02
――エルファンドルム王国・スピア辺境伯領・ミルシアナ教・スピア辺境伯領支部――
「任務失敗とは、どういうことかしら。シスター・ネモ、シスター・フィオネ」
ドンッと迫力がある女性が腕を組んで縮こまってる2人を見下ろしていた。
シスター・マングロウ。彼女はふたりにそう呼ばれている。ネモとフィオネの直属の上司であり、育ての親であり、指導者だ。その姿は、女性にしては高身長で、更にピンヒールを履いているのでトータル2メートルは超えている。さらには、ガタイもとても良く、袖に隠れている二の腕にはしっかりと筋肉が付いていた。見た目も軍人顔負けの強面なので、パッと見ただけだと、男なのか女なのか、はたまたオカマなのか判断に困るが、彼女のスタイルがすこぶる良いのだ。ぶら下がっている房はスイカ級に大きいくせに、腰がとてつとなく細い。出るところが出ており、露出の少ない修道服でもそれがよくわかる程。
だが、それ以上に彼女は怖い。
今ですら、シスター・マングロウの狭い執務室で、3人。ただただ、響く怒声が壁を揺らしている。シスター・マングロウから見ると、153センチのネモですら子どもに見えというのに、フィオネなぞ、幼児に等しいサイズだろう。ただでさえ小さいというのに、縮こまったふたりは更に小さくなって言い訳を必死で脳内フル活用している。しかし、残念かな。脳みそが足りないふたりは、結局言い訳にすらならないものしか出て来なさすぎて閉口してしまっている。
「そもそも、その格好はなんだ、フィオネ。毎回服を魔改造するなと言っているだろう。髪も隠さずに何をやっている」
首元、手首まで覆い隠す修道服が窮屈だと、いつも改造するフィオネの服装は、すでに修道服ではない。それについては、いつも口酸っぱくして言及していたが、その姿勢を未だに変える予定も無さそうだ。
そのため、今回もそんな窮屈な格好は嫌だと、いつもの格好で来たのだが、どうやら余計なところで油に火を注いでしまったらしい。いつもの事だと言うのに一切学習しないのはむしろ潔い気もする。
更には、規定により、女性は外へ出る時は髪の毛をウィンプルに収めなくてはならないと言うのに、映えるストロベリーブロンドの髪を、高い位置でお団子にしてい隠すことをしていないのだから、規定を守る姿勢すら見当たらない。
そのため、雷が見事にフィオネに落ちた。それも特大サイズのものが。
こうなっては、雷が通り過ぎるのを、フィオネは、頭を下げながら待つしかない。シスター・マングロウは怒ると怖いが経過すれば落ち着く人なのだ。育てられ、教育され、配下で働いて長いふたりはそのことをよく知っている。
叱られるのは嫌であるし、シスター・マングロウの説教は怖いが耐えられなくもない。心にゆとりをもちながら、耳だけを遠くにし、ちらっとネモの方を見ると、同じように頭を下げて嵐が通り過ぎているのを待っていた。だが、次の瞬間ネモと目が合う。そして、ぱくぱくと口が動いた。
(ば……か……)
その動きを真似して動かした内容に、フィオネでもカチンと流石に頭に来た。確かに、怒られることは分かっていた上で、余計なところで指摘を食らうとをわかっててもこの格好てきたフィオネは、信条を貫いているを通り越して無謀である。
しかし、彼女はこれを頑なに曲げることはせずにいるのも、その硬い前向きな性格のお陰だろうが、流石に馬鹿に馬鹿と言われるとさすがのフィオネもムカッとしてしまうものだ。
シスター・マングロウには見えない範囲で、フィオネはネロを蹴る。すると、ネロもフィオネを蹴り返す。隠れてどつけば、隠れてどつき返される。水面下でそんな下らない応酬をしていれば気がつけばエスカレートしていく。そして、いつの間にか有難いシスター・マングロウの説教のことも忘れていた。
最後ふたりは顔をつきつけて睨み合っていた時だ、ふたりの方に大きな手のひらが置かれた。ゴツゴツとした大きな手は女性の手では無いが、赤いマネキュアが唯一優雅さをかもちだされてる。――気がする――が、今は握力は強く、掴まれている肩が砕けそうだ。
