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「そうかも……私直ぐに赤くなるから、なんか面白がられてたんだよね。よく付き合ってーって言われたりとか、聞こえる声で胸のこと言われたりとかさ」
「大っきいと見てくる人多いよね……べたべた触られたりとかしなかった?」
「した……さすがに肩とかだけど……」
「いやーそれも嫌でしょ」
異次元の会話にフィズは目を剥く。けれど、理解もした。
要するに、セクハラしたりだとか、そういうことがしたいって丸わかりの人がだめだってことだろう。
と、いうことはだ。みんなが言う下心は、「そういうことがしたい」という意味合いだったらしい。
どうりで、レオーネが頭を抱えるわけである。
リュウホは説明したくなさそうだったし、ルークも呆れていた。
「キスしたいとか、触りたいとかさー好きな人に言われたら嬉しいけど、そうじゃなきゃただ怖いだけだよね。面白半分で言わないでほしいな」
「うん……本当に」
「その辺、リュウホはちゃんとしてるよね。男とか女とかに当てはめたりしないで、目の前の人のこと見てるなーって。話してて安心するのも分かるよ」
「そ、そうなの」
恥で死んでいるフィズの横で、クレアが顔を明るくした。
チェルシーは意地悪に笑うと、肩を寄せて問いかける。
「じゃあ逆に、リュウホにそういうことされたらどお? セクハラとかじゃなくて、手繋いだりとか、抱きしめられたりとか、恋人がするやつ」
「そ……っ」
チェルシーの質問に、クレアはまだ赤くなれたのかと感心するくらいに赤くなった。腕で顔を隠すと、蚊の鳴くような声で答える。
「それは、まあ……う、嬉しい、けど……」
「うんうん」
「で、でも緊張する……!」
「かーわーいーいー」
「わー!?」
はしゃぐチェルシーと、それにタジタジになっているクレアを眺めて、フィズはいつもならかわいいなと満足していたと思う。
だけど、今は己の無知に対する恥と、会話の内容が衝撃でそれどころではなかった。
(あたし、いつもレオくんに……あれ?)
いや、でも、フェリオもスキンシップが多い。あれと似たようなものだと考えたら、問題はないはずだ。
(……でもそっか。あれって恋人の距離感なんだ……)
フィズとレオーネは、兄妹じゃない。レオーネは兄ではない男だ。それであの距離は、なかなか見ないもののようだった。
確かに最初は驚いていた気がするけど、彼に触られるのが好きで忘れていた。
(す、好き……)
自分で考えたことに過剰に反応して、フィズは手の平を見る。
何度も彼に触れたり、触れられりした。それが嫌だと思ったことは、一度もない。
でも、それって他の人とでもそうだ。フェリオや、リュウホや、チェルシーやクレア、カミラとだって手を繋いだ。
だけど、ここ最近、彼に触られると、嫌じゃないのに落ち着かない。あれが緊張なんだとしたら。そうなるのが、レオーネにだけの反応だとしたら。そしたら、自分が急にそうなったのは──?
「──フィズは?」
「わー!?」
「え、なに?」
急に名前を呼ばれ、思考に耽っていたフィズは悲鳴をあげてしまった。
どうした、と二人の目が語りかけてくるが、上手く説明出来る気がしないし、まず纏まっていない。
妙に顔が熱くって、フィズは窓から身を乗り出した。
「──フィズ?」
すると、聞き覚えのある声が外から聞こえて、フィズは目を丸くした。
「……ロイ?」
顔を向けると、ぱたぱたとロイが駆け寄ってくる。
「来てたんだ。久しぶり、フィズ」
「久しぶり」
「外に出るの?」
改めて聞かれ、冷静になったフィズは、そっと体を部屋の中に戻した。
「いや……ちょっと涼みたかっただけ」
「部屋の中暑いの? ストーブカンカンに焚いたら、危ないからだめだよ……?」
「そんなに焚いてないよ」
部屋の中からチェルシーが出てきて、フィズを腕で突いた。面目ない。体が勝手に動いたのだ。
チェルシーの突然の登場に、ロイは目を見開くと、下を見た。無意味に雪を踏みしめて、靴底の雪を落としてを繰り返している。
「……ひ、久しぶり、チェルシー」
「うん。久しぶり」
久しぶりなのか。隣に住んでいるのに?
