2.蓋坂寿
蓋坂家。
殺人七家の一家にして、七家の中で唯一血縁がない一家。
ならば何が彼らを繋ぎ止めているのか。
それは、共感。
彼らの中に巣食っているどうしよう程もないほどの衝動。
それを持つ者たちが、共感し合い、互助組織としてつくられたのが、蓋坂家。
彼らにとって、殺人とは、三大欲求と同じような者である。
食事するように殺人し、惰眠を貪るように殺人を続け、性に没頭するように殺人を楽しむ。
彼らにとって殺人は日常そのもの。
しかし、彼等は生まれてからずっとそうだったのではない。
むしろ、生まれつきはごく一部である。
彼等の多くは、ある日突然殺人に目覚める。
それは、ある家族には、「楽しい夢から目覚めるような不快な物」と評されたが、しかし、「檻から解き放たれたような最高の瞬間だった」と語る者もいる。
そうして、目覚めたものたちを、蓋坂家は独自の情報網で捜し出し、家族に加えているという。
彼等はその異常性、そして数自体は少ないが、質がとても高いことから、七家の中でも特別視されている。
そして、現在の蓋坂家の中で、最も新米の蓋坂が彼、蓋坂寿である。
寿は夜中の繁華街を1人でため息をつきながら歩いていた。
今の時刻は10時、先ほどの三姉妹との戦闘から20分程度しか経っていないがしかし、彼はすでに先頭の興奮は冷めていた。
ちなみに、10時の20分前、つまり9時40分に市街地で殺し合いをしていて問題はないのかというと、問題はない。
彼等殺し屋にとって『人払い』の技能は必須とも言え、当然寿も身につけているからだ。
そして、今、彼を襲っていたのは後悔。
相手が自分より年下だから、『能力』は使えないだろうという油断があった。
それを後悔しながら彼は夜の繁華街を歩く。
ところで、彼には趣味、というよりも悪癖があった。
それは仕事、つまり殺しに失敗した時に夜に繁華街を歩くこと。
これは別に夜の繁華街に対して妙な憧れを持っているだとか、客引きのお姉さんたちを眺めるためだとかの理由ではない。
それは至極単純、殺しを失敗したのだから、殺しの欲求を満たすのである。
彼は蓋坂家であるので、当然殺しを好む。
それは彼の性であり、治せるものではない。
だがしかし、彼は無差別に殺すわけでもない。
ならばどうやって選ぶのか。
それは仕事の標的か、殺してもあまり被害がなさそうな人間。
そして『殺してもあまり被害がなさそうな人間』が見つけやすいと彼が思っているのが夜の繁華街である。
もちろん、一般的な常識に照らせば、個人的に人を殺していいわけもない。
しかし、彼は大前提として『人を殺したい』という欲求がある。
だから、夜の繁華街で標的を選ぶのは、決して良心などではなく、むしろ彼の酷い我儘のようなものだ。
無実の人を殺して、自分の心が傷つくのを避けるという酷い我儘だ。
まあしかし、彼が無実の人間をたくさん殺しても彼の心が決定的に傷つくことはないだろうが。
では、具体的に夜の繁華街のどんな人を殺すのか。
それには、彼の容姿が関係している。
彼はスーツを着ているが、歳は十六、男子高校生のそれも高校一年生である。
しかし、彼の顔はとても男子高校生には見えない。
それは決して老人のように老いて見えるという訳ではなく、その逆で、とても美しいのである。
彼の顔はとても男に見えず、絶世の美女だと感じる人の方が多いだろう。
そして、彼は漆黒の美しい髪を腰ほどまでに伸ばして、一つに結っている。
彼は共学の高校に通っているが、彼が入学したときは軽い騒ぎになった。
入学以来最高の美少女が入学してきたと思ったら、男子だったのだから、その驚きは計り知れない。
そして、彼は定期テストではトップクラスの成績を弾き出し、春にあった体育祭ではリレーのアンカーを務め、大活躍をした。
そして入学から四ヶ月が経った今では、一部の女子と極一部の男子がファンクラブを作っており、さらにそのクラブから始まった『王子』という呼び名が定着してしまっているのだった。
そんな彼だが、体の性別と心の性別が別というわけではない。
彼の格好は趣味と、彼が注目を集めることを好んでいるからであり、性的対象は女性である。
そんな彼が今は、夜の繁華街で仕事が終わった今をときめく人気”女性“モデルのような雰囲気を醸し出していた。
そして、そんな彼は誘蛾灯のように男達を惹きつける。
そんな男達から適当に選んで殺しているのだった。
「あの、もしかして、歌川くん?」
そんな、学校の内外で有名な彼だからこそ、そう声をかけられてもさほどに疑問は持たなかった。
歌川とは、寿の『表の世界』での偽名である。
寿は声をかけてきた人の方へ振り返った。