「ふ・た・り・と・も……?」
とたん、本日特大級の雷がふたりに落とし込まれた。
夜の出来事などなかったかのように、世界は至って平和だった。空は快晴とは言わず、どこかどんよりとした重たい雲が覆い尽くしていた。そのためか、日差しが届かなく、気持ち涼しく感じるのだ。
そんな空の下、人々はいつもの営みをしていた。
人々が行き交う歩道、車が通り過ぎるような大通りは、人々の活気ある営みをよく体現してくれている。
そんな大通りの端にある屋台で、ネモとフィオネは丸いテーブルの上に食べ物を並べ、備え付けの椅子にだらっと両腕を投げ出しながらだらしなく座っている。昨晩、死闘の末に寮へ戻れば泥のように寝た。目が覚めれば、シスター・マングロウからの呼び出し。そして、先程まで特大な雷を身に受けた直後だ。ネロもフィオネも心身ともに疲弊しきっていた。
『それでは次のニュースです……今朝、当領が誇る製薬会社に調査が入りました――』
店のどこかから流れるラジオを耳にしながら、フィオネはチェリーコークに手を伸ばした。任務後、寮に帰ってからも飲み物すら口にできていないのだ。スキルは使用すると便利だが、使用後の反動が酷い。ネモの場合は体の倦怠感で終わるが、フィオネに際しては、一時的に視力が低下するか、最悪は1日見えないこともあるという。
ネモは起き上がれないで済むが、目が見えないというのはなんとも不便だな、と聞いた当時のネモは怠惰にそう考えた。現状、フィオネは実際に視力が落ちているのか、珍しい眼鏡スタイルである。深緑のパッチリとした目元が眼鏡によっていつもより少し小さく見える。瓶底なのだろう。勿論眼鏡は、シスター・マングロウに呼ばれた時も掛けていた。
瓶に入ったチェリーコークを1口煽ると、独特なスパイスの香りと、口に張り付く甘さと、喉を通る強烈な炭酸にネモは生き返る心地になる。スキルは1度発動すれば、体が万全になるまで使用しない。連発して使えるが、好調な時よりも劣るからだ。なので今日のネモは相棒の大鎌を持ってきていない。あれは常に身体強化をかけなければ普段のネモだと持ち上がらないのだ。だから英気を養うために、まずは食事なのである。
並べられた食べ物は、ホットドッグにハンバーガー、ピザとどう見ても高カロリーなものばかり。しかもそれらは大皿に山盛りである。もちろんバランスを考えて、野菜もある。フライドポテトだが。
ネモもフィオネもそれらへ怠惰に手を伸ばし、ひとつ鷲掴みにしては口へと運ぶ。お腹は空いている。線の細い女がふたりで食べる量ではないが、動き回ったあとの消費エネルギー回収には必要な量なのだ。
ネモは片手にジャンクフードを、もう片手には先程売店で買った新聞紙を広げながら、時折チェリーコークを口に含んでは今の情勢を確認する。
「なんか、進展ありそー?」
「んー、一応はエルフェンリート製薬会社にガサ入れはしているね。基本は衛兵だけど、何人かうちのものも混じってるだろうとは思うよ。ただ、新聞を読んだ限りだと会社の中身はもぬけの殻。資料も人材も、研究室もすっからかんだったとさ……おかげで調査が進まないって、またシスターが嘆きそうだ」
「ンー、一応、今回の任務の確認なんだけどサ……」
フライドポテトを、つまみながらフィオネは落ち着きなさそうに指先を動かしてはゆっくりとおさらいするように口を動かす――
大陸の中心より少し南。東に大陸の3分の1の領土を誇る帝国、北にミルシアナ教の総本山がある皇国、西に一体を占める連合公国に挟まれている王国。それが、エルファンドルム王国。
今回、ネモとフィオネがいるのは、エルファンドルム王国南西の国境にあるスピア辺境伯領。西側の辺境伯領は3つある。その中でも、スピア辺境伯は比較的内陸側であり、アルトピウス公国に面した街――フォーゲステムの街にいる。
その理由としては、昨晩に相対した吸血鬼が理由だ。