疑問を抱くフィズを尻目に、チェルシーは部屋の奥で置いていけぼりだったクレアを振り返る。
「クレアは初めてだよね。ロイだよ」
「あ、初めまして」
「初めまして……」
「どうしたの、ロイ? 私ん家に来るなんて、珍しいじゃん」
軽い挨拶を交わした後、チェルシーは不思議そうに問いかける。ロイは目線を落とした。
「い、いや……チェルシー、明日休みなんだろ?」
「そうだけど……」
「じゃあ、その……一緒に、あの……遊ばないかなって……」
遊びに誘った? あのロイが?
チェルシーの話では、ロイは極力家から出たりしないし、出たとしても昼寝とか、虫取りとか、魔物退治ぐらいなものらしい。
対して、チェルシーはどっちかといえば外に出たい方で、彼女に誘われたら、毎回ちょっと嫌そうにしていた。
そんなロイが遊びに。天変地異の前触れか?
「…………」
これはもう、チェルシーは喜ぶぞと思えば、反対に気まずそうな顔をした。
それから、ごめんね、と眉を下げる。
「明日はコニーさんの研究を手伝うことになってるんだ」
まさか、断ると思っていなかった。そんな驚きとショックが混じった顔をして、ロイは頭をかいた。
「……そ、そっか……」
「用事はそれだけ?」
「う、うん……」
「そっか。ごめんね。また誘って」
見ている方が気まずい。居心地悪さに体を動かそうとして、でも少しでも音を立てたくなくって、フィズは慎重に座った。
同じく気まずそうにしているクレアと目が合って、笑い合う。
「……あ、あの、チェルシー」
「なあに?」
「僕、その」
まだ続くのか。
「な、なにか、した?」
今聞くのか!
叫び出したいのをぐっと堪えて、フィズは雪解け水を流し込んだ。緊張で渇いた喉が潤っていく。
「……ううん。なにもしてないよ」
チェルシーは、顔を見なくても笑顔なんだろうと分かる明るい声を出した。だけど、その声は強ばっていて、なんだか白々しい。
ロイは、たっぷりの間の後、肩を落として帰って行った。
「はあ……っ」
ロイがいなくなって、ようやく力が抜けた。一斉に項垂れる。
「……今のって、チェルシーちゃんの彼氏?」
クレアが問いかける。チェルシーは、少し笑うと、思いきり否定した。
「違う違う。ただの幼なじみ」
「……でも前と雰囲気違うね。なにかあったの?」
前は、こういうことを聞かれた時には違う反応をしていた。「そう見える?」と嬉しそうだった。
チェルシーが肩を揺らす。それから眉をひそめると、腕を組んだ。
「ロイのこと、諦めたっていうかね」
……離れようとしているのは薄々感じてはいたが、やはりそうなのか。
チェルシーは首筋を擦ると、苦笑する。
「私さ、なんでもロイのせいにしてたなっていうか……きっと、『こういう恋がしたい』っていうのが先にあって、ロイのこと見てたわけじゃないんだと思うんだ」
「そうなの?」
「そうなの。こう……恋に恋してたっていうか……」
「なるほど……?」
分かるような……分からないような。曖昧である。
チェルシーは顔を覆うと、ベッドに寝転がった。
「最近までの自分を思い出すと猛烈に恥ずかしいの! なんであんなことしてたんだろうね!? 付き合ってないのにね!?」
それはおそらく、みんな思っていた。すっと目を逸らすと、チェルシーは目尻を赤らめた。
「だめだ、恥ずかしくてどうしたらいいか分からない。リュウホ先生に聞いてみる」
バッと起き上がると、チェルシーはスマホを取り出した。止める暇もなく、リュウホに繋げると、チェルシーはスピーカーにして机に置く。
リュウホは、五コールもしないうちに、戸惑った様子で電話に出てくれた。
「チェルシーちゃん、どうしたノ? 女子会とか言ってなかった? なにかあったノ?」
「先生ー! 最近までの自分を思い出すと恥ずかしいんですけど、どうしたらいいですか!」