彼に声をかけてきたのは、彼と同じ高校の隣のクラスの女子高生だった。
名は、確か阿笠胡桃。茶色がかったボブの髪と綺麗に整った顔、そして出るところは出て引っ込むところは引っ込んだプロポーション。
有名な雑誌の読者モデルをやっているとも聞いたことがある。
そんな彼女が、寿に話しかけていた。
「あ、あの少し話があるんだ、ですけど。」
その言葉に寿は意外に思った。
てっきり、夜の繁華街にスーツを着て歩いている理由を問われると思ったからだ。
しかし、『話がある』という言葉からすると、予想していたのとは違う話かもしれない。
そして、彼女は決して無礼というわけではないが、基本的には同級生にはタメ口である。
そんな彼女が殊勝な態度で敬語を使っているということは、何か頼みがあるということだろうか。
「なに?」
「あの、今夜泊めてくれませんか?」
これもまた意外だった。
阿笠は読者モデルをやっているが、いやだからこそなのかもしれないが、身持ちが固いことで有名だ。
そんな彼女が、家に泊めて欲しいと言ってきている。
彼女の格好をよく見てみれば、左頬には殴られた跡があり、着ている制服も乱れている。
おおかた家庭で何か問題が起きて、家に帰れなくなったという感じだと寿は推理した。
「俺、男だけど。問題あるんじゃないの?」
「いや、歌川くんは信用できます。」
おそらく、寿が高校で確かな地位を確立していることから、信用に足るのと思ったのだろう。
例えそうだとしても不用心すぎると思われるが。
「理由は?」
「実は、親と喧嘩しちゃって... 友達も頼れないんです。お願いします!」
理由は予想通り、そして彼女が交流のない俺を頼る理由もわかった。
しかし、泊まり、か。
彼女の親が家出を通報して、警察沙汰にでもなったら困るな。
寿は右手を顎に当てながら思案していた。
それを阿笠は不安そうに見ている。
30秒ほど経った後。
「いいよ。俺の家に泊めてあげる。じゃあ、向かおうか。」
そう言った。
理由は、善意、などではない。
彼は阿笠のことを殺そうと考えたのである。
彼は蓋坂寿、蓋坂家。
彼は正真正銘の殺人鬼だった。
表の世界で、居場所が近いものは面倒になるのであまり殺したくないが、まぁちゃんと後処理をしておけばいいだろう、と彼は考えた。
そして、彼は歩き出す。
適当な路地に連れ込み、後ろからついてくる阿笠を殺すため。
しかし、その計画は頓挫することになる。
その頓挫の原因は、彼等が歩き始めて20分後、現れた。
寿が全く会話をしなかったために、阿笠は少し不安そうな顔をしている。
そろそろ、『人払い』をして殺そうか、と寿が考えていたとき。
それは現れた。
それは美しい女の姿をしていた。
真紅の髪を肩で切りそろえて、顔は美しく、プロポーションは完璧。
彼女は白のTシャツとジーパンをはいて、メンズファッションをしていた。
そんな彼女が話しかけてきた。
「お前が、蓋坂寿?」
問いかけられた寿はしかし、問いに返答できる状態ではなかった。
彼は滝のように汗を流しながら、体勢を低くして、目の前の真紅の女を睨みつけている。
彼の本能が警鐘を鳴らしている。
あれはやばい、と。
「く、そが」
思わず悪態をつかずにはいられない。
見ただけでわかる。
あの赤い髪の女は、姉貴と同じ種類のやつだ。
今の寿では絶対に敵わない。
寿は頭の中で全力で頭を回していた。
(阿笠を肉壁にするか?いや無理だ。そんなことで逃げられるような相手じゃない。そもそもあいつじゃあ壁になれるかすらわからない。ならこっちから仕掛けるほうが得策か?)
彼は思考を巡らせている間にも、いつ攻撃してきてもいいように臨戦態勢を取る。
そして、静寂がその場を支配する。
その静寂を破ったのは、この場の圧倒的弱者、阿笠胡桃だった。
「あの、すいません、人違いじゃないですか?
私の苗字は阿笠ですし、彼の苗字は歌川ですよ。 フタサカっていう苗字じゃありません。」
阿笠はそう赤い髪の女にいった。
寿に言わせてみれば、蟻が象に話しかけるような暴挙であったが、しかし、彼女が弱者だからこそ赤い髪の女の実力がわからず、話しかけてしまったのだろう。
そして、阿笠の言葉に対し、赤い髪の女は、今初めて阿笠の存在に気づいたかのように目を瞬かせた。
「はぁ、歌川?なわけねぇだろ。
そいつ殺気ビンビンじゃん。
あぁ、なるほど、お前、一般人かよ。
あぁどうしたもんかな、まあもう既に人払いは済んでるし、死体が一つ増えるだけか。
じゃあ、蓋坂寿、この赤裂いろはが私の可愛い三姉妹に傷をつけた落とし前をつけてやるよ。」
赤い髪の女-赤裂いろははそう言って寿の方に走り出した。