吸血鬼は、元人間だったものが突然変異した存在である。基本の吸血鬼は、日中帯、外に出られる上、食事も制限は無いが、人間の生き血を特に好むという。色白の肌に、白銀に近い白い髪、赤い瞳と、総じて顔が整っている。高い能力に、大多数の人間には持ちえなかった魔法というスキルを使用することが出来るが、その代わりに寿命が短いとされている。
基本は、下位、中位、上位と分けられており中位は一般市民。上位は貴族となる。また、更に始祖の一族と呼ばれるグランと呼ばれる高位貴族の吸血鬼も存在し、それらが国を興して公国となった。それが隣国の連合公国である。公国は全てで5つあり、その頂点に立つのが大公家の者たちである。
そうして社会形成をしている中でも、吸血鬼の国で暮らしているのは、人間たちがほとんどだ。その者達は、吸血鬼たちを崇拝している様な者達で喜んで血を与えていると聞く。――ネモもフィオネも何が楽しくてそんなことをするのか分からないのて、市民の心理は分からないが、少なくとも教会に属しているということもあるので、崇拝しているという心境は近いものがあるのかもしれない――そして、中位、上位貴族以外に存在する下位吸血鬼の存在。これが、今回ネモとフィオネが狩り尽くした者たちだ。
彼らは所謂、吸血鬼の成れの果ての姿である。
元来、人間に吸血鬼の血液を与えれば、体が変質し吸血鬼へと変わることが出来る。そうやって、吸血鬼たちは眷属を増やしてきた。しかし、基本そんな上手い話などないのだ。実態は、人間の体と吸血鬼の血は拒絶反応を起こし、ただの化け物へと成り下がる。それが昨日ネモとフィオネが対峙していた下位吸血鬼の正体である。そして、中位、上位、高位吸血鬼達も、寿命になると下位吸血鬼へと身を落としていく。そのため、下位吸血鬼は吸血鬼の成れの果てと言われている。
そして下位吸血鬼は無差別に人を襲う。さらに、満足するまで生き血を吸うのだ。それら無差別で理性などがなく、人を視認すれば襲ってくる。そうして被害が大きくなれば国が動くことがある。だが、対処できない場合は別の機関に依頼がいくのだ。
それが、ミルシアナ教である。創造神ミルシアナを崇拝する宗教団体。総本山は、北の地にある皇国。法皇が統べる国だ。創造神ミルシアナが造られた人間及びその他にも創造されている生物を尊いものとし、それらを脅かす者は悪とする。特に、吸血鬼は悪とする物の中では筆頭であり、永遠の敵と掲げている。一度、皇国は連合公国に戦争を仕掛けたが、高い能力を持つ吸血鬼達に完全に負けてしまった。その代償としては、今後一切の信者は連合公国への侵入を禁じられた。
それを見ていた諸外国は、世界的な宗教ということもあり、深く根強い宗教をなくすのも出来ず中立の立場を貫いているというところだ。何よりも、下位吸血鬼の対処は目下の悩みの一つでもあったので、利用できるものは利用したいという目論見もある。
戦争からミルシアナ教は現在に至るまで、吸血鬼側とは敵対関係としており、いつかは吸血鬼を滅ぼすことを目標としている。しかし、それは水面下での冷戦で表面では中位以上の吸血鬼には危害などは加えない。だからこそ、武力と叡智を集めるために対吸血鬼として専門として前線に立出ているという状態だ。
そしてそんな教会に、エルファンドルム王国から依頼が来たのはおよそ1ヶ月ほど前。
基本、下位に落ちた吸血鬼は身内の不始末として吸血鬼側で対処を行う。それでも取りこぼしやイレギュラーがある場合、依頼が飛び込んでくるのである。そして今回の以来は、イレギュラーの方だ。
ここ数週間、下位吸血鬼による被害が甚大であり、夜は出歩ことを禁止する旨を緊急事態で発布した。下位吸血鬼は中位以降の吸血鬼たちとは違い、太陽の光で消失する。だから緊急事態宣言を出したのは夜の外出禁止だ。日がまだ明るい時間のうちに帰宅をし、家から光を漏らしたりしてはいけないのだ。そうした緊迫した空気の中召集をかけられた。内容は、街のどこからか溢れる下位吸血鬼の出所を特定し殲滅してほしいという物だった。
