36
雷に撃たれたような衝撃が走った。目を見開いて、リュウホの言葉を反芻する。
(そうだよね。レオくん、元々の原因と向き合ったんだから、もうあたしと居る必要はないんだよね……)
「フィズちゃんゴメンネ。ちょっと思っただけだからネ」
固まるフィズの肩を掴み、リュウホが覚醒を促してくる。
普段なら、大丈夫のひと言ぐらいは返せただろうが、この時ばかりは何も言えなかった。
夕食を食べている間も、リュウホとクレアが帰ってからも、フィズはそのことについてずっと考えていた。
レオーネだけじゃなく、フィズだって、もう引きこもる気なんか無いし、だから一緒に暮らす意味はない。この生活に具体的な期限があったわけじゃないけど、だからこそ、もしも兄に「一緒に暮らさなくていい」とでも言われたら、どうなるのだろう。
レオーネは出て行け、なんて死んでも言わないだろうし、フィズが言えば、置いてくれるとは思う。
だが、言わないからこそ気になった。
この生活を続けたいのは、もしかして、フィズだけなんだろうか。
兄の連絡先をぼんやりと眺めながら、ふと、試してみようか、なんて考えが浮かぶ。フェリオに協力してもらって、レオーネがフィズと同じ気持ちなのかを──いやいや。
首を振って考えを追い出す。そんな真似、騙し討ちみたいで卑怯な気がするし、レオーネならきっと、聞けば誠実に答えてくれるはずだ。
よしと気合いを入れて立ち上がる。ドアに向かうフィズを引き止めるかのように、こんこんと何かを叩く音がした。はてと音のした方を見て、フィズは驚いた。窓の外にレオーネがいたのだ。
「レオくん?」
慌てて窓を開けると、寒さで鼻を赤くしたレオーネが箒に乗って浮いていた。
なんでこの人、ドアからではなく、窓の外から来たんだろう。一緒に暮らしているのに。
「星を見ながら散歩しないかなって。いや、歩くんじゃなくて飛ぶんだけどさ」
それは素敵な提案だ。二つ返事で了承するフィズに向かって、レオーネは手を伸ばす。
フィズがその手を取ると、体がふわりと浮いて、箒まで乗せてくれた。レオーネはコートのチャックを開けると、フィズも纏めて包み、それから自分が巻いているマフラーを外して、フィズをぐるぐる巻きにする。
「え、いいよ。レオくん寒いでしょ」
カミラから防寒具をたくさん貰ったので、それを身につければ問題ない。戻ろうとすると、レオーネが後ろから抱きしめてくる。
「ッ」
「フィズが温かいから大丈夫」
誰のせいだと思っているのか。火照る顔を手の平で押さえると、箒は高く上がって、空をゆったり飛び始めた。
見上げると、そんなはずないのに、なんだか月に手が届きそうな気がする。
「今日はありがとうね」
ぼうっと魅入っていると、レオーネが話しかけてきた。
「二人が来てくれなかったら、警察沙汰になってたかもしんないや」
確かに、あのままだとレオーネは凍傷のようになっていただろう。病院送りか、下手すると死んでしまっていたかもしれない。そうならなかったのは嬉しいが、フィズはあまり納得していなかった。
「結局、コニー分かってくれなかったね……」
「……あの子、『分かんない』って言ったでしょ?」
それをこぼすと、レオーネは目を細めて、ふわりと微笑んだ。
「アリスはね、誰が違うって言っても、今までは『自分は誰にも好かれない』って思い込んでたんだ。だから、さっきのあれは凄いんだよ。誰の考えでもなく、自分の考えを疑うのは、それよりもっと身内の考えを疑うのは、とても勇気のいることだからね」
そういうものかと、驚くほどするっとフィズの中に入ってくる。
フィズにとって、レオーネや兄の言うことを否定するのは、確かに勇気がいることだ。
「あの子の問題は俺と違って根深いから……時間が必要だと思うんだ」
「そっか」
納得して、やっぱり、二人の間にはフィズには分からないものがあることを再確認した。それが少し、少しだけ、寂しい。
自分がこんなに知りたがりだなんて、今までちっとも気付かなかった。レオーネのことを知りたいのに暴くのは怖くって、胸が詰まるような思いで、息を空に吐き出す。
同じような仕草をしたレオーネが、あー、と声を出した。どうしたの、と視線で語りかけると、レオーネはフィズの手に手を重ねて、肩口に頬をすり寄せてくる。
この人、今朝からやけに甘えてくるようになった。改めて密着すると彼の心音が聞こえて、それはフィズと同じような速さで鳴っていることに気付いた。
「……あのさ」
同じくらいなら大丈夫だと僅かにほっとする。何が大丈夫なのかも、何に慌てていたのかもよく分からないけど。
「リュウホいるじゃん」
「うん。……うん?」
急な問いかけに首肯して、首を捻った。
まさかとは思うが、一緒に晩御飯まで食べたのに存在を疑っているのか? 確かにこの国じゃ珍しいカラーリングだけど、幻じゃないぞ。
「あの子のこと、す、好きとか」
「あ?」