「ハァ?」
心配していそうだった声音から、思いきり訝しげな声音に変わる。チェルシーは枕をボスボスと殴りながら、切に訴えた。
「あのね、ロイに恋してるとか言ってたことを思い出すと恥ずかしいのー! どうしたらいいですか!」
「……いや、なんでボクにかけてきたノ? 女子会してるんデショ?」
「たぶん答えが出ないメンバーなもので……!」
「ア、アア……ウン」
納得されてしまった。
「……マァ、気持ちは分からなくもないヨ。大変だネ」
おそらく、ヒョウカのことを思い出しているのだろう。同調するリュウホに、クレアがぴくりと肩を揺らした。
それから、一つ息を吐くと、明るい声を出す。
「そんなチェルシーちゃんにネ、いいこと教えてあげるヨ」
「いいこと?」
「恋っていうのはネ、恥ずかしいもんなノ。脳がバグってんだからネ」
おお……と感心する声が被った。的確で、なんか説得力がある。
それで、どうしたら良いのだろう。期待に身を乗り出すチェルシーを知ってか知らずか、リュウホは。
「だからネ、耐えてネ」
無情なアドバイスをすると、電話をブツッと切った。暗くなったスマホを数秒眺め、チェルシーは満足そうに頷いた。
「切れちゃった。さすがリュウホ」
確かに。いつも通りキレキレだった。頷き合う二人の横で、クレアだけは一人お化けでも見たかのような顔をした。
「あ、あれ……? いつもあんな感じ?」
「そうだよ。だから言ったでしょ? リュウホって、クレアには特別優しいんだよ」
そんな彼女に笑うと、チェルシーは赤くなるクレアの肩を叩いて、ぐぐっと伸びをした。
天井を見上げると、ぽつりと呟く。
「とにかく私さ……今は、ロイとまともに会話出来る気がしないんだよね。だから極力会わないようにしてるんだ。色々忙しいしね」
「そっかあ……でも、ロイ、寂しいんじゃない?」
ロイは、素直だが、表情は乏しい。だけど、さっきはとても寂しそうだった。
あと、二人は付き合うものだと思っていたから、フィズも、ちょっとだけ物足りない気がする。
感じたことをストレートにぶつけると、チェルシーはきょとんとしてから、吹き出した。
「ないない。口うるさいのがいなくなってせいせいしてるよ」
驚く声がクレアとハモる。あんなにショックを受けていたのに、そんな解釈をしてしまうのか。
「ロイね。ご飯作ったり、掃除しても、感謝してくれるわけじゃないし、何かに付き合ってくれたわけじゃないし、私のこと、お母さんみたいに思ってると思うんだよね。だから、さっきのは怒られると思って様子を窺いにきただけだよ。今までも何回かあったもん」
「そ、そうなんだ……」
「うん」
なんだか、やるせない気持ちだった。二人は両思いだと思っていたのに、こんな結末になるものなのか。
恋愛のことは分からないが──分からないからこそ、歯痒さを感じて、フィズは少し語気が荒くなってしまった。
「そっか、じゃあ、今ロイは、チェルシーが怒ってると思ってるんだね」
「あ」
フィズの言葉に、チェルシーは眉を下げた。
「……本当に怒ってるとかじゃないんだけど……だめだ。説明出来る気がしない……」
本気で困っている様子のチェルシーに、フィズはなんだか泣きたくなった。
喧嘩は多かったけれど、それでもあんなに仲良しだった二人なのに、こんなに呆気ないものなのか。
「……チェルシー。このお菓子持って行ってもいい?」
テーブルに置いてある、チェルシーが焼いたクッキーを指す。チェルシーは目を瞬かせて──フィズの意図が分かったらしい。
肯いたので、ハンカチを敷くと、ティッシュを何枚か重ねて、ひょいひょいと乗せていく。
「ごめんね。ありがとう、フィズ」
「本当に、良いんだよね?」
改めてチェルシーに問いかけると、彼女は少しだけ目線を宙にさ迷わせて──それでもはっきりと頷いた。