任務における白羽の矢が立ったのが、ネモとフィオネを含んだシスター・マングロウが率いるチームだった。基本チームはリーダーを含めて10人で1つだ。その中で最も相性のいい相手とバディを組んで任務を遂行する。ネモとフィオネはそのバディということになる。そして、今回この地に来ている同僚達は他にもいる。ただ、バディ同士で行動する以外は任務に支障がなければ会うこともない。最後にチームの人たちと顔を合わせたのは、半年前に行われた忘年会位だろう。同じ任務をしているというのに、同じ領にいたとしても違う街で調査をしていたりとすることもあり、顔を合わせることもない。共同戦線をすることも滅多にないわけではないが、基本ないので最後に会ったのはいつだったかと指折り数えなくてはならないのだ。
そして、結局今回当たりくじを引いたのはネモとフィオネだった。ただし、取りこぼしをているため、リーダーであるシスター・マングロウから盛大に雷を落とされてしまったが――
「――一連のおさらいはこーんな感じィ?ああ、結局黒幕わからないまんまジャン」
フィオネ最後のポテトにぱくついて乾き切った喉を潤すようにチェリーコークをがぶ飲みする。
「でも、あの時フィオネは見たんでしょ。上位貴族吸血鬼の姿」
そう言って、ネモはどこからともなく懐から数十枚の写真を取り出すと、机に投げた。それらは色々な角度から撮られている、さまざまな銀髪の美形達。全員が若く、全員がイケメンと美女たちである。いくつかは背後から背格好だけを撮っているため、顔は知れないが、大体は大小、左右正面様々としっかりと映り込んでいる。所謂教会の盗撮写真だ。
公国は5つの大公家から出来上がっている。人間と違って、吸血鬼は家で一つの単位であり、大公家の一族は全員が老若男女問わず大公なのだ。だが、5つしかその家がないとなれば人物は絞られてくる。教会は、毎年独自のルートでこのように盗撮を行なっては、敵のトップを把握している。
フィオネはもそもそと片手でハンバーガーを口にしながら、汚さないようにセピアの写真を気だるげにめくる。そうして、ゆっくりとじっくりと昨晩見た人物を確認していった。
「ところでなんで高位貴族だって思ったの?」
「え?なんで?うーん、顔が綺麗だったから?」
「……吸血鬼は揃って顔が綺麗だよ」
「冗談だヨ……あー……うーん、なんだろう。纏ってるものが違うっていうか、まぁ殆ど勘?」
「……はぁ……あんたって本当に馬鹿」
呆れたように溢された言葉は本気の一言だった。先ほどカチンときた同じ言葉でも今は写真に意識をむけているのか笑って誤魔化した。それでも、写真を捲る手は止めず、追いかける視線は真剣そのものだった。
フィオネが真面目に、コレじゃない、コイツでもない、と次々に写真をテーブルに投げていく。その投げられた写真をネモはまとめていった。流石に上からの借り物なので、雑に扱うのは良くない。朝のお説教が終わって、夕方にもう一度お説教は流石に精神的に参ってしまうところではないのだ。是非とも控えたい。
そうしてかき集めた写真をまとめ、テーブルの上でとんとんと端を整えれば、先に懐に仕舞おうとした。そのふとした時に、つい1番上の写真が目に入った。男の吸血鬼で、目元は優しくどこか下がり気味。口元には笑みを浮かべている男。写真からでも漂う色気に、女性にモテるのがよく分かる。実際、写真には男の人にしなやかに女性がもたれていた。
ネモはこの顔を知っている。そう、よく、知っている。
気がつけば、写真を持っていない手に力が入っては、近くにあった食べ物を握りつぶしていた。
「ネモ」
写真を凝視していたネモの正面から声が聞こえた。顔を上げると、凪いだ空が見つめている。それだけで、力が抜けた。そして、力が抜ければ我に返って思い出す、掌にべったりとついたピザだったもの。流石に握り潰した本人も眉根を寄せてしまう。
「あたしにそれ、ちょーだい」
フィオネが手を差し伸べてくるので、ネモは潰れたピザを差し出そうとして、フィオネに汚物でも見てるような目で蔑まされた。