を取り出した。
「姐さん、これ飲んでください。今朝作った『集中のスープ』っす」
「……なにそれ」
「精神を安定させる薬草をたっぷり使ったんす。昨日みたいに、うっかり魔物が飛び出してきたら困るでしょ?」
リーシェは水筒を受け取り、一口含んだ。温かいスープが喉を滑り落ちていく。ハーブの優しい香りが鼻腔に広がり、胸の奥がじんわりと温まった。
「ほわぁ……ちょっと楽になったかも」
「やたっ! 俺の料理、効いてるじゃないっすか! よっしゃー!」
トトが嬉しそうに拳を突き上げる。その笑顔を見て、リーシェは小さく息をついた。
この男は本当に、自分のことのように喜ぶのだ。
◇
ダンジョンに足を踏み入れると、空気が変わった。
ひんやりとした湿気が肌にまとわりつき、松明の明かりが石壁に不規則な影を落としている。どこからか水の滴る音が響き、遠くで何かが蠢く気配がした。
最初の敵は、すぐに現れた。
角を曲がった先に、青く半透明に光る塊がいた。スライムだ。ぷるぷると震えながら、二人の方へゆっくりと近づいてくる。
「ヨシッ! 久々の戦闘、いいとこ見せちゃうぞー!」
トトが剣を構えようとした、その瞬間――。
「ナイナイ」
リーシェが呟いた。
音が消える。スライムの蠢く音も、水滴の落ちる音も。世界が一瞬、完全な静寂に包まれ――スライムが消えた。
「あ……。姐さん、俺の出番……」
「ごめん。なんか出たから反射的に……」
「いや、いいんすけど……」
トトは肩を落としたが、すぐに気を取り直して先へ進んだ。
「バンバン行きましょう!」
◇
次に現れたのはゴブリンの群れだった。五匹が通路を塞ぐように並びながら錆びた武器を振りかざし、一気に突っ込んでくる。
いきなり難度の高い襲撃にトトは冷や汗を浮かべた。
「五匹?! ま、マズい……。姐さん、俺が――」
しかし、リーシェは気だるそうな顔で腕を伸ばす――。
「ナイナイ」
一気に五匹――消えた。
音が消え、悲鳴すら上げる暇もなく、跡形もなく消える命――。
残されたのは、静寂と、呆然と立ち尽くすトトだけだった。
「……え? 五匹もいたのに……」
トトは背筋にぞわりと寒気が走るのを感じた。
五匹いっぺんにということは、もしかしたら百匹でもいっぺんに消せるのかもしれない。いや、一万匹でも――?
リーシェの横顔を見る。彼女は何の感慨もなさそうに、半開きの目でやる気なさそうに前方を眺めていた。
「あ、姐さん……その収納魔法は異常っす」
不気味さを増幅する絶望的な静寂。そして、底なしの恐ろしい力にさすがのトトも顔をしかめる。
「そう?」
「いや、凄いんすけど……なんか、こう……」
言葉にできない恐怖があった。だが、トトはそれを飲み込んだ。この力こそ自分たちの行き詰まった人生を切り開く鍵なのだ。
「大丈夫っす! どんどん行きましょう!」
コボルトが現れ――「ナイナイ」で消えた。
トロールが現れ――「ナイナイ」で消えた。
巨大な蜘蛛が天井から降ってきて――「ナイナイ」で消えた。
「俺、いる意味あります?」
トトが半ば本気で尋ねた。
「あら、さっきのスープ美味しかったわよ?」
リーシェは小首を傾げてトトを見る。
「料理番っすか!? 嬉しくねぇ……」
トトはガックリと肩を落とした。