やばい。なんか柄が悪くなってしまった。
いやだって、やけに言いにくそうにしているから一体何かと思えば、そんなこと。ガッカリである。
「そういうのだったりするのかなぁって、えっと──あ」
今度は何かと顔を上げて、フィズはげ、と頬を引き攣らせた。目の前に大木が立ち塞がっていたからだ。
レオーネは咄嗟に上昇して回避しようとするが、木の枝に突っ込んでいってしまった。バキバキッと音がして、肌を引っ掻くような感触がする。だが、そこまでのダメージはなく、二人は揃って枝に引っかかった。
「ごめん、いつの間にか降下してたっぽい……」
上から情けない声が聞こえて、フィズは思わずため息を吐いた。
ストップ脇見運転。スマホなんかを見ながらの「ながら運転」なんかもだめです。
何やってんだと思ったが、直ぐに注意しなかったフィズもフィズだ。言うのはやめておいた。
周りを確認する。さすがは大木。いい具合に太い枝が伸びていたので、手を伸ばして、その枝にぶら下がる。枝を軸に勢いをつけ、他の枝に飛び移った。
「おお~」
パチパチと手を叩く音がして、そちらを見てみると、未だに枝に引っかかったレオーネが拍手をしている。
「レオくんも登っておいでよ」
「そうだね」
笑ったレオーネの体が宙に浮いて、フィズの隣に来る。
「あ、ずるっこだ」
「ふふーん」
そうやって笑って顔を見合わせて、視線が交わった途端、レオーネが目を逸らした。笑い声が止んで、なんだか気まずい空気が流れる。
(そういえば、さっきの話、まだ終わってない)
リュウホが好きか、なんて、どうして聞くのだろう。いつもなら深く考えないで好きだと答えるだろうけど。彼が利いたのが恋愛的な意味だと分かったので、否定しておきたかった。
でも、今さら蒸し返すのも、とても気にしているみたいで、なんとなく気が進まない。それに、フィズも聞きたいことがあった。
そろりと目を向けると視線がかち合って、フィズは口を開いた。すると。
「……あの、俺さ」
それよりも早く、レオーネが声を出していたので、さっさと口を閉じた。
「……教師を目指したいなぁと思ってて」
寝耳に水だ。ぱちりと目を瞬かせると、レオーネは頬をかく。
「アリスが嫌がるだろうからって諦めててさ。でも、フィズに教えてたら、やっぱなりたいなぁって、改めて思って……魔法を教える先生」
想像してみたら、しっくりきすぎて笑ってしまった。それもそうだ。フィズにとっては、すでに先生なのだから。
「いや、まだどうかなって段階なんだけど、でも」
「うん、絶対いいと思う。なれるよ」
背中をポンと叩けば、レオーネはあれこれ言っていた口を閉じた。
それから一つ、瞬きをすると、ふんわりと微笑む。
「……ありがとう」
月明かりが彼を照らす。いつも見ているはずの笑顔なのに、こんな状況は初めてだからかもしれない。初めて見るような気持ちになった。
「えっと、でね、教員免許を取るためには大学に行かないと行けなくって」
「…………」
そういえば、そうだ。魔法を教えるのも同じように先生の試験がいるのか。
ぼんやりと聞いていると、レオーネは膝の上でぎゅっと握る。何か言いにくそうだ。
「勉強もあるし、今までみたいに、君につきっきりで教えるわけにはいかなくなると思うんだ」
「…………」
ああ、遠回しに師弟関係を解消しようと言っているのだろうか。
遅れて理解して、フィズは彼から視線を外す。
「それでも、いいかな」
いいも何も、レオーネがやりたいことをやるのが一番だ。
そう思うけど、喉が痛くなって、声がすんなり出なかった。
「今までのようには教えられないとは思うんだけど」
腕を掴まれる。レオーネは、フィズの耳元に唇を寄せて、掠れた声でそっと呟いた。
「傍に、居てくれる?」
「うん。……うん?」
今この人、なんて言った?
ぽかんと口を開けると、フィズは彼をまじまじと眺める。
言いたいことが正しく伝わってない。それを覚ったレオーネは、肩を落とした。
「い、いやだから、俺の横っていうか、家っていうか……これからも居てくれるかなって」
……つまり、一緒に暮らすのを続行しようってことだろうか。フィズにとっては大歓迎だ。
ぶんぶんと頷くと、レオーネは安心したように息を吐いた。
「よかった。俺、フィズが出てったら、どうしようかなって思って」
「ふふ」
嬉しくてぴったりくっつくと、彼の首筋に額を擦りつける。微苦笑をした彼は、犬みたいだなと言いながらも、ポンポンと頭を撫でてくれた。
「なんか、出てけって言われるかと思って、無駄に緊張しちゃった」
さっきまでの思いを吐露すると、レオーネからも力が抜けた。フィズにもたれ掛かってくる。
「なんだ。フィズも一緒だったんだ」
本当、二人で緊張して、なんか馬鹿みたいだ。
いつまでかは分からない。でもずっと、一緒に居られたらいい。
そんなフィズの思いに答えるかのように、空がきらりと光って、星が一筋落ちていった。




